舞台「パラダイス」考察ーーー償うことで生まれる格差社会の中の小さなパラダイス
2022年9月25日から11月3日にかけて
大阪 森ノ宮ピロティーホールと
東京 bunkamuraシアターコクーンで行われた
舞台「パラダイス」を観劇してきました!
同じく2022年の2〜3月に上演されたヘドウィグ (略)に続いて、丸山隆平さんの俳優としての新境地を見ることができました。
その記録を感想・考察をいっしょに諸々纏めておきたいと思う。
※加筆修正履歴
・10/17
・10/19
・10/28
・11/5
・11/6
1.作品全体の印象
まさに赤堀ワールド全開、という印象。
社会や家庭でのリアルを散りばめながら、現代に生きる我々への問題提起も隠されているような作品だった。
赤堀さんがパンフで仰っていたように、この作品はドラマ的なあからさまな〈ここ盛り上がるところですよ!〉といったような演出や要素を排除して進んでいく。主演:丸山隆平となってはいるものの、あくまで彼自身と彼をとりまく環境をそのまま描いていく為ある種ドキュメンタリー的な側面もある。
登場人物に感情移入できる人からすれば他人事とは思えない窮窟で重苦しい時間が続き、逆にそうでない人からしたら俯瞰的に見られてブラックコメディ的な喜劇になる。
赤堀作品は共通して「あとは想像にお任せします」的な"間"が多い。今作も"間"がかなり用意されているため『こういう過去があったからこうなりました』というような行動の理由付けや説明が明確に無く、観客にほぼ丸投げ状態。
初回の観劇では説明不足すぎるようにも感じたが、この間があることで観客それぞれが自分なりの解釈を持ち、必ず心に何か残す。終わった後も楽しめる作品になるんだと、大楽後の今は感じている。
また、展開がドラマ的になるのを避けたのと同じように登場人物の設定を細かくしすぎて“自分とは違う異端な人"になるのを避けた可能性もある。
特別"恵まれていなくて不幸だった"から非行に走るのではなくて、普通の人でもちょっとしたキッカケで道を逸れてしまう…そういう人物の代表として梶を描きたかったのかなと思っている。
2.作品のポイント
『罪を受け止めて、それに対して詫びる』
何度か観劇した結論としては、いくつかあるテーマやモチーフの中で上記がストーリーにおけるメインテーマだと考える。
これ以外にも演出上のキーポイントや、物語の基盤となる要素もいくつか登場するので本ブログではそれらを纏めて読み解いていきたい。
貧と富のモチーフ
上と下(関係性や立場)のモチーフ
犬とカラス
名前
小道具や衣装
悪いことをしたら謝る⇒罪の意識
これら殆どのモチーフが、それぞれを介して生まれた違いによって登場人物同士の“差"を表現している。
人間社会において貧富や立場・価値観の差はつきものであって、それは裏社会も表社会も関係ない。主人公梶浩一を取り巻く環境もまた"差"が生み出したすれ違いがあり、それによって関係が変化していく様子を描く。
また、登場人物達を比較しその差によってカテゴリ分けすることで、人物像を描く際の指標になる役割も持っている。
「罪の意識」のモチーフに関しては、登場人物同士の比較というよりも一人一人における“変化”を描いていると考えられる。変化する人物と変化しなかった人物がいることで、その結末を通して観客に"変化"の意味するところを提示している。
「自分の罪を自覚する」「非を認める」ということが出来ない人ばかりが登場する本作。そんな彼らがどう変化していくか、それが今作の主軸になっていると感じた。
だいぶ含ませた言い方をしているけど後述するから許して…
とにかく梶浩一くんの話をしたくて堪らないので、まずは主要人物それぞれについて。
3.登場人物
▼梶浩一
年齢:30〜37歳(38歳遅刻男よりは歳下で、20代寿司屋の出前より歳上)
略歴:「普通の家庭」で育つ。大卒後、一度就職。「彼女だって出来たし」
