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死ぬほど安全で死ねない空間

お恥ずかしながら2月に急性アルコール中毒でぶっ倒れまして、精神病を患ってたこともありかかりつけの精神科で任意入院し四日だけ過ごしてきました。点滴を受けて即日帰宅も出来たのですが体調面で不安があったのと、精神病棟なんてなかなか体験できないぞというよこしまな好奇心で少しだけお邪魔しました。入院生活で色々感じたことをぽつぽつとメモしておきます。 まずベッドに運ばれて早々、身ぐるみ剥がされる。自他を傷付けられるような物品を所持していないかどうかのチェックのためだろう、スマホ含めてあ

    • 星が降る音を聴いたことがある

      中学生くらいの頃だろうか。夜中に散歩する習慣があった。大変なド田舎在住で当時は電灯などもほとんどなく、公害が少ない環境なため星がよく見える。天の川だって肉眼で見えるし目を凝らせばアンドロメダ銀河も見える。天体観測が好きな私には欠かせないルーティンだった。 ある日、暗い田舎道をとぼとぼ歩いていたら、聴き馴染みのない音が背後からした。なんと例えたらよいだろう。昔のことすぎて記憶も不確かなのだけど、空気を振動させたようなゴオッ……というくぐもったような不明瞭な音が聴こえた。ような気

      • 性と恋愛のなぞ

        あけすけに言ってしまうと、最近性欲が凄まじい。私は元々淡白な方であると自認しているので(人生で一度も自分を慰めたことがない)、おそらくホルモンバランスとかそういう周期的なものだと思う。だけれど私はこのホルモンバランスとか言うものをとても憎んでいる。それ故にそれに精神を振り回される自分が憎くて仕方がない。己の性を気色悪いと感じる。これは別に他人には適用されない憎悪なのでそれきっかけで人間関係が壊れたことはないが、圧倒的に生命の根幹に根付いたそれに敗北したことはある。 同性を好

        • 病という怪物と好きなゲームの話

          放置された吐瀉物入りのバケツ、溢れているゴミ箱、大量のワンカップの空き瓶、分別されないまま山積みになったペットボトル、閉め切った煙草臭い遮光カーテン、一年以上干してない湿った布団、デスクに散乱する精神薬の群れ、注文したきり未開封の荷物たち、何日も風呂に入れないでいる私。そういうものに囲まれたまま、それでもなんとか生きてはいる。生きているというか、息だけはしている。これでも昔は潔癖すぎるほどの綺麗好きだった。けれど精神の具合が悪くなるにつれて何もかもできなくなっていってしまった

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          夢日記と明晰夢と目覚め方

          文字を書き始めるのが比較的早い子供だった。そして文字を書けるようになって最初に習慣化したことは、夢日記を書くことだった。いまだ手元に最古の夢日記が残っているので、幼い頃の私は夢の中でピンク色のイルカに乗って海を泳いだことを覚えている。よく動物図鑑のイルカのページを見ていたのでブームだったんだろうな。この夢日記をつける習慣は二十歳を超えるくらいまで続いたので結構な年月夢日記を付けていたことになる。よく夢日記をつけると気が狂うなんて噂があるが、私が自分が発狂してることに気付いてな

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          極限まで限界の生活

          生活がだるい。だるくて仕方がない。睡眠以外のすべてがだるい。そんな限界人間でも生きている限り生活はしなければいけない。なら極力楽にしよう。手を抜こう。という堕落した人間のオススメする生活グッズを綴っていきます。本当に最低限の人権あるかどうかギリギリのラインなのであまり期待しないで下さい。 ■全身シャンプー 頭、顔、身体を洗うのがこれ一本で済む。生活で一番だるさを感じるのが風呂なのだが、本当にへろへろの時はシャンプー、トリートメント、洗顔フォーム、ボディソープを使い分けるのす

          極限まで限界の生活

          ツイッターはアパート

          ツイッターは、アパートのようなものだと思っている。各々がアカウントという一室を借り、生活を綴るひとがいれば画展を開いているひともいる。友人を呼んで楽しげに騒いでいるひともいれば鍵をかけて静かに暮らしているひともいる。常に何かに怒っているひともいれば毎日泣いているひともいる。そんな多種多様な人々が垂れ流す生活音が壁越しに聴くことを許されている。そういうSNSだと思う。 一人暮らしをしていると、隣人が帰宅した靴音、微かなテレビの音、洗濯機を回す音、小気味の良い包丁の音などが聴こえ

          ツイッターはアパート

          初恋の墓標

          私が過ごした田舎の小学校は、一学年が二十人未満という小さな小学校で、クラスは当然ひとつしかなかった。六年間ずっと同じメンツで過ごすことになる。そんななか私は、ひとりの女の子に生まれて初めて恋心らしきものを抱いた。六年間ずっとその子に一途だったのだが、初恋とはやはり儚いもので、また私と彼女は同じ性別ということもありそれが実ることはなかった。彼女は所謂クラスのマドンナ的な才色兼備な少女で、それはそれはもうクラスの誰も彼もが彼女のことを好きだったけれど、彼女の心を射止めたのはその子

