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スト客、芦原遠征旅行〜母ちゃんだって何者だって好きなものがあるって最高〜

ストリップに出会ったのは、4年とちょっと前。
私は結婚して子供を産んで、子供が幼稚園生だった時だ。
フルじゃないパートの仕事を始めて、時間的余裕も生まれて、ずっと抱えてた気持ちが爆ぜた時でもある。
まだその時の私は、お母さんになりきれなくて、付き合っていた女性の恋人と、またどこかで縁が繋がると思っていた。
この生活を大事にすることなく、かといって世間の常識ってやつに固執しているので、上辺の努力をしていた頃だ。
子供は可愛いが、彼女と過ごした日々が恋しい。
旦那さんのことは愛しているが、もし彼女から連絡がきたら私はどうするんだろうなんて、馬鹿なことばかり毎日考えていた。
この生活を壊したいわけじゃない。
だけれど、私は女性への恋慕は捨てきれない。
どうしよう、どうにかなってしまいそうだと思っていた時、地下アイドルの女の子がダンスを踊っている姿にときめいた。
CDを買って、歌を覚えた。
少しだけ報われたけど、これも結局は彼女の真似っこ。
彼女と別のものにハマって、私が好きなものを見つけたい。
憧れを昇華したい。そんな風に思った。

地下アイドルを追っかけるために作ったアカウントに、ストリップの情報が流れてきた。
その頃からストリップはすでに間口は広く、誰でもウェルカムではあったが、私は女性が観劇できることも知らずにいた。
ストリップにハマった女性が、タイムラインに情報を流してくれていた。
そこでようやく、その存在を知った。

そこから私はストリップに魅了され、通うようになる。
純粋に演目に胸打たれて、涙を流すこともあれば、私にはこれしかないみたいな、しがらみもあった。
認知されたい欲求も強く、ストリップが好きってことよりも、ストリップを好きでいる自分であることにとらわれていたと思う。
認知されることが、嬉しくて、回数は行けないけどチップを上げようと必死になったり、Twitterでいいねを待ってしまったり、なんだかおかしくなった。
その気持ちは、憧れから恋愛的な感情、それか、親友は私だけなんだからねという小学生女児のような幼稚な執着へ変化してしまった。
と言っても、立場を気にする人間なので、なにかアクションを起こすでもなく、SNS上で正義感を振り翳し、ガチ恋の人のすることを許せんとぐぬぬと怒り、空リプで注意したり、イキっては何と闘っているのかもわからず疲弊した。
物理的に何かをやってはいないけど、こう言った心は透けるもので、とりあえず私は嫌なやつだった。
憧れを拗らせて、同一化も起きていて、踊り子さんたちの人生をなぞろうと、努力もせず、私だって女性だから、誰かのお客さんに気にかけてもらえるかもしれないなんて、最低最悪の下卑た心を持っていたと思う。
そこから観劇を続けて行く内に、その心内も変化していった。
というよりも、踊り子さんたちの素晴らしさに、そんな馬鹿げた考えが崩れた。
ただ純粋にこの金額で、こんな素敵な命が燃えるパフォーマンスを見れることがなんて素晴らしいのかと。
同じ演目だけど、回数を変え変化して行く。
劇場が違うのであれば、その土地に根付いたパフォーマンスへ変化させる、ブラッシュアップしていく。
その圧倒的な努力、お客さん一人一人を大事にする、演目を我が子のように愛し、先輩を敬い後輩を育て、投光さんや受付スタッフ、そして自分の好きなものを大事に、そこから新しいものを生みゆく力。
もうただただ尊敬の念で、私はなんてちっぽけで愚かだと気づいた。
そう思ったら、観劇をできることがとても貴重でありがたく、ただ幸せだと思えるようになった。
そして自分も自分の好きなものをもっと見つけたいと思えた。
そしてそれらを、純粋に楽しみ育て、愛をもらうことに固執するのではなく、愛を与えて、相手が何を望むのか、耳を、心を傾けようと思えた。
心の変化は私生活にも出始め、観劇の仕方が変化すると同時に仕事もうまく行き、家族との関係も良好になった。
私はいかに怠惰で、一方通行だったんだと反省した。まだまだ努力は足りていないけれど、一番そばにある家族が、娘が笑顔になれるよう、今後とも支えていきたい。

