感想。文学について。


今日は色んなものを見聞きした一日だった。

同じ時期に色々なものに触れると、全てが共通のテーマを持っているように感じる時がある、完全に妄想だろうと思うのだが、もしくは引き寄せているのか。

しかし、食指の伸びるものにしか触れることが出来ない。わたしは、精神のバランスが崩れやすいから、なるべく身体が許すものをと思い情報を制御している。

今日はとても調子が良かった。

感想を全てに書くとあまりに膨大になるため、たくさん触れた中でも二つだけここに記すことにする。





野田彩子『ダブル』


この作品は今日初めて触れたと言う感じではなく、自粛期間中に、KindleUnlimitedに加入して無料作品にあったため一巻は既に読んでいた。


野田彩子先生/新井煮干子先生 の漫画は、何となく手に取ったBL作品から始まって、安定して買って読んでいる。

とにかく人間のかたちをくっきりと描くようなストーリーが上手い。体温が伝わってきそうというのだろうか、自分の息遣いが話の中の人物と重なるのを感じる。

野田彩子先生の描く「2」は本当に鮮烈だ。光と影のような二人がお互いに絡み合って、形を保ったまま融けていくのを読者はただ見届ける作品が多い。

影は光に劣等感を抱き、光は影に憧れる。ものすごい斥力である。

全く違うのに、シンクロするようなバイオリズム。読んでいて、憧れるような、それでいてどこか読者は二人の間から閉め出されるような感覚になる。


今作の『ダブル』もそんな、あまりに密な二人の話である。多家良(たから)と友仁(ゆうじん)という二人の役者の話なのだが、先述した中で表すと、多家良は光、友仁は影だ。

役者として見出されていく多家良の影として、代役やサポートを務める友仁。お互いがお互いに依存し、お互いを留めようとする。その実、二人の世界は進んでいるのに、だ。

二人の圧倒的な人間関係の斥力!恐ろしいほどである。読者は内在しているのに遠ざけられる。未読の方は、是非読んでみてほしい。



牧村朝子『ハッピーエンドに殺されない』



牧村朝子さんの記事を読んだ。

高校生の頃、わたしが自分のジェンダーやセクシュアリティに悩んでいたときに出会った方だ。

以前に、脱婚の話を書いたがその方だ。


今回の記事は、「LGBTの当事者でない者が、LGBTを研究すること」についての質問に基づいたものだ。


わたしは、大学でゲーテの卒論を書いた。

ゲーテの作品の中に出てくる男装や性別未分化、いわゆる文学で言うところの両性具有についての卒論だった。

わたしはその作品の中の、両性具有たちにおそらく自己投影をしたり、憧れたりしていた。

文学的な話で論文を書くというのが、自分の傷に触れるきっかけになりうるというのは、自分自身でも実体験として分かるところだなあと思った。

「キレましょう。流れ出る自分の血をインクに、書きましょう。あなた自身の言葉で。」

記事中の言葉であるが、わたしが文学に卒論を書く意義を見出したのは、これができるからだ!と思った。

わたしたちは、なにを幸せとするのか?

社会の前進?社会の幸せ?

否、わたしはわたしの幸せを全く生きることを幸せとしたい。

「文学とは人生の標本だ」

わたしの恩師が言った言葉だ。

わたしはわたしという人間を幸せに生かすために文学を学ぶ。

化学やテクノロジーや物理学なんかじゃ、その幸せにはきっと到達できない。そんな幸せへ到達できる可能性が、文学にはあるのだ。


長くなった。今日はここまで。

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