冒頭から人をぶん殴っていた梶くん
最初こそヤバイ人に見えたけど、物語が進んでいくにつれて、どこにでもいる人間臭くて未熟で繊細な人間なんだろうと分かっていった。
彼にもっとズル賢さあれば、あんな結末にはならなかったんだろう。まさに辺見が言っていたように無鉄砲で青臭いところがある人。(そんなところも可愛い)(オタクの性)
・無鉄砲
終盤、彼は裏社会や詐欺に手を染めたことを「俺が馬鹿でした」と後悔をする。しかしその後悔はあまりに遅すぎた。
おそらく梶くんは猫を殺され辺見の怖さを実感するまで、裏社会での未来のことなんて大して考えていなかった。辺見への憧れと曖昧な世間への復讐心だけが彼を動かしていたから、自分が悪事を働くことで不幸になっている人間がいることも、裏社会で生きる難しさも分かってなかった。
劇中でもそういった、
“先のことを考えてない"
"自分の行動の本質が分かってない"
無鉄砲な性格がよく出ている。
端々に梶くんの甘さが出ていたなと思う。
一般社会でも周りが見えていなかったり、計画性がなかったりすると生きづらいことがある。悪気がなくても。まさに、生まれながらにして罪を背負っているような感覚。
第1場のかけ子たちの研修所のシーンで彼は障害者の獄中体験記本の話をしていたが、その筆者に共感したのはそういう“生きづらさ”を感じていたからなのかも知れない。
・青臭い
世の中には理不尽なこと不平等なことがたくさんあるが、多くの大人達は仕方ないと割り切って生きている。しかし梶くんはそれができないタイプだったように思う。
BBQシーンで、若林を贔屓する辺見に「見損なった」と言った梶くん。それに対して本当は嫌々受け入れているんだと弁解する辺見。詐欺を通して甘い蜜を吸う富裕層へ復讐をしてきた梶くんからしたら、お偉いさんの息子だからと生意気で無知な若林を贔屓する辺見の姿は、復讐と称して自分が今までしてきたことを否定するように映ったのかもしれない。
のし上がるために気に食わない上の人間に媚びなきゃならない場面はどこでもある。嫌われたら・失敗したら最期の裏社会なら尚更。でも梶くんにはそれが納得できなかった。
辺見は梶のそういう、覚悟が足りていなかったところを『青臭い』と表現していたんだと思う。
そう言う点で彼は裏社会には向いてない人だったなと思う。
・自己主張が薄く、受け身
無鉄砲である種行動派な側面とは別に、周りの様子を伺っておとなしく、時には影響されやすいような一面も見えた。
例えば辺見に脅された後実家に帰ったシーン。
(ヤクザとつるんでおいて家族を捨てるつもりは無い様子も甘いなと思った)
このシーンではことごとく家族に発言を無視される。ドアから入ってリビングに降りてきた時点でソックスしか履いておらず、帰宅した瞬間ではなく既に家にいたことが分かる。なら家族も梶くんがいるのを把握しているはずなのに彼が「○○って?」と質問しても誰一人答えない。それでも梶くんはそれでキレたり大声を出して自己主張することもなく、おとなしい。「あぁ、昔○○だったところだよね」と昔のことを掘り返すしかない意味のない相槌ばかり打っていた。
また、家族にはスリッパが用意されているのに対して梶くんはソックスそのままだった。食卓にも椅子は4つだけ。彼は自宅なのに一度も椅子に座らなかった。(ソファーのアームには座った)
このシーンで、今の小川家には彼の居場所が用意されていないことが分かる。
小川家が昔からこんなに人の話を聞かなかったのかは分からないが、梶くんがニラくさい幻臭の相談をした際に怒られて一蹴されているあたり少なくとも姉の性格は昔からだと考えられる。医者にかかるほど悩んでいたのに両親には相談すらしないあたり、普段から“話を聞いてもらう環境”がなかったことも想像させる。
猫探しのシーンでも彼が聞き手に回るしかない様子が描かれた。
