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【宗教2世ごろごろケア日記06】大切なものは「たった一つ」なんだ。


 宗教2世が「ケアされて」「癒されて」「自立や解決に向かう」というのは、とても時間がかかることだと思う。

 そりゃあたとえば10年間・20年間、そうした宗教的環境にいたとして、それが数週間や数ヶ月でスパッと何事もなかったように解決するなんてほうがおかしいし、基本的にはむこがわさんは

「過去からの人生の取り戻しは、おんなじくらいの時間がかかる」

とは思っている。えー!でもそれって呪いじゃん!

 10年苦しんで、解放されるのにも10年かかるだなんて!ひどい、酷すぎる〜!と思うのは、まあ当然だと思う。

 なので、ある程度「ごろごろケア」のスタンスじゃないとダメだと。中長期戦なんだから、一気にすべてを解決しようと思わず、のんびりやるほうがきっとうまくいくだろう、と思うのだ。

 一気に解決したい、というのは、「救世主を求める心」と同じなので、そりゃあ、そうなったら「めちゃくちゃ楽」なのだけれど、まるごと自分の仕事を投げてしまう(献身してしまう・他力に頼る)ような危険性もある、とは思っている。

 だから、自分、つまり「あなたの領域」は「あなた」がゆっくり育てていくしかない部分が、どうしてもあるんじゃないかなあ。


 以前に「トラウマインフォームドケア」の話というか紹介をして、実際にその考え方でどのようにケアしてゆくかは、6つの主要原則というものがあるらしい。

1)安全
2)信頼性と透明性
3)ピアサポート
4)協働と相互性
5)エンパワメント・意見表明・選択
6)文化・歴史・ジェンダーに関する問題

というものが、よく箇条書きにされている。

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 安全は、ケアされる人もそうだし、支援する人も安全安心でなくてはならない。心理的にも・物理的にも。

 信頼・透明性とは、必要な話や情報をきちんと伝えること。一方的に目的や狙いを教えずにコントロールするなどもってのほか。お互いにね。

 ピアサポートとは当事者同士の支え合い。ピアとは「仲間」の意味。

 協働・相互性は、ケアが双方向のやりとりであることを意味する。その意味では学校などで行われる一方的な「指導」とは違う。

 エンパワメントとは、本来持っている力を引き出すこと。自分で自分をコントロールできる感覚をもてること。その上で意見が言えて、自分で選択できるようになる。

 文化・歴史等の中に「宗教」が実は入ってくる。これはちょっと問題点なんだけど、従来のトラウマインフォームドケアの視点だと、「その人の文化や宗教環境などに配慮する」ことが謳われていたのだが、ぶっちゃけ「その宗教環境こそが問題の根源」なのが宗教2世なので、ここについては修正アプローチが必要になるだろう。

 従来のケアでは「抜け落ちていた」視点だと思う。


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 とまあ、ちょっと小難しい話になってしまったけれど、「トラウマインフォームドケア」というのは、要するに

「車の運転技法」

みたいな話をしていて、支援者とケアされるものがお互いに「こういうところを意識しようね、こういうことを守っていこうね」という具体的な技術についての話をしていることがわかる。

 これ、なんで技術論の話なのかというと、実は「公的機関などの職員等が、お仕事としてケアに当たる」ということをイメージしているからだと思う。

 ということはぶっちゃけ、これを実装したAIとかが、相談者からの文章をチャットで受け答えしても、たぶんそこそこの支援やケアが成り立つというシロモノだ。

 技術論なのだから人工知能に実装できる。そこに「こころ」はなくたって可能だ(苦笑)


 おいおい、なんだかヤバいサイバー電脳な話をし出したぞ、と笑われるかもしれないが、大丈夫。ちゃんと戻ってくるので安心してね〜。

 要するに、むこがわさんが何を言いたいのかというと、技術論・方法論としては心理的ケアの技法はいろいろあるのだろうけど、特に宗教2世問題についての根幹というのは、実はたったひとつなのではないか?という仮説をお話しようと思うのだ。

 それは

「無償の愛」

ということに尽きる。

 親子間や男女間、あるいは友人同士の中で「無償の愛(対価や条件を求めない愛や誠意)」があることが、すべての中心にあるのではないか?

ってことだ。


 宗教2世問題に限っていえば、「親子間での無償の愛の伝達」こそがうまくいっていない元凶だと推定している。

 宗教の教義や信仰のバイアスによって

「ゆがめられた愛情伝達」あるいは「愛情伝達のシャットアウト」、「愛情の有償化(対価を求める行為)」

が生じているから、宗教2世は苦しむのだ。そう、親からの愛情が

「条件付きの愛」

になってしまったことを、子どもは真っ先に気づく。だから衝撃を受けるのだ。


 この「無償の愛」の存在と、それを大切にする行為は、「方法論や技術論」よりももっと基盤にある考え方で、すべてのベースになってくる。

 なので、「無償の愛」の上に「方法論や技術論」を実装すれば、それは完璧なケア行為となるだろう。


 健康・健全な家庭は、保護者から子どもへの「無償の愛」の伝達に、「方法論や技術論」がちゃんと実装されている。

「頭ごなしに叱らない」「子どもの話を聞く」「向きあう」「一緒に考える」「子どもを守る、かばう」「放置しない、危険に晒さない」「隠さずに話す」「罰や報酬でコントロールしない」

こうした「健全な家族像」をイメージしたとき、行為としては↑上のような「技術論・方法論」に集約されちゃうんだけど、これらのベースに

「親子間の無償の愛」

があるから信じられるわけじゃん?そういうことを子どもは本能的に感じとるものだと思っている。


 なので、むこがわさんが言っている話は、「トラウマインフォームドケア」とか、「心理的技法」の段階より、さらに深層に近いレベルの話をしてるんだけれど、問題は

「宗教2世家庭は、そうした”無償の愛”の伝達が欠損していたり、機能していない」

というところにあると思っている。


 だったらどうすればいいか。

「”無償の愛”を、親子でない第三者が示すことができるかどうか」

がすべての鍵を担っていると思う。


 親子間のそれを取り戻すのは、もちろん理想だ。だから「親を宗教から取り戻したい」とか「親に目覚めてほしい」という話が出てくる。それはもちろん子どもの切なる願いだろう。

 けれど実際にはうまくいかないことが多い。親側も、何かの欠損を宗教に依存することで埋めているからだ。そう!言っちゃあ悪いが、

「親が”無償の愛”をその親や社会や、周囲から感じられなかったから宗教に依存する」

という構造が隠れているのだ。これは循環と再生産の話だからね。


 というわけで、本質的な支援は「無償の愛」の伝達にこそあると考えている。それを第三者間でちゃんと行えるのであれば、宗教2世は、

「足りなかったパズルのピース」

を見つけたことになるだろう。

 そういうことを信じながら、これを書いているのだ。


(つづく)





 
 



 


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