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32回転職した私がとうとう転職を諦めた件

こんにちは。
たつろうと申します。

私は過去に32回転職しています。
現在、55歳ですが、いよいよ私をどこの会社も採用してくれない結果となりました。。
当たり前ですよね。
でも、私はこの一年、転職に向けてがんばってきました。
それまでの経緯を記念にKindleにまとめました。
Unlimitedで読めますので、ご興味ある方はお手数ですがDLしていただき、
一笑していただければ幸いです。

冒頭部分をここに記して起きます。
読んでいただければうれしいです。
よろしくお願いいたします。


『転職を決める前に読む本 〜ミドル世代生き残りのリアル』

【冒頭部分】

●はじめに

お恥ずかしいことですが、私はこれまでに転職を三二回しています。いま、五五歳ですが、四〇歳を超えてからも四社転職しております。
「その歳でよくそんなに転職できるな」と友人たちにうらやましがられました。そうなんです、四〇代まではお調子者キャラの私には、幸いなことに雇ってくれる会社があったのです。

ところが。

五〇代を超えてから、パタリとお呼びがかからなくなりました。五〇歳過ぎてから受けた会社は一〇〇〇社を超えました。それこそ、毎日、履歴書の送付を欠かしたことはないです。ちなみに現在も無職です。
これだけ仕事にありつけないことで私はあることに気づきました。

「おれにはニーズがない」

これ重要なんですよ。運が悪いとか、努力が足りなかったなどというレベルでないほどに、私にはニーズがないんです。つまり商品価値がないわけです。
自分としては三〇代の頃よりむしろいまのほうが元気だし、経験力もついています。
でも、世間はもっと正確に私を見ています。

「おれのことなど、誰も求めていない」

そのことがはっきりと見えてくるんです。
バブルの頃はブイブイ言わせていた私は、仕事もなく、地位もなく、人気もない、ただのほんとうのオッサンになったのです。

でも。そこから。そこからなです。

そこを自覚すると、新たな視野が広がっています。

さて、まずは私の恥ずかしい失敗談、人生を駆け下りてきた体験を笑ってください。
それから、私が見つけた新たな世界についてお話ししていきましょう。

■第一関門 「エントリー」 高き要塞を這い上る

●死んでる履歴書

私は自分の履歴に恥じています。
これでも一応、最初は、一応、国立大学を出て、大手出版社に潜り込みました。
時はバブル、内定も何個ももらいました。イケイケです。
毎晩、会社の経費で飲み歩き、帰りはタクシーチケットで深夜帰宅という生活でした。
ところがある日、ふと思ったんです。

「おれの人生、これでいいのか」と。

で、次の日には辞表を出していました。入社一年目のことです。
上司には、「おまえ、バカか」と言われました。
私は心の中で思いました。「おまえこそバカか、社畜め」と。

ほんとに、思い上がっていたのです。若造です。小僧です。
辞めたはいいものの何をしていいのかわかりませんでした。
そこで、私はもっとも安直な選択をしました。転職です。
その会社より小さくて給料は安くて、内容も微妙につまらない会社にです。

このダウングレードを五〇歳過ぎまで続けてきたのです。
社畜どころのレベルではありません。
世間は厳しいです。バブルが過ぎた頃から、このダウングレード感は加速しました。
まあ、正確に言うと上がったり下がったりしながら、なだらかに落ちていく感じでしょうか。お付き合いする人も、着る服も、食べるものも何もかもちょっとずつちょっとずつ怪しいものになっていったのです。

そのことは履歴書を見れば一目瞭然です。
私の履歴書、まっとうな人事の人に見せれば、悲しい顔で私に苦い表情を浮かべるでしょうし、実際、そういう場面には多々遭遇しました。

三〇歳の頃だったでしょうか。ある会社の部長さんが私の履歴書を一瞬見て、すぐに私に突き返しました。

「あなた、もうこれ以上、履歴書を汚しちゃダメだよ」

というわけで、私の履歴書はたいへん汚いものであります。
そういう目で見れば、いまの履歴書に添付した私の顔も、どこにでもいるただのオッサンに過ぎなく見えます。自分の写真であるのに。
ある会社にいたとき、隣の席の採用担当者が、履歴書の写真を見た瞬間に、「なんだまたオッサンか」と履歴書を段ボール箱に放り込んだのを見たことがありました。

自分は何の価値もない。そのことをよく肝に銘じてください。
いくらキャバクラで高いお金を払って、一瞬ちやほやされたとしてもそれは幻想です。
私たちは名もなく、社会的には価値の低いオッサンなのです。

