pūrṇamadaḥ pūrṇamidaṁ(Swami Paramārthānanda jiの解説)
はじめに
クラスの終わりに唱えるシャーンティマントラとして知られているpūrṇamadaḥ pūrṇamidaṁ…ですが、終わりのマントラ、というわけではなく、短いけどvedāntaの教えが凝縮している素晴らしいマントラです。
実際にīśyāvāsya upaniṣadを勉強する前にはこのマントラを唱えます。
vedāntaを勉強していない人が雑に訳すと、
That is full. This is full. From fullness, fullness is born. When from fullness, fullness is removed, fullness remains.
あれは満ちている。これも満ちている。満ちているものから満ちているものが生まれる。満ちているものから満ちているものを取り除いたら、満ちているもののみが残る。
と、なんのこっちゃ、となってしまうのがこのマントラ。これで納得できる方がすごいですよね。
vedāntaの教えは、「なんとなくすごい感じがする」「分かった気がする」「詩的なので瞑想してみよう」、といったような感覚的なミスティシズムなものではなく、きちんと理解をしていき、自分自身についての間違えを取り除き、真の意味で自由になることが出来る教えです。
このnoteを読んだら完全に分かる、というわけではなのですが、いつかきちんと勉強を志す方々と一緒にīśyāvāsya upaniṣadやその他のupaniṣadの勉強ができることを願いつつ、Swami Paramārthānanda jiが解説をして下さっているものを元に、意味の解説を書き留めておきます。
ちなみに、このマントラはvedaのマントラとなるため、チャンティングは正しい継承に則り、教える資格を持っている先生からきちんと学ぶことをお勧めします。
マントラと文法的意味
पूर्णमदः पूर्णमिदं पूर्णात् पूर्णमुदच्यते। पूर्णस्य पूर्णमादाय पूर्णमेवावशिष्यते॥
pūrṇamadaḥ pūrṇamidaṁ pūrṇāt pūrṇamudacyate | pūrṇasya pūrṇamādāya pūrṇamevāvaśiṣyate||
文法読解(文法を勉強した人用です。より良く後の解説が理解できるでしょう。マントラの意味を勉強したければ、是非サンスクリット語の文法を勉強してみて下さい!)
पूर्णम् n1/1 अदः n1/1 पूर्णम् n1/1 इदम् n1/1 पूर्णात् n5/1 पूर्णम् n1/1 उदच्यते III/1 पूर्णस्य n6/1 पूर्णम् n1/1 आदाय 0 पूर्णम् n1/1 एव 0 आशिष्यते III/1॥
अन्वयः (読解用並び替え。こちらも文法を勉強した人用です。)
अदः n1/1 पूर्णम् n1/1
इदम् n1/1 पूर्णम् n1/1
पूर्णम् n1/1 पूर्णात् n5/1 उदच्यते III/1
पूर्णम् n1/1 पूर्णस्य n6/1 आदाय 0, पूर्णम् n1/1 एव 0 आशिष्यते III/1॥
言葉の意味の解説 (Swami Paramārthānanda jiのīśyāvāsya upaniṣadのクラスでの解説より)
अदः n1/1 adaḥ 「あれ」と自分とは離れているものを指す代名詞です。この場合は全ての源であるīsvaraを指しています。そしてそのīsvaraは欠けることのない、常に、全てにおいて満ち満ちている存在です。それを表す言葉が
पूर्णम् n1/1 pūrṇam
このマントラで沢山使われている、キーとなる言葉です。
一方、इदम् n1/1 idam は「これ」と身近になるものを指す代名詞です。ここでは私の本質=jīvaを指しています。そして、その本質も
पूर्णम् n1/1 pūrṇam
です。
adaḥ「あれ」とidam「これ」それぞれが満ち満ちている存在という意味になりますが、ここで、pūrṇamの意味を考察してみないといけません。pūrṇamは「全てにおいて満ち満ちている」という意味なので、2つのpūrṇamが存在するのは矛盾していることになります。
唯一このマントラの意味が正しくなるのは adaḥ とidamがイコールの時となります。ですので、ここではīvaraとjīvaの本質が同じpūrṇamであることを意味しています。
ここまですんなり理解が出来た(かな?)としても、同じように見ていくと???となってしまうのが、次の部分です。
पूर्णात् n5/1 pūrṇāt 満ちているものから、という行いが起こる場所を意味ひています。
पूर्णम् n1/1 pūrṇām 満ちているものが、という名詞的意味です。
उदच्यते III/1 udacyate 動詞で、生まれる、発生するという意味です。
そのまま訳すと全く意味が分からない文章です。ですので、一番最初に出てきた
अदः n1/1 adaḥ
इदम् n1/1 idam
を補足してみると、
(इदम् idam) पूर्णम् pūrṇām (अदः adaḥ ) पूर्णात् pūrṇāt उदच्यते III/1 udacyate