嬉しそうに涙しながらマロン(猫)との出会いのエピソードを語る姉。それを見て本当は猫が殺されている事実を言えずにいた梶くん。罪悪感に耐えられなかったのか「多分の俺のせいだと思う」と話す。姉はそんなことないとフォローしてくれるが、その後父親とふたりのシーンでも「あのさぁ」「俺さ…」と3回も何か言いたそうにしていた。しかしそれら全て話を遮られてしまう。
梶くんは人の話を聞いてる間は必ず相手の方を見て「うん」「どういうこと?」と比較的多めに相槌を打つ。シリアスな場面でも自分の話が無視されても人が話す間は軽く笑みを浮かべながら話を聞く。
私はこの様子に、昔から無自覚のうちに自分の主張を飲み込んで人(家族)の話を聞くことで機嫌をとってきた/場を収めてきた人のような印象を受けた。
ただ、いくら話を聞いてくれない人々でも梶にとっては唯一無二の家族。久しぶりに会って思ったより年老いていた両親、出戻って1人で店を切り盛りする姉。そんな家族が夜中に総動員で猫を探す様子。しかも多分自分のせいでいなくなった猫を…それらを見て家族への気持ちや情が湧いてしまったんだろう。
猫探しシーンでは梶くんの元来の性格を描くと共に、しばらく疎遠だった家業も知らない家族に秘密を打ち明けたくなるほどに彼の中の優先順位が 辺見 < 家族 になった様子が表現されていた。
・繊細さ
先述したように梶くんはぼんやりと“生きづらさ”を抱えた人物だった。それは彼に特別なハンデがあったというよりも、繊細に物事を受けとってしまう性質が要因であったように思う。
実家でニラが腐った匂いがする話をして、それが人間の匂いだと人間に対する嫌悪感を示していた梶くん。しかし家の外(学校や会社)にも人間はいるのに、彼は「"家"から出たい」と悩んでおり実家だけでその匂いを感じていた。
ここから“人間"ではなく“家族"に対する嫌悪感が、幻臭までも引き起こしていたのではないかと推測できる。本人も原因を自覚していないうちに家庭内でストレスを溜め込んでいたことが分かる。
いくら家族が話を聞かない人ばかりだからと言ってそこまでストレスを溜めないだろう!と思う方もいるかも知れない。
しかし劇中でも〈彼がストレスを溜めやすく、それが心身に影響しやすい様子〉は描かれていた。
辺見と対峙する屋上シーン。
梶くんは明転後からずっと目が虚ろで様子がおかしい。中でも特別感情が昂る時に以下のような挙動が見られた。
過度な瞬きや浅い呼吸、顔をギュッと顰めたり鼻を啜ったり生唾を飲み込むなどの、一般的にはトゥレット症候群(チックとも)の症状と言われる動作だ。これらは、辺見の口から①まだ彼が辺見に憧れていた頃寿司屋連れて行ってもらった時の話や、②若林殴った件の後始末を影で辺見がしてくれていた話を聞いた時、③辺見が「お前だけは友達だと思ってたんだけど」と言った時、そして最後に④真鍋の「不器用なんで」を馬鹿にされたときに明確に表れていた。
オフィシャルに言われているわけではないため挙動だけを見て判断し記載するのは気が引けたが、梶くんが抱える“生きづらさ“に直結する要素と考え、あえて言及した。
これは彼が必ずしも障害を抱えていると断定するものではなく、似たような症状を抱える彼には少なくともそれ故の生きづらさや、そうなってしまう繊細な性質があったと私自身が想像したものであることはご理解いただきたい。
・辺見への憧れ
辺見は裏社会で上に立つ人間として優秀で、ボーリングでマイボールを触られただけで怒鳴るし、梶にも口で忠告するだけでなく猫を殺して恐怖心を与えて牽制した。
対して、物語が進むにつれて大人しくなっていく梶はどう見ても裏社会には不向きの人間で、(冒頭の暴力シーンはなんだったんだ…?)と疑問に感じた。
この点について、辺見に憧れていたが故に真似事をしていたからではないかと推測している。
辺見が「人間のこと信じてないから」「俺臆病だから」となにかと理由をつけてジリジリと梶を追い詰める様子は、冒頭の梶が「このままじゃただの暴力になるから」と正当化して遅刻した原田を殴りつづける姿を彷彿とさせる。
