ゆるふわポエムレビュー#2 最果タヒ「ゆめかわいいは死後の色」

好き度:★★☆☆☆
〝好きなひといるよね、わかる(わかるとはいってない)〟


「いま」の現代詩を語るうえで避けて通れない女流詩人、最果タヒ。
最初に謝ります、ごめんなさい。
あんまり好きじゃないです。


なんだろう~、なんかこう拗れている感?うつな感じ?が苦手というかなんというか…
めちゃくちゃ流行っているのは肌で感じているのですが!
詩とか全然読まない人からも「あれは知ってる」と必ず名前が挙がる最果タヒさん。
読まないわけにはいくめえと手に取ってみるのですが、ンンン……ンンンン……


でも。でもですよ。
「わからないし共感できない」って感想だって立派な感想ではありませんか!?
結構、今の現代詩を読んで「わからないし共感できない」って頻繁にぶち当たる壁だと思うのですが、それでもいいんだ、それも含めて詩の面白さなんだよってことはぜひ伝えていきたいことではあるのです。何様~?超うける。
なので今回、はりきって最果タヒさんの詩を読んでいこうと思います。



取り上げるのは、『夜空はいつでも最高密度の青色だ』より「ゆめかわいいは死後の色」。
なぜこの詩集を取り上げるのかというと、昨年映画化されたというキャッチーな理由ではなく、単純に私が一番はじめに手にした最果さんの詩集だからです。
その中で、あんまり共感できない中で、唯一「なるほどね」と思ったのがこの作品、というよりこのタイトル。「ゆめかわいいは死後の色」。
死後の色。なるほどね(?)
「ゆめかわいい」ってアレですよね。原宿系。ピンクとか紫とかミントグリーンとか、ユニコーンとか恐竜とか。インスタ映えする綿菓子のやつ。きゃりーぱみゅぱみゅ。大丈夫?知ったかできてる?
まあそんな感じの、それは死後の色。死後の色とか見たことないですけど、なるほどって感じする。そうかもな、みたいな圧力。前回も私タイトルで圧を感じるみたいなこと言ってましたけど、そういう芸風?作風?が好きなのかもしれない。


死後の色といっても、「死後(の世界)の色」というわけじゃないかもしれない。
「カワイイが死んだあとの色」とか。
「カワイイ」でくくると語弊があるかもしれませんね。「(キラキラした感じの明るい理想)が死んだあとの色」みたいなイメージ。
いや、やっぱり自分が死んだあと行く世界の色のことかもしれない。どっちだろう。
どっちでもないかもしれませんけどね。


二連の短い散文的な詩です。
「きみが、あの子をかわいいと言う根拠が、/ただの劣等感であればいいのに。」から始まる冒頭。これだけで一連。
二連は、死んでも意味があるとかきれいとか、それに憧れているような描写や、「生命感があふれるひとほど、フィクションに見える」という視線、死ねという過去の私などが脈略無くつなげられていくような書き口です。
きみ、あの子、わたし(語り手)が出現しますが、基本的には“わたし(語り手)”を語っている詩のようです。
最後は、「きみをなでる透明の風に、いまさら、なりたくなんてない。」と拒絶で締めくくられる。


う~~~~~~ん・・・・・・・・・・・・


きっと“あの子”は「きみをなでる透明の風」みたいな子で、“わたし”は「ゆめかわいい色」をまとった子なのでしょうね。
“きみ”を巡る関係において、“きみ”は“あの子”を「かわいい」と言うけれど、“わたし”は“あの子”のような透明にはなれない。
そして“きみ”の「かわいい」という評は、劣等感の結果であれば良いのにと願っている。“きみ”も「ゆめかわいい」の側であればいいのにと願う。
だからきっと、これは嫉妬であるのだけど、それを素直に頷かなさそうな“わたし”の一貫した「ゆめかわいい」へのプライドが、詩の全体を支配している感じがする。
自分を認められていないようでもあるし、それが結末の拒絶へ向かっている気がする。
一言で言うと、「めちゃめちゃめんどくさそうな女の子」である。できれば関わりたくない。
でも、こういう思春期の女の子特有のめんどくささが好きな人って一定数いますよね。女性も男性も。
そして「めんどくさい女の子」も、いるいる~、って感じ。
この「めんどくささ」が「かわいさ」であるのだろうし、そこはわからないこともないなって思います。


この拗れた心情の表現に、文体があまりにも自然にマッチしているのが、最果さんのすごいところだなあと感じます。
最果さんの詩って、語彙が自然なのです。無理がないというか。
そこにタイトルのような圧のある表現を差し込まれるので、ドキッとさせられるのでしょうか。


雨と瞳の描写はたくさん考えたけど結局意味がわからなかった。
これなんなんだろう。世界の一部みたいな表現なのかなあ。



『現代詩手帖』の特集で、谷川俊太郎さんと最果タヒさんの対談を読んだことがあるのですが、そのときに最果さんが「嫉妬や怒りなどコントロールできない感情、隠したいけど隠しきれないもの、そういうのが魅力的でいいと思っている」的なことをおっしゃってたんですね。
人間的であり、文学的(特に小説的)であり、少女漫画的でもあり、カルチャー的なもの。
それが最果さんのポエジーで、そのポエジーが多くの人に受け入れられているのかな、と思いました。
「ゆめかわいいは死後の色」も、このめんどくささがとても人間的で、だからこそ愛しいと思う人がいる……のか……?私が好きじゃないからよくわからないですけど……。
でもそういえば、私この「ええ…めんどくさい……ズバッとやってバッてなったらええやん……(?)」という読後感、すごく覚えがある。中原中也を読んだときに似ているのです。そう思うと、この「めんどくささ」はポエジーの極みであるのかもしれない。しらんけど……。
好きじゃないし、わからないけど、どうなの?って考えること自体は結構おもしろいです。
そうやって、「わかんないな、うーん」って考えること自体が、詩の楽しみ方になっていくんじゃないかなあ?と思っています。



余談。
この『夜空はいつでも最高密度の青色だ』の本の帯に、「現代におけるポエジーとは?ひとつの答えがここに。」って書かれていたんです。
帯の本旨は置いておいて、「ポエジー」。
「ポエジー」って、ざっくり言うと「詩題になりうるもの」というような意味かと思うんですが、本来の用法はそれはそれとして、「エモい」とか「カワイイ」みたいな広い意味の使われ方も、最近しますよね。
私はこの広義の「ポエジー」がすごく好きで、ぜひ積極的に使っていきたいと思っています。それめっちゃポエジー。なにかがきっかけで流行りませんかねー。流行るといいな。



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会場:「回遊Cafe#204」(大分県大分市 府内町2丁目4-5 若竹ビル2階)




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11:00~17:00(最終日~16:00)
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