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絶対に分かり合えないから

 noteで知ったまだ若い人、その人を3年前に知ったんだけれど、とても才気ある社会人になる直前の人で、記事に魅力があった。この人はきっと世に出ていく人なんだろうなと、すごくわくわくした。その後、私自身もnoteを数ヶ月に一度程度でしか開かなくなっていて、最近になって、ああ、あの人は今どうされてるのかと久しぶりにチェックした。あまり更新されていなくて、直近の記事の内容からすると社会に出られていろんな事があったのだと知った。

 ネット活動してきたこの7年間のなか、将来に希望が満ち溢れてる若者が挫折というか、「社会に潰されていく」のを幾度もみた。そういった事柄は、会社組織やらこの国特有にある人と人の「ある空気感」について考えてしまう。私が15回の転職を経験したのも大きく言ってしまうとそこに起因した転職歴だともいえる。

 東南アジアやアメリカ、中国などに出張や旅行した経験値からすれば他民族な社会ほど「うわべだけの付き合い」が当たり前でそれが実はとても心地よかったりする。いや、どの国にもそれなりに問題があるだろう。おそらく。でもなんというか、私がみてきた若者諸氏はみんなかなりの優秀さを持った人たちで、その優秀さがあるからこそ潰されているように思えてならい。それぞれに個別の事柄があるとして、、否、「個別の事柄を持ち出すな」と、特有の圧力をこの国の空気感はかけてくる。個別を排除して「うわべではなく深く輪(チーム)に貢献せよ」と強いる。違うかな。おそらく当たっている。他人と他人が分かり合えるなんて絶対にない。なのに、分かり合える、わかり合おうと圧力がかかってくる。平たくいうとこういうセリフになるかな。「なぜ出来ないのか教えてくれ。何か理由があるんだよね?え?なんでそうやるかな。なぜ?教えて。分かり合えばお互い成功出来るから」おいおいだよね。

 とても素晴らしい日本人なんだけれども。とても素晴らしい世間ではあるのだけれども。

 ゆるやかに出来るかぎりささやかに私はセーフティネットでありたいと考えている。ウザい応援おじさんではなくてね。

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