変に大声を張ってヘラヘラしながら部下たちを言いくるめるやり方は2人に共通していた。
後述するが辺見と同じタバコを吸っていたり、時計が似ていたりと梶は辺見の持ち物も真似していると推察できる。(辺見が直接教えたから同じの可能性もある)
付き人時代には愛人の世話をしてまで辺見の世界へついて行こうとしていたことからも、彼の中の辺見への憧れが大きかったことが分かる。
そんな彼からしたら、ボーリング場でこれまで育ててくれた辺見に独立という出世を許されず、さらに「俺、信じてないから。お前だけじゃなくて人間のこと!」と突き放されたことは相当なショックだっただろう。
この辺見の発言が、梶くんの気持ちが裏社会から離れてしまう大きなキッカケになった。
余談として。
ラスト、小川家に帰ってきたのは誰なのかという点。私は姉の息子だと思っている。
9/30のアフタートークでは『「俺はこの家に戻れなかったんや」ってまるちゃんが泣いてた』と八嶋さんが言っていたそうなので、少なくとも丸山さんは同じ解釈のはず。ただ、赤堀さんがどのつもりかは語られていないので、その辺りは自由でいいと思っている。
私が息子だと思う理由としては
・姉が梶くんに「おかえり〜!」なんて言わなそう
・梶の帰宅なら「こんな時間に…」もなにもない
・青木が梶を助ける理由はない
(道子にもこいつは戻るところがないと言う)
・辺見の上司も梶を許すとは思えない
挙げてみたら4つしかないので確信には至らない。
「ちょうど良かったカレー余ってるから〜」に関しては、この日元々晩御飯を食べる予定だったのか否かが分からないので、息子と断定する理由にはならないと思っている。
▼辺見豪
梶の上司。
梶が「あの人性格悪いから、だからあそこまで上り詰めた」と真鍋との電話で言っていたことから、今はそれなりの役職であること、叩き上げで上り詰めたことが分かる。
彼も初回観劇と2回目以降で印象が違う人。
最初こそどれが本心か分からない怖い人に見えたが、最後には本人も言っていたような『臆病な人間』なんだと分かる。裏社会で上手くやっていけるようなズル賢さを持ち合わせた反面、梶に対してだけ素直になることができなかった不憫な人。
特徴的なのがBBQのシーン。
「もう辺見さんと縁切ります、独立してこいつ(真鍋)とゼロからはじめます」と言い出した梶に対して、それまで流暢に冗談も交えながら話していた辺見が『残念だよ…俺は!お前のためを思って…!!』と声を荒らげた。それまでも梶たち部下を牽制する時に大声を出すことはあったが、このシーンではおそらく唯一自分の想いをそのまま吐露して感情的に梶に詰め寄っていた。梶が去った後も上空を旋回するヘリに向かって『無意味なことはやめてくれよ!!!』と叫んでいた。前後のやり取りからしてこれも梶に対する本音だと思う。
辺見は裏社会が簡単に独立できるほど甘くないことを知っていて、そんな意味のないことをする梶を本気で止めたかったんだと分かる。ボーリング場で梶に「俺も昔はやろうとしたよ、けどそんなの無理だ」と言っていたことから、辺見自身も梶と同じように野心を持って独立を目指した結果痛い目をみたのだろうと想像できる。
そこで諦めたのが辺見で、諦めなかったのが梶。
ズル賢いぶん組織の中で立ち回るのは得意だが、臆病だからリスクを負ってまで出世や自由を求めないのが辺見。
後先考えず無鉄砲で、青臭くてその場の感情に左右されやすいから辺見の忠告を聞けなかった梶。
この差が2人の関係に亀裂を生じさせた。
辺見と梶の関係性について。
辺見は決して梶のことを嫌っているわけではなく、むしろ相当可愛がっていた。
梶の独立の噂についても、若林を殴ったことも、上司へ代わりに謝っているのは辺見。しかも事後報告で伝えてるあたり、それをダシにしようor恩を着せようとしての行動ではないことが伺える。
