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耳をすませばの話

ジブリ往年の名作「耳をすませば」を観たことがある人は多いと思う。

大人になってから観ると、主人公・雫と天沢くんのあまりに青いさまざまな選択に不安になるし、この2人、十中八九すぐに別れるんやろなぁと思うし、たとえこのまま続いたとして中卒バイオリン職人が将来それだけで食っていけるようになる確率…とか、たとえ成就したとしても生活きっついやろなぁ…とか、うっかり現実のことばっかり考えてしまう大人はわりと多いと思う。火垂るの墓なんかも大人になってから観ると西宮の親戚のおばさん目線で観てしまう人が多いって言うし。

そんな青の名作耳すまを、私は主人公と同じ年齢で初めて観てしまった。

確か、中学校で観せられたんだと思う。一体なんの授業をすれば耳すま鑑賞に至るのかは記憶にないけれど、全校生徒だか学年だけだかが集められて体育館で観たような気がする。あれは一体なんの授業(?)だったんだろう…。

それはさておきあの作品を主人公と同じ年齢で観てしまうとどうなると思う?

A.どっぷりと影響される

元々が多感な時期じゃないですか。舞台も普通の中学校で、日本の各地で見られるような住宅地で、まあ、バイオリン職人を目指す男子とそのおじいさんが経営する骨董品屋はありませんでしたが、没入しやすい舞台であったことは間違いないわけです。

その結果、まんまと私は小説家になりたいと思い、黙々とおはなしを書き、カントリーロードをTSUTAYAでレンタルしてみたり休日にはチャリンコで図書館に通うなど、非常にわかりやすい影響を受けてしまったわけです。ああ、思い出すだけで恥ずかしい。

思春期に自己投影しやすい作品に出会うとこういうことになるわけです。
とはいえ、この時に抱いた小説家になりたい(から、若干変化して文章を書きたいになりましたが)の思いは一時のものではなく、それを目標とした結果ライター職も経験できたのであながち黒歴史とも言えないのかもしれない。

今観ると青すぎてムズムズが止まらない作品ではあるものの、自分の人生に大きく影響を与えた作品であることも事実。そういう意味で、ジブリの中で一番思い入れのある作品なのです。

(でもそれをおおっぴらに言うのはなんだかちょっと恥ずかしい)

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