プレゼンテーション1

直感と論理

論理と直感のいい塩梅(あんばい)

昨日のnoteに引き続き、山口周さんの「NEWTYPE」からの引用です。

「直感」は自動的で高速に働き、努力は全く不要か、必要であってもわずかである。また、自分の方からコントロールしている感覚は一切ない。「論理」は複雑な計算など頭を使わなければできない困難な知的活動にしかるべき注意を割り当てる。知的専門職で高いパフォーマンスを上げるためには、直感と論理の両方をバランスよく使うことが求められている。

私は英語を話せるようになるには、「筋肉の覚えさせる」のがポイントだと言いますが、それは言い換えれば「直感」だし「反射運動」となります。文法的に言語を理解し論理的に組み立てる「論理」の能力が必要なことは言わずもがな。加えて、英語で高いパフォーマンスを発揮したいのならば、「英語の直感」を養うことが大切だと思っています。そういう意味で、山口周さんの言及は語学においても応用可能です。

英語感

その直感のことを英語感とでも呼ぶとしましょう。これを養うのが難しいのです。「あなたの英語感を育む」という英語塾があったら行きたい。中学英語が大事だと言いますが、これはあくまで「論理」の話。大学英語まで含めても、やはり「高度な論理」の域を出ないのだろうと思います。だから、TOEIC850点がせいぜい、英検準1級がせいぜいという水準にとどまってしまう。それ以上に「高いパフォーマンス」を求めるのならば、英語感が必要になってくるというのが私の理解です。

じゃあどうしたら英語感を得られるのか。私の周りで英語感を持っている人の例を列挙します。

・語学学校、語学大学に入って少なくとも2年間は一日10時間以上勉強に専念する。
・海外の大学で博士号を取得する。
・海外で5年以上英語を使った仕事をする。
・幼少期、少年期に海外で育つ。

英語感は才能ではないし、マジックではない

英語感は才能では有りません。先天的なものではありません。魔法のように急に身につくものでもありません。英語感を支えるのは圧倒的な英語の情報量です。量がものをいう。英語感を持っている人のすべてが、圧倒的に英語のインプットを経験済みです。最も効率的なインプット方法はその言語圏に住んで生活をすることです。そしてその言語を使ってもがき苦しむことです。研究の論文に挑戦したり、現地での仕事に使ったりということです。そうすることで、自ずと膨大な英語情報がインプットされ、無意識のうちに英語感が、英語の直感が身につくようになります。筋肉に英語を覚えさせるのです。

論理が安くなる時代

モノが溢れ、役立つものが溢れる今の時代に、相対的に「意義」や「直感」の価値が高まる。

「中学英語が大事だ」というフレーズはミスリーディングだと思います。つまり、中学英語といのは「論理」そのものであって、至極容易に自動翻訳機に置換されます。「中学英語が分かれば英語を話せる!」というタイトル本は、聞き心地は良いですが、将来的価値はありません。その様な「論理だけの価値」は安くなる時代です。

では「中学英語」の価値はどこにあるのか。それは、英語感を身に付ける努力の用意がある人にとって、その基礎になるという価値です。中学英語だけでは価値が無い。しかし、それ以上の習得を望む人にとって「中学英語」の基礎英語は避けるべきではない価値と将来性が確かにあるのです。

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