そんなこんなで、自分の好きを大事にする遠征旅行をしようと思った。
熱海や関西の劇場に遠征はしたことがある。
どれも満点の星空を眺め、心の中にしまうようなときめきがあった。
今回は、推しのお姐さんが、初芦原ミュージック劇場にのられるとのことで、絶対に観たいと思った。
地域によって求めるもの、特に温泉劇場さんだと一見さんも少なくないから、その方たちの今求めるものを素早くキャッチして、返していくその職人的な姿もかっこよく大好き。
駆けつけてくれた遠征のお客さんへ、この劇場だからこそ、魅せられる表現、演目をより深くストーリーとして没入できるようアレンジ、端から端まで全てを使い、体の全てを躍動されるその姿が大好き。
もちろんいつもの劇場も大好き。まずそのスペシャルを知っているからこその、スペシャルというか。
いつもの劇場で観ているお客様によって、支えられていること、その劇場で最高を作り上げる踊り子さんがいること、私はその人たちの支えによって、今回こうやって遠征観劇できることも忘れてはいけない。

まずは、どう動くか旅行プランを練る。
高所が苦手なので陸路。
今回は温泉も入りたいから、
ちょっと良さげな旅館。
まつや千千さんに決定。14000円ほど。
あと新幹線すごくかたいアイスも食べたかったな。それもプランに練り込もう。
かがやきとはくたかで行き帰りで3万円。
飲食で一万円くらい。観劇代はその場でね。と見積もりはたてた。
食べることが大好きだから、今回は地元の食材を美味しくいただいてみたい。
芦原通の踊り子さん、新井見枝香さんが、ひねどりが美味しいとTwitterに書いてらしたのでそれも食べたい。
そんなことを計画する。その時間も贅沢だ。
頭の中でトリップ。日常から非日常に切り替わる瞬間が愛しい。

Twitterで遠征先の事を聞くと、先輩達は快く教えてくれる。
スト客さんもお姐さんたちと同じでかっこよくて、懐深い。

当日、新幹線かがやきに乗車。
特急しらさぎで、金沢から芦原温泉駅に到着。
そこから京福バスに乗り、あわら湯のまち駅へ。
そこからスト客さんに教えてもらった福井名物を食べに。

おろしそば。

日の出そばという駅から5分ほどのお店へ。
そこでSNSのスト友さんとばったりお会いする。
ご挨拶、嬉しい。
飲食店のテレビの音。調理の音に耳を澄ませしばし待つ。
あっという間におろしそばがやってきた。
まず一口。
あ゛〜
おろしそばが疲れた胃に効く。
そばの風味、おろしの渋味、鰹節のうまみ。あー美味しいぃぃ。
ずるずる啜っていく。止まらない。
ポリポリの揚げそばのお茶請けも嬉しい。
蕎麦湯が美味し過ぎて、味もつけずそのまま飲み干した。
胃にじわじわ広がって心地よい。
熱いものが胃に入った時の、温かさは、誰かに優しくされた時に感じる幸せに似ている。
スト友さんに、また後ほどとお声がけしてそば屋を出る。

