人は誰でも、自分以外のなかとの関わりで自分になる
マルティン・ルター 1483〜1546年
人は誰でも自分以外のなかとの関わりで自分になる。
私たちは家族か友人など身近な人との関係で自分になる。
関係がギクシャクすると不安になり「私」とは何かと、問うようになる。
不安になるとは
キリスト教では「罪」
キリスト教としての「罪」とは理想の自分になっていないこと。
自分が自分であることは「罪」ではない。
自分が作ったものに従う自分→神の作ったものに従う自分。
ここで
自分自身であろうとする自分と神に従うべき自分が分裂して
自分自身であることに後ろめたさを感じる「罪」を感じる。
ほほう、よくわからんが、宗教って怖い!
って感じ!
怖いってのは「罪」って言葉が人を呪うような気がするんだよねええ
フランシス・ベーコン 1561〜1626
「知は力なり」
私たちはなぜ学ぶのか
そもそも「フィロソフィー」とは「知ることへの愛」という意味。
アリストテレスは「人間は知ることを愛する生き物」だと考えた。
根拠とするのは
人がなんでも見たり、聞いたりしたがる点だ。
私たちが生きる必要を超えて知ろうとしてしまうからだ。
知ること自体が快いからではないか?
学ぶとは相手に従うことで、逆に支配し、味方に変えてしまうこと。
勉強が大変だと感じるのは相手を自由に動かせないからだ。
勉強した内容は私たちの味方になってくれる。
出発点はいつでも無知からである。
こりゃあ
面白い言語化だと思う。
味方に変えるという言い方はすんごく優しい。
トマス・ホッブズ 1588〜1679年
人々がお互いに暴力をふるっている。
↓
約束をして一人の人(国家)に権力を委ねる。
↓
国家に支配されるけれども、その方がマシだ。
ルネ・デカルト 1596〜1650年
疑う気持ちはいいの?悪いの?
答えはイエス。
疑い抜くことで人は自分自身の心に初めて正面から触れられる。
言い方を変えれば
疑うことで人はようやく、自分自身になる。
これは、これこそは「主体性」を大切にするということだ。
ジョン・ロック 1632〜1704年
どうして働かなきゃいけないの?
人が約束をして国家を作ったという考えを「社会契約論」と呼び
ロックが注目したのは「所有」という事だ。
働くとは自分が作ったのではない世界の中で
「自分のものを得ること」だ。
よろぴく!