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優先席の考え方

おはようございます。

週の真ん中、テンションを上げるためにAdoを聴きます。
月曜に聞いたら体はスローだったので、すごく早いテンポでした 笑


優先席、日本人は、という単語も合わさって出てきそうですが、(座りたい人が)主張できないから確保しておくべきか。
そう思っていて、実際はその車両には居なかった。本当は自分も座りたかった。などなど、色んな理由がありそうですよね。


まずは、優先されるべき人をそう認識したときにどう受け入れられる社会なのか、個人なのかが問題です。言葉では主張しにくいのでステッカーがあります。それを見てどう思うか。

私は妊娠している時ステッカーは下げてませんでした。妊娠中特に問題はありませんでしたし、気を遣われることが苦手だったからです。
その"苦手"とされるのは、譲れる人と譲ろうとは思わない人の気持ちを一瞬しにて考えてしまうからです。

夫と一緒のときは、私がたじろいでいると、譲ってくれた気持ちを受け取ろうと言ってくれたので私が座り、目の前に夫が立ってました。


配慮という測れない気持ち、優先されるべきと思われる人が今必要と思っているのは本当なのか?というバランス


デリケートな問題ですが、やはり、結局は社会や個人が"どこまで受け入れられるか"ということだと思います。


"聲の形"という漫画が頭をよぎりました。
当の本人、友人、親…それぞれが異なる認識をしてしまうことで色んな考え方が行動に出た時、色んな問題が生じます。



同じ境遇の人がいても、気持ちまで同じではない。

これが解決策だ!というのはありません。
ただ、同じ方向の認識はしておきたいところです。



ではでは。

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