そこから、湯けむり珈琲へ。
日の出そばさんのすぐ近く。
桃のルイボスティーをいただく。
雪が残る道を一人。熱々のルイボスティーを飲みながら歩みを進める度、私は小説の中の主人公になったような気になる。
体を中から温めた状態で芦屋へ。
ひのきの香りと源泉の熱い湯が、足元から顔まで熱らせる。
湯治で文学の祖たちが、神経衰弱を治したと聞くけど、確かに温泉には理屈じゃないなにかがあるよね。
最高。
大満喫で、まずはチェックイン。
時間に遅れるのが苦手というか心配者で神経質なので、5分前には着。
滞りなく済ませ、売店を一瞥。なんか懐かしさのある旅館の売店のチョイスが、心がくすぐったくて楽しい。
この情緒だって、きっと親に与えてもらったんだよなー。私はなんだかんだ、甘ちゃんでみんなに愛されて支えれてきてんのに、卑屈で悲劇のヒロイン気取ってるよなーなんてまた気づいたりもする。ま、といっても相性はまぁね。別問題だけども。でも、私ももっと大人になんないとな。

温泉卵の無料サービス、大浴場。うーん贅の極み。
荷を下ろし、まずは観光へ。
雄島の紅い橋を渡ってみたくて。

駅でバスを待つ。乗り込む。
バスがぐんぐん港町へ向かって行く。
バス停の看板が、潮風を浴びて赤茶けている。
海鳥が空を舞って、軽々海へ下降しては急上昇する。
降りるとポツンと一人になった。
紅い橋からは水平線が見え、海と空の境しかなく、終わりは見えない。
深く、でも澄んだ海は、何も言わない。
ここから落ちたら跡形もないだろうな。
誰も助けにこられないだろうな。なんて気づいたら、自分の悩みがすごくちっぽけに思えた。
この海の上では、人間なんてただの小さな粒でしかない。
小さな粒であるならば、なんでもない存在であるならば、ならいっそ、自分の好きを突き詰めたい。自分のできることは手当たり次第、手を出したい。人生なんてあまりにも無力であまりにも短く、あまりにも綺麗だ。
遠征で見つけた好きは、私の固定概念を取っ払ってくれた。
でもそれは遠征で旅行に行こうと思わなければ、そもそも生まれなかったことで、好きと言うものを見つけることの偉大さを知った。
芸が身を助くといけれど、好きが身を助くんだなー。
だからと言ってストリップの存在が変わったわけではない。ポジティブな人のためのだけのものではなく、誰のためでもあるストリップ。
脆い人のためでも、孤独を感じている人のためでも、苛烈に燃えている人でも。
ストリップ劇場はそのままそこにある。
私の心が弱い時、努力できない時もそこにあった。
誰でもそこで待ってくれていて、いつだって宿り木みたいに受け止めてくれる。
身を潜めていたい時も、美しさを求めている時も、色香を求めている時も、エネルギーをもらいたい時も。
どんな心持ちだって、ルールを守れば門は開かれていて、いつでも最高をくれた。
劇場と劇場を愛する踊り子さんとそれを守る人たちのエネルギー。
推しのお姐さんの、エネルギーが長い年月をかけ、伝播していった。そこから人を、芸事を、尊敬の念で見続ける、礼も学んでいった。人を敬う事にも近づける気がする。
また再教育してもらったな、と冷たい息を吐き手を擦り合わせてバスを待つ。
ひやりとした風が、驕りのあった心を清めていく。
人ときちんと接してこなかったから、自分の考えが常識で、誰かの立場に立って考えるが、明らかに不足していた。
自分以外の誰かの大変さを、わかっていなかった。
ラベリングでなく、その人たちが誰かを守るために己を守るために一つ一つ、紙の上の一行でなく剥き出しの体で向き合っているということを。
そして、思っているほど人は自分を気にしていない。気にしてくれない。自分の人生でいっぱいだから。自分の大事なもので必死だから。
だからこそ優しくしてくれる人、気にかけてくれる人を大事にしたいという事を、やっとわかった。

