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羨ましく思ったらそれはチャンスだ

今でこそ一番好きなスポーツは水泳と言える私だけれど、そもそも一番嫌いなスポーツが水泳でした。
(いや、スポーツ全般嫌いで苦手だったな。その中でも特に嫌いなのが水泳だった。)

通っていた幼稚園にはプールがあり、近くのスポーツクラブのプールも借りて授業する時もあるくらい水泳に力を入れている園だったので、夏が近づきプールが洗われ水泳授業の雰囲気がし始めると、超憂鬱。
水泳授業がある日は「行きたくない」と母親に直談判していたことも覚えている。

もともと運動神経を前世かどこかに置いてきてしまったのではないかと思うくらい運動音痴でのんびり屋だったので、「浮く」という未知の世界に恐怖を感じたのが嫌いになったきっかけのように思う。

しかし、しっかり嫌いになった出来事は覚えている。

スポーツクラブのプールを借りての授業だった日、水泳をもっと好きになってもらいたかった先生達が考えたのは、『プールサイドに設置されたビニール製の滑り台を滑るとプールにダイブする』というシステム

なにその恐怖アトラクション・・・

あまりにも恐ろしくてしれ〜っと滑らずにいたところを先生に気づかれ、あっという間に抱えられ、抵抗する間もなくシャーーーっと滑らされ勢いよくバシャーン!!

しっかりと水泳嫌いになった。笑

その後、小学校の6年間かけてできるようになったのは「顔を水につける、プール内を歩く、潜る、(たまに)浮く」以上だ。
(余談だけれど、逆上がりもできない子供だった。担任の先生が母親に「僕が受け持った子は全員逆上がりができるようになるので安心してください!」と言ったが、私はその先生の記録を止めてしまった。そして今でも逆上がりはできない。すまん先生。)

友達とプール内を歩いたりするのは好きだけれど、浮く、泳ぐはとにかく怖くて無理だった。水泳授業の記憶といえば、階級ごとに色分けされた水泳帽がいつまでたっても赤いままで嫌だったことや、プールサイドの濡れた枯葉や、泳げる子達があげる水しぶきのきらめきばかりだった。

しかし、転機は突然訪れる。

中学に上がり、水泳部に入部することにしたのだ。
全く泳げない水泳嫌いの12歳が自発的に水泳部に入部を決めたことに一番驚いたのは家族だった。そりゃそうだ。水泳授業をどうにか受けたくないと直談判していた子が水泳部に入るなんて何かの間違いとしか思えない。

キッカケは本当に些細なことだった。
仲が良かった友人が水泳部に入る&彼女のお兄さんが水泳部の部長だったこともあって、「水泳部」の存在が急に近づいてきた。
その時、「このまま泳げないままでい続けるの、嫌だ」「泳げる人生も経験したい」と急に思ったのだ。
そして私はあっという間に50M泳げるようになり、飛び込みも潜水もターンもできるように1年でなった。

とことん嫌いになって、できない自分をまざまざと見続けた結果、急に世界が開けた。この経験は今後の私の人生に本当に役にたっている。(ということに最近気がついた。)

とにかく「できない」をさらけ出す。
嫌になるほどできない自分と一緒にいる。
信頼できる場、人とやってみる。


行きたくない、やりたくないと直談判していたが、皆勤賞が好きだった私は皆勤賞を逃さないためにも渋々水泳の授業に出て、その場にはい続けた事が「まざまざと『できない』を痛感し、さらけ出す」時間になっていたんだと思う。
そして、皆勤賞>水泳授業、だった時点で水泳に対して「絶対に嫌」ではなかった自分が見えてくるし、できる子達が羨ましかったということは、自分もできるようになりたかったのだ。

「できる人を羨ましく思う、自分ができないこと。」
「できる人が羨ましくて、自分ができなくて嫌なこと。」には、好きが隠れている可能性があると思う。

羨ましく思ったら、きっとそれはチャンスだ。