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お義母さんからの差し入れ

9/16
✍️旦那さんのお義母さんが食料やお菓子、お酒などを大量に差し入れしてくれた。
旦那さんにリフォームの件で世話になったからと言う理由だった。
旦那さんは現場関係の仕事をしている為、現場関係者の知り合いもいる。
そなため知り合いにお風呂のリフォームや外壁塗装の手配をしてくれたそうだ。
そして一悶着も二悶着もありながらも無事昨日全てが完了した。
このような取り留めのないやり取りを私は1年前までは嫌悪感いっぱいに眺めてはイライラしていた。
何がそんな気にいらなかったのかと言うと、良好な親子関係が羨ましかったのだ。
程よく距離もあるが、必要性があればお互い寄り添い、しかしお互いが自立しており思いやりを持って言葉を掛け合う事が出来る。
信頼し合っている。


正直羨ましかったと言う感情の根底には、私もあんな風に愛されたいと願い続ける幼い頃の私が存在していたのだと思う。
私はいつも努力していた。
愛されるように。
困らせないよう、イライラさせぬよう、母が望む子どもでありたかった。
その為にいつも何かしら褒められるように、母が喜ぶように無意識に行動していたように思う。
だからいつも好きなように生き、自由なのに愛されている旦那さん(当時、私にはそう見えていた)が羨ましくて仕方なかったのだ。


この気持ちにたどり着くまで5年と言う長い月日を要した。
しかし、私は自分の中にある幼き自分を見つけ出すことが出来て本当に良かったと今では旦那さん親子に感謝すらしている。
ここまで辿り着くのに簡単な道のりではなかったが、向き合う選択をした事に後悔はない。
これらに気づくまでの私は旦那さんの甘えているような態度を毛嫌いし、お義母さんのやる事なす事に腹を立て、全ては自立し合ってないこの親子のせいだと本気で思っていた。
しかし、それは違う。
過去に囚われ、親から自立出来ずに居たのは私本人だと気づかされた。
そして今まで嫌うと言う最も安易な逃げ道を選択をしていたようにも思う。
人間関係、例えば仕事や友人、義実家、親戚、夫婦、子ども、さらには自分と母や父の親子関係すらも全ての悩みの答えは自分が蓋をし続けてきた自分自身の中にひっそりと潜んでいるのかもしれないなと感じた。
悩みやイライラをこのままにしておくのか、はたまた何とかしたいと行動し始めるのか。どうしていきたいか、いつ向き合うのか選択するのもやはり自分自身なのだと私は思う。
自分がしたい選択をした結果、今では素直に甘えたりが多少出来るようになった。


この日もお義母さんに連絡し娘を預けて少しゆっくりする時間をとった。
そして、晩御飯の差し入れまで家まで運んで頂くと言うあり得ない甘えっぷりと厚かましい精神を手に入れたのだ。笑
お義母さんの気持ちを素直に受け取ることが出来る余白を自分の中に設けることが出来たからかもしれない。
しかし、お義母さんにイラっとする気持ちはゼロとまではいかないのが現実だ。笑
とは言え、以前より格段に良い嫁姑関係を築けているのは紛れもない事実である😊

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