頭を冷やすということはまさにこの状態そのものだなーなんて思いながら、
帰りは三国駅までバスで行き、えちぜん鉄道にのった。
電車発車時刻が迫っているので、バスを降りた人々が小走りで踏切を超えて行く。夕陽の中、知らない人たちとかけていくのが、少しおかしくて楽しい。
鉄道は路面電車のように短い。切符もなくバスの整理券のようなものを引き抜いた。
がたがたと揺られて、暗くなった改札を出る。整理券を渡して精算。
暗がりにぽっと浮かぶ左右で進行方向を示す看板が、極楽←日常→に見えたり、見えなかったり。
日常の先に極楽が繋がっていると思うと日常を真面目にひたむきに頑張ると、一駅一駅と近づいて行くのかもなんて思ったり、思わなかったり。

そこから、軽めの夕飯。
あわら湯けむり横丁の鳥ひろさんへ。
6人ほどしか入れない小さなお店。
入る人が増える度、みんな自然と肩を寄せ席を移動し、次の人の場所を作る。
面白い体験。
おすすめを聞いて福井の梅酒を。
無糖、微糖、熟成。
私は微糖をチョイス、ロックで。まぁるい氷。
可愛い。後味すっきり。ぺたぺたしない。食事を邪魔しない、旨み。
香り豊かで、さっぱり。これは効く。
肉味噌キャベツ、ひねどり、モツ煮をチョイス。
モツ煮は柔らかで、薬味が効いて深みがある。
熱々を口に入れ、ロックの梅酒を流し込む。
美味しい美味しい。
キャベツは甘く歯触りが良い。繊維も残らないのに、パリパリ、柔らか。これは野菜が美味いぞ。
嬬恋キャベツに感動したことあるけど、これはそれ以上やも。
肉味噌の味付けもお酒が進む。
そして念願のひねどり。
卵を産む役割を終えた鶏をひねどりと言うらしい。
噛みごたえのある肉質、噛めば噛むほど味が出て、この食感も病みつきになる。若鶏より好きだぞ、こりゃ。
酒飲みにはたまらん味だと思う。(私は酒のつまみが好きなほぼ下戸)
ずっとかみかみしていたい。うまっ。
いい感じに酔っ払って美味しかったご馳走様ですとお会計。
3千円弱でこんなに大満足なんて、一人飲み楽しい。いしし。またやろう。

さあここから、待ってましたのお楽しみ。
劇場へ向かいます。
街頭もあまりない道をチョイスしてしまい、雪解け水にじゃぼんしてしまい、片足が冷たい。
ちょうどいいキツケです。
昼に来た時には灯っていなかった看板がこうこうと光っている。
まるでいらっしゃいと声をかけてくれるよう。
受付の方に初めての芦原ですか?と聞かれ、はいと。
4500円をお支払いし入場。
受付が昔の映画館の窓口みたいで風情がある。
少し青みがかっているガラスが美しい。
猫ちゃんの餌が小脇にあって、看板猫さんの気配を感じる。
すでにお客さんはちらほらいらっしゃって、楽しそうに会話をしていたり、いまかいまかと待っている。
芦原のキーホルダーが欲しくて、お声がけしたけど売り切れ。残念。常連さんが大人気だねと言ってて、関係ない私もなんか嬉しい気持ちになった。
猫さんのことが気になって、受付付近のスト客さんに話しかけたら、窓口内にいるよと教えてくれた。お手洗いのことも聞いたら優しく教えてくれた。
常連さんたち皆優しくて、あったかい。

劇場内に入ってみた。
芦原の盆は真っ直ぐ高くせり出していて、丸みは帯びていない。
盆と花道が一体化して、ライブのフロートのよう。もちろん、動きはしないんだけど、四角に伸びてる感じが、そう思わせてくれる。
2階にも登ってみると、これはすごい。
ここは日武かな。九段下かな。
ここから全体を観る、画角の違うからこそ、踊り子さんが育む箱庭が、芸術品として極められた演目が見られそうだと思った。
脇のピンクの螺旋階段も可愛い。
劇をするにぴったりの芦原の劇場は、これから始まるお姐さんと相性抜群と確信した。
これは楽しみが限界突破ですぞ。

