見出し画像

●「安楽死制度があることで生きる希望に繋がる」



この台詞は安楽死を希望する弱者達がしばしば発言する台詞である。いつでも死ねると思えるなら、今日という日を力を抜いて楽に過ごせる事ができる。『辛くて死にたいけど安楽死できると思ったら自殺する方法とか余計な事考えなくて済むので、今日の仕事に集中できそう』等の意味が含まれる

日本に安楽死がないなら海外に行くしかない。一部のカネある奴しか安楽死出来ない。本気で死にたい貧乏人は自分で自殺するしかない。

安楽死制度の是非を議論する際の否定視点として最も認知されているのが

『世の中に貢献できない弱者が社会から死ぬような圧プレッシャーを受けて死ぬかもしれない問題、それを忖度して安楽死制度そのものを否定する思想』


次に認知されているのが、労働資源の低下問題。

老後2000万円問題(今では物価高の影響で4000万とされる問題)にて老後の莫大な医療費(消極的安楽死の為の費用)を稼ごうと人は頑張るものの、簡単に安楽死できると人の働く量が減り経済全体の悪化(世の不幸)を招く。

過去の事例で不況が訪れると犯罪と自殺等が倍増する事が判明している。

安楽死システムが導入された国々では、きっと犯罪率が増えたと推定される。

例えばカナダではレイプ被害者が安楽死をしようとしたが認めて貰えずに餓死自殺をしたという記事



安楽死で直ぐにでも死ねる筈なのに、それができない事で、より生きている事の不満へと繋がるかもしれない

食欲不振、拒食症へ発展するシナリオもあるかもしれない。この場合、安楽死システムがあるからこそ、生から目を背ける理由がより正当化される。そのような社会では三浦さん

https://note.com/msyaan/n/n42e64f3e335e

のような性被害を克服したサバイバーは生まれにくい、かもしれない。


中国では安楽死制度はないけど、死刑囚を積極的に臓器移植に利用しているという疑いある。以下noteの後半の資料を参照

臓器移植からの安楽死は欧州各国(ドイツやベルギー等)で合法化されていて、精神病等の患者が利用している。
単なる逃げ道としての安楽死ではなく、人助けの為の安楽死となると、より死を受けいれる思想が正当化されるだろう。

よっぽど生に執着する理由がなければ、重いハンディキャップを抱えたままでは生きれない。このような社会では障害者や弱者は積極的に安楽死するだろう

そのような社会では、安楽死を申請して、もしも認められないとしたら、『お前の不幸は大した事ない!』という点数をつけられる訳で、

日本は人口減少時代に突入しはじめた。高齢者は安楽死できないまま、死んでいく。病床の汚い老人を観てきた子孫達は思う。
なぜ安楽死が導入されないのかと不満を爆発させる。SNSで安楽死デモ活動をする。リアルでデモ活動する暇はない。消極的安楽死(高度な医療)を受ける為に働いて稼がないといけないので、リアルにデモしてる暇はない。

たぶん
医者が患者の命をもっと軽んじてくれてれば、安楽死制度の議論は前向きに進むと思う

具体的には

人間を助けたいと思うのは畜産動物からみれば傲慢な考え方です。

のような視点を布教させれば、もっと気楽に安楽死正当化できるかと思う

世の中に貢献できない弱者が社会から死ぬような圧プレッシャーを受ける問題、それを忖度する必要なんて全く無いかのように認知させれば…

安楽死制度があるから不況になるなんてのも、必ずしも言い切れないかもしれない。老後4000万円問題の多くは消極的安楽死をする為の医療費であるが、それを稼ぐ為に働いたからって、少子化が進むだけだろう。苦労してる大人を観て次世代が子供を作りたいと思うわけない。安楽死制度ないならないで、ますます少子化構造に拍車が掛かるだけ。

富裕層は海外に安楽死ツアーに行き、資産を海外で消費し、日本に経済的ダメージを与えるだろう。
臓器移植の手術ができなくて死んでいく日本人(治れば将来労働者になるだろう人々)も安楽死制度がない事で失っていくだらう。

結局、安楽死なくても景気は悪化し日本が衰退する未来が待ち受けている

弱者に忖度して安楽死を否定したとこで、どのみち経済的に悪化する日本ではどんどん弱者は生成されていく。

まずもって課題として、日本のマイナスな構造的問題をどう改革していくかに焦点が当てられる

https://note.com/search?q=from%3A%40msyaan 政策&context=note&mode=search


~個人的見解~

弱者への忖度なんかしてる余裕は今の日本にはないと思う
今の自分や将来の自分に安楽死が必要かどうかで判断する。

安楽死あることで弱者らが社会から受ける死のプレッシャーに問題があるとしても、それが問題だと思うのなら生き残って闘えよと思う。弱者になると自己の決定権すらも放棄したくなるのだろうか? そこまで弱者は弱いのか?

本物の弱者とは決定権すらない家畜だと思う。それと比べたら弱者に忖度するなんては正義の視点かな? 弱者であると自認するのなら家畜への加害に関与をしない存在(ヴィーガンやヴィーガニズムを実践している者)でなければ弱者じゃないと思う。




ヴィーガン関連

 
【家畜にすら忖度できないのが真の弱者】【何かに忖度する余裕がないのが弱者】という視点もあると思うが、それって単なるサイコパスだと思う。

弱者の皮を被って自分に都合の良いように問題から逃避してしまう思考を【サイコパス】と表現して良いのであればだが

ここから先は

6,817字

¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?