となります。
何を意味しているかというと、個として現れているように見えるjīva(私たちの本質 = (इदम् idam) पूर्णम् は全てとして現れているīvara = (अदः adaḥ ) पूर्णात्から生まれる उदच्यते III/1 udacyate、という事です。
この説明によく使われる例が、ポットの空間の例です。
ポットという形ある媒体があると、その中にも空間が生まれます。でも、その空間はポットの外にある全体の空間と別のものではありません。
あくまでも、ポットという視点で見たら、ポットの中に、別の空間が「あたかも」ある様に見えるのです。
それが、私たちの体という媒体を通して、「あたかも」個として存在しているようにみえるjīvaです。
それが全体を媒体としているīvaraから「あたかも」生まれている、という意味になります。
そして、最後に強烈なステートメントが来ます。
पूर्णम् n1/1 pūrṇam पूर्णस्य n6/1 pūrṇasya आदाय 0 ādāya , पूर्णम् n1/1 pūrṇam एव 0 eva आशिष्यते III/1 avaśiṣyate
पूर्णम् n1/1 pūrṇam 満ちているものが、という主語的な意味の言葉です。
पूर्णस्य n6/1 pūrṇasya 第六ケースなので、満ちているものの、という所有格の意味の言葉です。
आदाय 0 ādāya 離れて、という~をして、という現在分詞的意味の言葉です。
पूर्णम् n1/1 pūrṇam 満ちているものが、という主語的な意味の言葉です。
एव 0 eva のみが、という意味の言葉です。
आशिष्यते III/1 avaśiṣyate 動詞で、残る、という意味です。
ここでは、先ほど出てきた全体と個が「あたかも」別のもので、それを隔てている媒体の実存を否定しています。
ここでも
अदः n1/1 adaḥ
इदम् n1/1 idam
を補足してみると
(अस्य idam) पूर्णस्य pūrṇāsya この満ちているものの=jīvasya jīvaの
(अदः adaḥ) पूर्णम् pūrṇam あの満ちているものが(意識の源 caitanya)
आदाय 0 離れると、
पूर्णम् pūrṇamn 満ちているもの(意識の源 caitanya)एव eva のみが
आशिष्यते 残る
という意味になります。
これでも分かりにくいと思います。ここでスワミジは2スッテプで説明をしてくれています。
通常 X+Y-X=何になるでしょうか?
X+Y-X=Y ですよね?
でも、個を創り出す媒体=私たちの体をYと表し、それを支える意識の源caitanyaをXとした時、意識的に存在をしている私たち個がX+Yとなります。そこから源caitanyaをXを引いたらどうなるでしょう?
通常の計算式の様にX+Y-X=Yにはならず、X(意識の源 caitanya)एव eva のみが残るのです。
なぜでしょうか?なぜなら
個を創り出す媒体=私たちの体YはX(意識の源 caitanya)が無ければ存在できないからです。なので個を創り出す媒体=私たちの体Yのみが残ることはありません。
一方、常に満ち満ちている意識の源 caitanyaは個を創り出す媒体=私たちの体Yが無くなったとしても存在し続けるのです。
なので、
पूर्णम् pūrṇamn 満ちているもの(意識の源 caitanya)एव eva のみが
आशिष्यते 残る、
となります。
さいごに
と、ここまで書きましたが、多分この文章では伝わらないだろうな、と書いたことを後悔しましたが、自分のためのnoteとして残しておきます。
シャーンティマントラの中でも一番難しいと言われるこのマントラは、īśyāvāsya upaniṣadを勉強する前に習いチャンティングをします。
īśyāvāsya upaniṣadはupaniṣadを勉強する際に一番最初に出てくる教えです。が、このマントラの理解は、upaniṣadだけではなくvedāntaを勉強し続けてようやく分かってくるものなので、私のグルSwami dayānanda jiはīśyāvāsya upaniṣadは一番最初ではなく、3年コースの3年目で教えてくださいました。その理由は、一番最初にこのマントラが出てきたら、訳が分からな過ぎてvedāntaを勉強し続けられるのか自身が無くなってしまうからだそうです(笑)
この素晴らしいマントラの意味の理解は、やはりきちんと準備して、正しく、じっくりと勉強していくものなのでしょう。沢山の方がそのような機会に恵まれることを祈りつつ、締めくくりたいと思います。
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Venki先生のチャンティングクラス:ādityahṛdayam
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2月10, 11, 12日はサンスクリット語の導入キャンプも予定しております。準備ができ次第こちらにアップしていきます。
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