花トップステージを飾るのは〜
口上が入る。
原色のアイドル!その出立ちで現れたeyeさん!
eyeさんのこの演目では、彼女はアイドルそのもの。絶対的な前向きな陽が、負けそうな時も彼女の芯を貫いている。
アイソレーションが、巧みで、音ハメがその言葉そのものであり、その言葉で表すと無粋なくらい、ただただ崇高な曲との一体感。
リズムと体の一致が心地いい。感情の発露がそのまた動きになっているみたいな。
筋肉が瞬きを生むんだけど、それは感情がそうさせてて、意識して筋肉を動かしているわけじゃなく、体と心の対な訳だけど全身の動きがそれ、みたいな。
ミュージカル映画のサントラを何度も聴いて、でもやっぱりその絵と曲があってこそで、だからチャプターで何度も再生する。そして何度だって感動する。
曲だけじゃダメ。この今の生の動き。
そういう心が体を動かすコンテンポラリー。
ギラギラと光を纏って、彼女は躍動する。
彼女の瞳と伸ばされた腕、指先。
貴女だとばんと射抜かれた。
きっとどの席にいたってそう思えるのだろう。
eyeさんの劇場内全てのお客さんに送るハートがそう思わせてくれる。
芦原の盆は、客席が完全なる下にあるせいか、
ぽっかり彼女とお客さんの対比になる。
大きなスクリーンの映画館。
1人で観るような贅沢感が芦原にはあった。
そこでのeyeさんはきらっきらに光っている。
ネオンイエローのネイルが暗転する度に、蛍光発光して、怪しく美しく、華麗に可愛く彼女の輪郭を這う。
暗転したときに膝を抱えて、思い人を憂い、そのまま眠りにつくような仕草、劇場自身に吸い込まれるようなeyeさんが美しい。
花道を自由自在に動いて、私たちを魅了してくれるeyeさん。陽のアイドルだ。エールがすごい。
どっから出てくるのかわからないくらい、じゃびじゃびに泣いた。
ポラでは、体育座りをお願いして、顔の半分を覗かせてネイルが見えるようにお顔を覆ってもらう。
カメラ動かん。ポラロイドは普段使わないから慌ててしまう。私が縦撮りしようとしたら、芦原のカメラがすんっとなってしまった。
eyeさんに何度も電池をやり直させてしまって申し訳なかった。
体育座りの呪いはすぐ解呪されたし、度々芦原のポラがすんってなる時はあったので、このカメラさんはそういうこともあるようだ。
でもそれも楽しいし、それが味だなって思う。
こういう時間こそ、忙しい情報過多な世界に必要だなと思うしね。

eyeさんさんを見終わり、芦原の劇場を再度見渡した。
盆と花道がランウェイのようでもあり、東尋坊の崖みたいだなとも思った。
お姐さんの熱い覚悟がそう思わせるのか。
シンバを掲げる王の玉座にも感じたな。
与えてくれるものを、見上げて、手を握り締め祈るように観る。
固唾を飲んで、享受する。

そして芦原の投光さんの光が魔術師過ぎる!!!赤く丸いスポットライトがくっきり円を描き、彼女をくり抜く。
そして、劇画の終わりのようにパッと消える。
上下左右のライトが、彼女たちに降り注ぐ丸を補うように、緑や青で交差し輝いている。
ジャーニーズのコンサートのようだと思った。
舞台とスター。芦原の劇場良すぎる。

