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21.Dec.2019 朝カフェと手書き

朝早く起きて久々にカフェで朝食を摂った。コーヒーの良い香りが立ち込める空間に加えて夏の朝特有の、これから一日が始まるという言葉にできない高揚感。

アメリカのコーヒーチェーン、スターバックス。数年前にコーヒーの街メルボルンにデビューした。最初はうまくいかなかったそうな。しかしWiFiの提供と快適な空間を売りにして、コーヒーの味も改善することで最近は息を吹き返してきたと思われる。

僕もここのコーヒーが好きではなく、長いこと毛嫌いしてきたがつい最近友達に連れられて来てみると以前よりも美味しく感じられるようになったので、勉強や読書をするスペースとしても利用している。

オーストラリアのどこのカフェでも失敗しない朝食のメニューはハム&チーズクロワッサンだ。これをトーストしてもらうとチーズが溶けて良い具合になる。それを朝食用に、コーヒーはカプチーノを頼んだ。

席について作業中カウンターの方を見ていると、やはりオーダーされるコーヒーはオセアニア発祥のフラットホワイトが大多数だ。コーヒーリテラシーの高いオーストラリア人もスタバのお家芸のエスプレッソに甘いクリームを混ぜたドリンクではなく本格派のコーヒーを目当てで買いに来るのだからスタバはカフェとしての地位をメルボルンで確立したようだ。
*カプチーノはエスプレッソにホットミルクを注ぎ、その上にさらにフワフワのミルクが乗っているが、対してフラットホワイトはきめ細かく泡立てられたミルクがシンプルに混ぜられている。(はず)

ちなみに最近では日本でもタリーズやドトールでもフラットホワイトが飲めるらしい。

ところで、最近久しぶりに日本語を手書きした。僕は基本的に文章を書くことが好きなのだが、最近はもっぱらPCを使っていた。いかんいかん。
作者は文房具好きでもある。中高生の頃はお小遣いを貯めてはシャープペンシルを集めていたものだ。

手書きの文字には表情が出る。走り書きをしたり、神経を尖らせて丁寧に書いてみたり、その時の感情もいくらか現れるようだ。そんなもんだから、あとでノートに書いた文字を読み返すと筆跡や言葉選びに何処か余所余所しいような自分のものでないような感覚を覚えることがある。それは紙とペンという古典的な組み合わせによって反映される「僕」の意外性なのだと思う。

それから筆者は常に所謂「なんでもノート」を持っている。
実のところ、初めからなんでもノートにするつもりで用意したのではない。日記を書こうと思って拵えたノートや自分のあらゆる物事に関する考察を書き留めてみようと思ったノートに結局面倒くさくなって色々書き込んでしまうだけなのだ。

自分にとっては失敗作でどうでもよくなってしまうのだが、これがたまに読み返してみると面白い。僕が勢いで書き留めた言葉は僕の知らない自分の意外性が盛り込まれている。こうして言葉の落書きをしたノートは捨てようと思ったこともあったが結局今でも大切に保存している。青年期における僕の精神的推移を記録してある僕の宝物だ。

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