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          手っ取り早い幸福のなり方

          自分の機嫌は自分で取れ、なんて言葉を最近よく聞くが、難しい話だと思う。容易く自分で制御できるものなら苦労しない。そう言い切れる人はまだ病的な衝動というものに出会ったことがない人ではないか?とすら思ってしまう。私は多分他人から見れば病的に映るであろう自罰感情やら破滅願望に振り回されている。それでも最近機嫌の取り方が少しずつだが分かってきた。アラサーになってやっとかという感じでお恥ずかしいのだが、私はどうやら雨の日は機嫌が比較的良いらしい。低気圧のせいで具合を悪くしてるひとをよく

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          甘い物は幸福の象徴

          何歳の頃だったろうか、ひとりでホールケーキを食べたいと強請り続けたら誕生日に小さめのホールケーキを食べさせてもらったことがある。 私には姉がおり、誕生日は姉と一日違いだ。私のほうが一日だけ早いが、毎年大体私の誕生日に姉も一緒にお祝いされる。幼い私はそれが自分だけの特別な日ではないことが嫌だったのだと思う。だから自分だけのケーキをホールで食べたかった。実に幼稚な反抗心だと今になって思うが、そのホールケーキをひとりで食べさせてもらった時の感動は今なお私の中に残り続けている。考えて

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          百合の花の官能と少女性

          百合の花の匂いが好きだ。一見してほっそりと白く楚々とした見た目であるのに、濃厚で芳醇で官能的な匂いがするあの花が好きだ。 家人の誰かが玄関に飾ったらしい百合の花は、甘ったるく誘惑する毒婦のような香りで私を出迎えてくれる。毒婦に誘惑されたことなどないので想像に過ぎないが。一瞬にして私は庶民的で散らかり気味の玄関から夜のお店にでも来たかのような白昼夢に誘われる。百合の花粉は衣服に付着するとなかなか落ちないのも女性の化粧品のようでドキドキする。そんな成熟した女性のようなイメージがあ

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          わさびを受け入れよ

          わさびが食べられない。米粒程度でも口にすると吐き気が込み上げてくる。じゃあ食べなきゃいいだろうと言われればまあそうなのだけど、私の好きな食べ物は何かと問われたら迷わず蕎麦!寿司!ローストビーフ!と答えるだろう。そう、すべてわさびが薬味としてマッチする料理だ。みながわさびを付けて食べる料理を私はつけないで食べている。これがずっと私は損をしているのではないか?という思いを湧き上がらせる。お店で出されてもよくついてくるのだから、マリアージュ的な組み合わせなんだろう。多分。そこに辿り

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          死にかけた時に脳内を駆け巡ったこと

          何年か前に交通事故に遭ったことがある。車に乗ってたらスマホ運転をしていた対向車がセンターラインを越えてきて、真正面から勢いよく衝突した。ぶつかる、と思ってから衝撃が身体を貫くまでの間、私の頭にはたったひとつのことだけが思い浮かんできた。 何も残せない虚しい人生だったな、という後悔と虚無感だった。 事故の瞬間はスローモーションに感じられるというのは本当だった。回避できないと思ってから衝撃が来るまでの時間はとてもゆるやかに流れていて、ただ後悔だけが脳をたっぷりと満たしていた。

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          フィクションで少し美しくなる世界

          雪国生まれのためか、雪は身近で、それでいて嫌なものだった。寒いし濡れるし滑るし積もった雪は重い。溶けかけで踏み潰された雪はべちゃべちゃと泥のような色に濁る。幼少期、冬はいつも鬱屈とした気分で過ごしていた。視野が狭い子供の頃は冬が好きな人なんてこの世にいないだろうと信じ込んでいた。 何歳くらいだったか正確には覚えてないが、多分12歳くらいのことだったと思う。「花帰葬」というゲームと出会った。ゲーム屋で見かけたPS2版のパッケージに一目惚れして衝動的に買った。結果、生涯において

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          言語能力は空を飛ぶ能力と同じ

          好きな歌がある。旋律や音作り、歌声などももちろん美しいのだが、一番好きなのは歌詞だ。そこには質感や温度さえ感じるような言葉たちが綴られている。固かったり柔らかかったり、暖かかったり冷たかったり、埃っぽかったり無機質だったり。言葉一つに五感が刺激される感覚が私は好きだ。小さい頃から言葉というものが好きで、愛読書は国語辞典だった。知らないけれども美しいと思った言葉が載っているページにドッグイアを付けるといったことを繰り返していた。それでも私の言語能力は特段優れているわけではなかっ

          言語能力は空を飛ぶ能力と同じ