2番目は待ってました!!!
推し!!!
ひとみさんのモダンガール!
芦原でのモダンガールの濃密さ。
ひゃーっっっ。
圧倒的エロスへの没入背徳感、恍惚感。
一見さんも全員濃密な色香、睦ごとで蕩かしてたよね。
私もエッチ過ぎてたまらなくて、ひいっ(しゃいこー)!ってなった。
赤い赤いベッド着が、緑青の光を一瞬纏ったのち、赤く赤く燃えるように赤く彼女を照らす。
さながら銅線に火をつけた如く。
禁断の夜、彼女の瞳を奪う黒い目隠し。
貪欲に彼女は、愛しい人の指先を思い出す。
SMの主従の恋愛のような
もういない相手を思い出すために
視線を遮って、もう一度なぞられた体を思い出すようなそんな禁断さ。
彼女を抱いて、抱かれて劇場は沸騰してた。
それも心の中、息を吸うのも忘れて、口を塞がれて情事をするみたいに、酸素が入ってこなくて溺れるみたいに、青い青い炎で燃えていたと思う。
モダンガールと芦原の相性が良過ぎる。
そしてひとみさんの圧巻のパフォーマンス。
こりゃ全員劇場ごと籠絡してましたね。
お引きずりの着物。
柔らかな指先。
ゆらゆら炎のよう。
かき混ぜて、
えっちな気持ち、神秘的な気持ちも、様式美も、気持ちも全部混ぜて全部その視線を受け止めてくれる。
ツーショはデレデレで、ひとみさんの香り、可愛さ、美しさ、舞台人としてのかっこよさ、優しさ、全部に好き!でメロメロでした。
飛ぶぜ。

3番目は永瀬ゆらさんの、ポール。
エキゾチックなゆらさんのバーレスク香る雰囲気に、栗橋ではないまた違った魅力を感じて素敵。
ギャルのお姐さんだ。クラブのイケてるお姉さんだ。
別人かと思うくらい、演目によって、スターはずっとスターなんだけど、ジャンルが違うトップのスターになり変わる。
凄すぎます。七色だー!!!

永瀬ゆらさんの2回目のスパイダーウーマン🕷が素晴らしかった。
怪しく、
関節構造がそのまま、節足動物のそれ。
人体でそれできるの!!???
すごい。
ゆらさんが、
ポールからずっ、と落ちてくるのは
八角に何重もされた巣から
白い撚糸を出して
体をぬっと出し息を潜め獲物を狙ってる姿そのものでポールでそれを表現する凄さ。
蜘蛛さんの、おパンツが真ん中ジップ大好きです。
足の間を通り、腕がお尻まで到達すると快楽。

