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彗星

 天文学者たちによって世界の滅亡が宣告された。彼らの計算は、彗星がこの惑星に衝突するのがほぼ確実だとはじき出したのだ。それが衝突すれば生物のほぼすべてが絶滅するという。運動法則や万有引力の法則に誤謬がなく有効で、天文学者たちの計算が完璧であればの話だが。まあ、そこに間違いがある確率は万に一つ、宇宙空間において任意の彗星が任意の惑星にジャストミートする確率よりかなり低いということだった。
「衝突といいましても」と記者会見の壇上で天文学者たちのリーダーは言った。「それは三十年も先の話ではありますが」
「それでも」と記者の一人は言った。「衝突は確実なのですね?」
「はい」天文学者はゆっくりと確かめるように頷いた。「それは確実です」そして咳払いをした。「とは言いましても、何も手を打たずに、なすがままにするというわけではありません。様々な方法で、彗星の衝突を回避する計画を立てています」
 その計画はかなり専門的な用語のオンパレードではあった。おそらく、それを聞いたほとんどの人が理解できなかったであろうが、かいつまんで言えば、なにがしかの物理的な衝撃を彗星に与え、それを破壊するか、少なくとも進路を変更してもらうか、ということだった。
「では、なにも心配はないということですか?」と記者。
「我々は最大限の努力をします」とだけ天文学者は答えた。そして会見は幕を閉じた。
 翌日からも世界は、それまでと変わらなかった。株が売り買いされ、誰かが誰かの答案を盗み見、どこかで赤ん坊が飢え死にした。そして、遥か彼方では彗星が確実に進んでいた。
 ある日、公園を散歩していた天文学者は、そこで男の子に呼び止められた。記者会見で話して以来、見知らぬ人に話しかけられることが多くなった天文学者はにこやかにそれに対応した。
「おじさん、学者さんでしょ?」男の子は言った。
「そうだよ」天文学者は答えた。
「彗星がぶつかるって、ホント?」
「ああ」と天文学者は頷いた。「でも、心配しなくて平気だよ。おじさんたちがどうにかするから」
「もしかして」と男の子は俯きながら言った。「ぼくがこの世界なんて滅んじゃえって願ったからかな?」
天文学者は微笑んだ。「違うよ」天文学者は言った。「これは誰のせいでもなく、そうなるべくしてそうなっているんだ」
「そうなの」
「ああ」天文学者は頷いた。「ところで、なんでそんなことを願ったんだい?」
「試験の点が悪かったんだ」男の子はため息をついた。「あれをお母さんに見せるくらいなら、世界が滅んじゃった方がましだよ」
 天文学者は声を上げて笑った。男の子はそれをじっと見ていた。 恨めしげな顔である。
「ごめんごめん」天文学者は謝った。「おじさんも君くらいの年の頃は国語が苦手でよく赤点をとって叱られたものだ」
「ぼくは数学だ」
「できるようになるさ」
「ホント?」
「君がそう願って努力すれば」
「でも、願っても、そうなるべくものはそうなるべくしてそうなるんでしょ?」
 宇宙空間を、彗星はそうなるべき進路をとり、着実に惑星との距離を狭めていた。

No.155

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