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好きなように生きれたら自由ってこと?

イマヌエル・カント 1724〜1804年

好きなように生きれたら自由ってこと?

腹が空いたら飯を食う
嫌な上司を殴る!
ゴミをどこでも捨てる!


なんか違う!

人間は時にひどく暴力的になるし、咄嗟に何をするか、わからなくなる時がある。

そんな嫌な自分は本来の自分ではない。
理性が勝っている時が本来の自分だとカントは言う。

真の自由とは、自分で自分の正しさを決めることだ。
自分でルールを作り、それに従うことこそ自由だ。

欲望の自分
(自分自身でも困ってる)
VS
理想の自分
(自分で正しいと思える自分)


理想の自分が本当の自分だとカントは言う。

常にどんなことがあっても〇〇をせよ!
命令じみたことが道徳だとカントは考える。

常にということは無条件ということ
正しいと思ったら、損だろうと徳だろうとそれをする。
だが〇〇の部分は自分で決められる
〇〇の部分は他人には決められない。

ジェレミー・ベンサム 1748〜1832年


楽しいことだあけを目指すのは悪いことなのか?

何が前で何が悪いのか、どうやって決まるのか
快楽という言葉はどこか、背徳的
何故か
静的快楽を思い浮かべるからだ。どんな生き方が幸福か

ベンサムは人々が気持ちよく感じることこそ幸福だと考える。

つまり、快楽だ。
快楽が何か罪深いことのように思ってしまうことを単なる迷信として退け、快楽を最大に実現できる社会を目指す。

ここで政治や法律が登場し、高い税や厳しい刑罰があるため、個々の快楽を最大に苦痛を最小に人々は選ぶ。

政治や法律を変えれば良くなる。
「功利主義」
人が自分の正しいと思ったことをする自由(カント)

人が最大に楽しくなれる社会を目指す。

カントの考えた道徳とは人は常に自分の義務を果たすべきだが、その義務が何であるかは自分で決めるということ

欲望のままに決めた自分は本当の自分なのではなく義務を決める自分が本当の自分だということ

しかし、ベンサム思想は気持ちよさを目指すだけで浅い人間観
見る人がいますが、そうした批判は古い道徳かんに縛られているのかもしれない。

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