2演目目のひとみさんのエスケープ。
まず今ここにいる私が観れる、この演目に身が震えます。
エスケープのお母さんは、耳の中でもう2度と手に入れることのできないものの、声がリフレインする。
きっと外は雨で窓は濡れている。
もう一度と望む顔。
赤子の声、小学生の子供の小さかった頃。
耳をつんざく夜泣きまで聞こえきた。
ひとみさんの演目では、演目の彼女の今ある姿だけでなく、生きてきた人生まで透けて見えるの。
そこまで演じていらして、いやもう演じるを超えてそこにいてそんな人もいるって思わせてくれる。
彼女はあなたの声がもう一度聞きたい。
もう一度そこにいたいと
彼女は華麗に舞い踊る。
彼女は舞台に愛され、彼女は舞台を、全ての観客を愛する。
我に帰る時のあの曲。
彼女のほうっとして没入している顔から、はっとなる。
今ある幸せを思い出す。
彼女が子供を玄関まで迎えに行くの。その時の顔が美しくて、彼女の心を抱きしめたくなる。
芦原の劇場でしか見れないスペシャルな表現。
アイテムや舞台の構造。
この劇場だからこそ、よりエスケープのストーリーが濃くなっていました。ひとみさん天才。
一本の映画より舞台より、彼女のエスケープの威力たるやすごい。
素敵なものを見ると、鼻がつんする。
心地よい痛み。
エスケープのお母さんの華々しい過去。自分自身であるのに、彼女の美しさは、今の彼女自身憧れている。そんな回想シーン。
愛しいって思う恋しいって思うことによって今と過去がはっきり分かれる瞬間。
ぐわんぐわんと彼女の耳には鳴り響いているのが伝わるの。
表情で仕草で。
最後の曲で彼女が気づく。
それを選んだら何が犠牲になるか何を失うか。
同じくらい大事なもの。
でも違うもしもの世界。
でもその存在が自分を強くする。
その存在に応える。
だから前を向く。
今を選ぶ。
過去に囚われながらも、でもやっぱり私は一緒に死なない。
ごめんね、あなたのことは大好き。
あなたと一緒に逝きたかったよ。
でも私は生きるね。
それを選ぶねみたいなそんな表情。
決別とは違うの。
この世界軸の私はこちらを選んで、前を向いてまた当たり前みたいな日常を一生懸命生きる。
きっと何度だって、またその箱は開けて閉められる。
どこでもドアみたいにさ。
その箱の扉をかえして、何度も行き来できるんだよね。
法被を慈しむひとみさん。
芦原の遠征のタイミングで、エスケープを踊ってくれるひとみさん。
愛の讃歌だよ、本当に大好き。
エスケープの時の投光が神がかっていて!!
クルクル回るたびにドレスを照らすライトが変わるの。
オーロラ姫がさ、妖精にピンクと水色どちらのが合うってさ、色変えられて踊るシーンあるでしゃ。まさにあれなの。というかもっと多色で多様でキラキラしてるの。
人は多角的で色んな面がある、暗喩みたいな気がして、私にもこの芦原遠征にアナザーストーリーがあるように、
演目の彼女にもあって。
そして劇場内のスト客さん一人一人にあるんだなって。
脇役になったり本編を進めたり、戻ってみたりそうやって人生が動いて、絡んで、離れている。
そう思ったらだーだーに泣けてしまって。見えていないだけで、みんな多角的色んな人生を同時に進めているんだなって。
もう楽しすぎる観劇と、たくさんの学びの時間だった。

オープン時、一生懸命体を前に寄せ手を伸ばし
彼女にチップを渡そうとした時にひとみさんが一生懸命口で受け止めようとしてくれた。
私は手で大丈夫ですと目で笑ってジェスチャーした。
もうほんっとに大好き!!!
全員の合ポラが終わり(大盛況で、ポラがなくなり、ポラの取り替えをレクチャーするeyeさんも激カワだった)、
帰ろうとするとひとみさんが、本当にありがとうねと背中にかけてくれて、全身の毛穴から幸せが漏れて、幸せだった。

帰り際カイくんが受付にいた。
寝起きの顔でぽやと座ってた可愛い。お見送りするなんて、なんてえらい子ちゃんなの!!!
わいわいとみんながえびす顔で出てきて、
各々の旅館へ帰る姿が愛しい。
私も例に漏れず帰っていく。
風は冷たい。頬は熱っている。
まだ胸がドキドキしている。
劇場を離れるのが名残惜しい。
だからこそ、この時間を味わうために私はまた働きたい。
働くからには楽しく、誰かのためになりたい。
そうすることによって、劇場で背をスッと凛と立たせることができる。
さあ、また今日も地に足つけて頑張ろう。


〜あとがきというか一口メモ的な〜
芦原での気づき。
踊り子さんのポラ時の、
よっ、ほっ言う声が、正月のめでたい芸みたいで好き。

花房先生の新聞の記事が切り抜かれていて、裸が年を重ね、経験が滲む姿が美しいといった言葉があった。
経験を深める事、たくさんのものに出会う事、真正面から困難に向かう事、それを乗り越えて行く事で生まれる深み、好きなものを詰め込みそこから吸収し、作り上げていき出来上がって行く作品という名の人生。
それが魅力として光るって言葉なんだと、その切り抜きを見て気づき。
私も裸に経験を滲ませていきたい。それはただ年を重ねるということではなく、生きるを努力する、好きを研ぎ澄まし、相手の好きを尊重するということ。



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