自分の味方でいること
前に、結婚していたとき、一度も定職には就けなかった。
とても悔しかった。
しかも、当時はまだ20代だったが妊娠できなかった。
私は行き場を失い、荒れ、夫婦関係は壊滅状態になり、離婚した。
離婚後、私が一番好きな街に引っ越した。
海が見え、学生時代と新卒時代を過ごした場所。
新幹線がとまる駅に近く、いつでも地元の岡山に帰れる便利な場所だった。
そこで、前から興味のあった分野の外資系企業に派遣で入職した。
経験を活かせるものの、派遣であったため、プロジェクトを任されることはなく、とても退屈をしていた。
その退屈を打破するため、仕事以外のことにも興味を持つようになった。
それは、イベントのボランティアスタッフ。
地球環境や貧困問題などに取り組む団体が集まるイベントのスタッフになることにした。
もちろん交通費以外はすべて無償、ボランティア。
当時の勤務先は、経営方針から派遣から正社員への切り替えは難しく、さらに業績も下降気味で、いつ切られても不思議ではない状況。
貯金もあったため、退職し、ボランティアに時間を使いつつ、就職活動をし、転職した。
転職先は大きな研究機関の独立した部門。
その部門ではある中堅の研究者が我が物顔で振る舞い、牛耳っていた。
当時の私はまだ若く世間知らずで、わりと思ったことを躊躇なく言ってしまうところがあったため、その教員に目を付けられ、パワハラを受けるようになってしまう。
それで心が疲れた状態で、遅刻や欠勤を重ねつつ、怒られつつ、どうにか日々を過ごすようになる。
そうこうしていたら、自分の所属するボランティア団体の代表が経営する会社が、求人している話を聞く。
その会社は貧困地域から適正な価格で製品を輸入し、日本国内で販売するフェアトレード製品を扱っている。
ボランティア団体の代表にはよくしてもらっていたし、時々飲みに連れて行ってもらう間柄。
私は業務内容をしっかり確認せずに転職してしまう。
転職してみたら、これまでとは全く畑違いの職種で、すぐに滅入ってしまった。
それと同時に、信頼していた代表の人柄にもやや問題があることが発覚。
長くその会社で働いていたパートさんたちからこれまでの代表の言動や不正を聞かされ、紆余曲折あって人間不信になり、最後は出勤できなくなり退職する。
すべてを失ってしまう。
マイルドな引きこもりとなり、ハローワークに行くのすら、1か月かかった。
それから、8か月、鬱屈とした日々を過ごした後、今度は大きな研究機関に派遣で就職する。
大がかりな研究プロジェクトのサポートに入るが、入社2週間でそのプロジェクトチームは解散。
私を採用した目的はプロジェクトチームの進捗状況を上に報告させるため。
その研究機関の上層部が、上がってきた報告から進捗状況がかなり遅れていたことが発覚したため、チームが解散となった。
その進捗状況の報告をしていた私は、チームの一部のメンバーからとばっちりを受けてしまい、私はまた病んでしまう。
そして、出勤できなくなり、退職。
再び無職となるが、今度は気分を早々に切り替え、それまで行けていなかった近所の観光地や自然あふれる場所を回って過ごす。
次の再就職では派遣からどうにか正社員までこぎつけるが、紆余曲折あって退職。
退職後もいろいろとあって、お金が無くなってしまい、やむを得ず実家に帰ることとなる。
もうこの時点でおなかいっぱいなくらい紆余曲折がありすぎる。
ついでに、婚姻中もいろいろありすぎた。
実家に帰って地元での生活がはじまってからもいろいろ起きている。
とりあえずアルバイトをはじめ、貯金をし、ひとり暮らしを再開する。
と同時に、自分のキャリアを補強する分野を学ぶため、地元の大学に入学する。
入学すると授業が忙しくなり、やむを得ずアルバイト先を大学近くに変える。
新しいバイト先は、めちゃくちゃ人間関係が悪すぎて、そこの人間関係の問題に巻き込まれる。
どうにか、1年以上耐えるが、その間にたくさんの人が入れ替わり、やがて私もそのアルバイト先から追い出され、無職になる。