●死んでる職務経歴書

私の職務経歴書は重厚です。てんこ盛りです。何をしたか、どんな実績を上げたか、そこからどんなスキルを得たかなど、詳細に書き込んでいます。逆に、面接官が途中で読むのをやめてしまうぐらいです。
これほど執拗に書いたからと言って、採用にはなりません。面接担当者はかつての華々しい業績なんて興味ないのです。せめて直近の職務経歴が欲しい程度です。だって、一〇年前の実績なんていま何にも役に立たないでしょう。
こんなに時代が急速に変化しているのに、昔のビジネスの自慢話を読まされてもたまらんのはよくわかります。

つまり私の長々しい経歴は「死んでいる」のです。優秀な人なら、数行でも人事担当者は見抜くでしょう。

履歴書を詳細に書けと言われるのは、採用担当者に、その態度、姿勢を見せるためです。
私の歳だと逆にそれは、「はいはい、オッサン、がんばってきたのね」と苦笑されるだけです。
もはや私は職務経歴書を改編するつもりはありません(その理由は最後まで読んでいただければわかっていただけると思います)。ですが、「おれはまだまだ再就職するぞ」と意欲をお持ちの方でしたら、ぜひ職務経歴書を見直した方が良いです。

・あなたの職務経歴書はぶっきらぼうすぎませんか。
・あなたの職務経歴書は書きすぎていませんか。
・あなたの職務経歴書は自慢話に終わっていませんか。
・あなたの職務経歴書は採用先のニーズを満たしていますか。

特に自慢話はいけません。私たちの年齢では「やっていて当たり前」なのです。もしあなたが職務経歴書をアップデートする意欲があるならば、当たり前の自慢話は簡略化して、相手のニーズやこれからのビジネスに役立つ情報にフォーカスしましょう。
私はもう職務経歴書を二度と使用しません。

●転職サイトでは「おわコン」扱い

転職サイトなるものができてどれほど経つだろうか。私は大手転職サイトを初期から使っています。大手五社ぐらいにはすべて自分の経歴をインプットしています。だから、企業へのエントリーは大概の場合、ボタンひとつで済みます。
一〇年以上前、つまり私がまだ四〇代でまだまだやりまっせと意気込んでいた頃には、私がボタンを一〇個ぐらいポチれば、一、二社は面接の案内をくれたものでした。

ところが五〇代になるとパタリと案内は来なくなりました。来るのは「祈りのメール」、つまり「今後のご活躍をお祈りします」というお断りのメールです。まさにそっけない文章で、「おわコン」(おわったコンテンツを指す業界用語)扱いです。
私は五〇代になってから少なくとも一〇〇〇回以上祈られております。

転職サイトは便利だが、残酷なものです。こっちがポチればいいだけなのだから、向こうもテンプレート付きのメールをポチればいいだけです。そういう時代です。
特にこのシステムの何が嫌かといえば、待てども待てども本命メールがこないとか、あるいは送った直後の十分後に祈りのメールが来るとか、ドキドキハラハラを四六時中していなくてはならないことです。昔は、決まった時間に郵便受けを覗けば良かったのに、いまでは一日何十回もメールの受信箱をチェックするはめになりました。

効率的で良いし、私もその恩恵を十分に受けてきました。
しかし、その弊害というのは、キリがないことです。
下手すりゃ私のように一〇〇〇通のお断りメールを拝受することになります。
そのダメージは計り知れないものです。
自分がいかにニーズがないかとはらわたから味わうことになります。そういう祈りメールには慣れてきますが、それでも無意識的にはどんどん腹にたまっていきますから、あとでボディーブローのように効いてきて、自己嫌悪、自信喪失につながる恐れがあります。
就職できないトラウマは後遺症となって後の人生を支配します。
たったワンアクションの「ポチ」が人の人生を台無しにしてしまうのです。

かつてはスイスイと使っていた転職サイトも五〇歳過ぎたら、殺傷能力の高い自傷サイトになりかねないのです。

ポチポチやるのは、三五歳までにしておいた方が賢明です。
特に最近、SNSなどと連動した新しいタイプの転職サイトや、専門職に特化したサイトもあります。新しいサイトは勢いがあり、新しいタイプの仕事が集まります。

でも、ちょっと待ってください。

私たちは、ITやマーケティングほかの、新しいタイプの仕事を本当にできますか。

なんとなくトレンドだからとそんな若者のやっているサイトに近づいてはいけません。
自分が落ち込むだけでエネルギーの無駄です。
ついでにいっておけば、中高年を相手にしたサイトも多数ありますが、優良案件は狭き門で、そもそも私の書いているこの本を読んでくださっている仲間の皆さんにはハードルが高いかもしれません。私は親愛の情を持って述べています。やめときましょう。そういうサイトから来るスカウトメールはたいがいが、みんなが苦手とするきつい営業や肉体を駆使する仕事に限ります。このスカウトメールの罠については次の節で書きます。

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