無職になった時期が新型コロナウイルス感染症の感染拡大の時期と重なり、予定していた転職先には転職できず、転職活動は難航、長期間ニートになり、今に至る。
で。
最初の頃の研究機関でのパワハラやフェアトレードの会社でのトラブルの時はうつ状態になっていて、家から出ることも難しかったが、今回のニートはそこまでうつ状態はひどくなっていない。
そもそも直近のアルバイト先でもずっとトラブル続きだったが、そこの人間関係のトラブルに巻き込まれた人がどんどん辞めていったにも関わらず、私は最後までほとんどメンタルを壊さずに生き残った。
それは、なぜか。
前の時は、自分自身を責めていた。今回は責める時や反省することはゼロではないが、必要以上にそれをしなかった。
数年前にメンタル系の自己啓発や心理学系の本を読み漁りまくって、職場でトラブルがあっても乗り切るための心構えを学び実践した。
なぜ、自分を責めなくなったのかというと、
どんなときでも自分の味方をすることにしたからだ。
どんなことをしても自分の味方でいる。
自分を全肯定する。
なんなら、自分責めをしてしまう自分すらも、しょうがないよね、って肯定する。
何があっても自分の味方でい続けるのだ。
まるで親友のように。
それをし続ければ、落ち込むことはない。
仮に味方がいなかったとしても、自分だけは見捨てない。
自分が見捨てられていないと思うとどれだけ救われるか。
思い返せば、結婚していた頃の私は、ずっと自分のことを卑下し、無力で夫にすがって依存して生きていくしか術はないと思っていた。
強烈な無価値感から、死ぬことも考えていた。
が、おもいとどまった。
だから今がある。
当時住んでいた、名鉄の最寄り駅のホームでぼーっと死ぬことを考えていたとき、知らないおばあさんに話しかけられ、気持ちを持ち直した。
ある時は通行の多い道路に飛び込もうとしたりもして、精神状態はめちゃくちゃだった。
生きていれば何とかなる。
思いとどまればその先がある。
死のうと思ったとき、無職になったとき(あ、今もだ・・・)、
人生に絶望していても、
生きてさえいればなんとかなる。
もちろん正常な判断ができないくらい疲弊していてはどうにもならないが、
そうならないためにも、自分自身の味方でいること、
自分を全肯定し続けることはとても重要だ。
ある有名カウンセラーが作詞作曲した歌の中で、育児中のお母さんたちに向けて
「子供叩いてもいいよ~」
というフレーズがあって、ネットでたたかれていたのを何回か見たことがある。
もちろん子供はたたいてはいけない、虐待となるような暴力はあってはならない。
しかしながら、叩いてしまったお母さんのほとんどは自分を責めてしまう。
叩くことは一例に過ぎないが、そのような自分の至らなさを見つけ、自分を責め、どんどん自分を追い込み、場合によって自死を選ぶ人だっている。
あの歌の真意は、つい子供に手を出してしまったなど、なにかしら母親として至らないところを責め、悩み苦しんでいる母親たちの心を救うためでもある。
手を出さなかったとしても家族にイライラをぶつけたり、理不尽に子供を怒ってしまったりするなど、何もなく菩薩のように過ごせる人なんているんだろうか。
真面目に生きてきて、精いっぱいやっていても自分の非を見つけては自分を責めてしまう親に、そうやってしまうのも仕方ないよねって、そういってあげることで思い詰めてしまうのを少しでも和らげるために書いてある歌詞だと私は解釈している。
どんな自分でも、どんなことを言っても、どんなことをしても、ずっと味方でい続けること、
なんなら、つい自分を責めたり反省しちゃう自分でもOKが出せる自分でいる。
そんな覚悟というか、自分に優しい人でいることが、コロナ禍で孤立しやすい時代に必要なのかもしれない。
(もちろん話せる人がいるなら自分の心の内を話せばいいし、Twitterに書き殴ってもいいし、無料の電話相談や問い合わせ窓口に匿名で相談もできるので、そういうのもどんどん使っていけばいいと思います。)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?