まったく梶に愛情がなければ、トラブルの根源である彼をそれこそ真鍋のようにボロボロになるまで痛めつけてビルの基礎にでもしてしまえばいいものを辺見はそれをしなかった。梶が思い直してくれると信じたかったから。
辺見にとってあくまで目的は梶の改心であり、その手段が暴力だった。しかし、それは結果的に最悪手だったと思う。
梶にとって、それは自分を暴力で服従させる姿に映ってしまった。梶→原田(遅刻男)のように付き合いも短い、ただの利用する/される関係性であれば暴力や恐怖によって相手を支配するやり方は裏社会ではごく普通のことである。しかし梶と辺見は付き合いも長く、梶からすれば『ずっと一緒にやってきた辺見が、自分を信用してくれず力でねじ伏せようとした』姿は裏切りのように感じられただろう。
辺見が自分のために上司に頭を下げてくれていたことも、若林を贔屓するようにきっと上に媚びる姿として映ってしまった。もう「信用してないから人間のこと」と突き放されて以降、梶は以前のように辺見のことを信用できなくなっていた。
ただ、個人的には辺見は最後まで梶に寄り添おうと彼なりに本気で努力していたように思う。
たしかに暴力などではなくもう少し気持ちに訴えかけられたら…という点はあるが、辺見は屋上でナイフを自分に向けた梶に対しても「いや、俺は全然いいよ!?俺お前のこと好きだからさ!お前がちゃんと改心して戻ってきてくれればハッピーエンドだよ…!!」とこの期に及んでまだ梶を許そうとしていた。それほどに辺見にとっても梶は大きな存在で、本気で最後まで改心してほしいと願っていたことが分かる。そんなことしても逆効果だと辺見が気づかなかったのは、ある種DV男のような“自分が被害者”である意識が強かったからではないか。
辺見が暴力に頼らず素直に梶へ訴えかけることが出来たら、梶くんが自分のために辺見が動いていることに気づけたら、2人のすれ違いは起きなかったんだと思う。
屋上のシーン。
身を呈して梶を守る眞鍋をみた青木が「よっぽど君に惚れてんだね!そりゃ辺見さんも嫉妬するよ」なんて言っていた。
もし真鍋がいなかったら、辺見ももう少し冷静に梶に対処出来ていたのかも知れない。
▼真鍋清
「梶さん…!」の人、一貫して梶さん大好きな人。
パンフで毎熊さんは“挟まれている男”と表現していたけど、中間(ほぼ梶さん寄り)のポジションでなによりも梶本人のことを心配している印象だった。
性格も言動も中途半端な梶に比べて、真鍋は分かりやすい。
彼は手首までビッシリ刺青が入っていて、終盤で辺見にケジメつけようとした時も指を詰めて解決を試みたりと、梶よりもよっぽどヤクザっぽい。兄貴分の梶を差し置いてしゃしゃり出ることもないし、かけ子たちがいるシーン以外では基本的に1番下っ端としての立場を弁えた振る舞いだった。ボーリング場では他3人が椅子に座っても、彼だけその側で立ったまま。BBQでは態度のデカい若林について何か言うわけでもなく、黙々と1人肉を焼き、辺見の冗談には笑顔で返す。若林がロマネを飲む側で彼はビールを飲む。(そしてボーリングが上手い。)
そんな彼が唯一目立つ行動をとるのは梶を守る時。
若林を殴る梶や、辺見を殺そうとする梶には必死に「梶さん…!」と止めに入っていたし、しまいには梶に黙って指詰めて辺見にケジメをつけに行っている。BBQで辺見の前から立ち去る時も、しっかり辺見のことを睨んでから梶の後について行っていた。
とにかく梶への忠誠心がすごい。
梶と辺見の出会いやこれまでが全く描かれていないから2人の関係性を読み解くのは少し難しいが、「少しの間だけど梶さんには良い思いをさせてもらった」「日本人が大嫌いだったけど復讐できて良かった」これらのセリフから2人は出会ってからまだ長くないこと、真鍋は日本人じゃない可能性も読み取れる。
日本人が嫌いな人間が日本で快適に暮らせるかといえば、そうではないだろう。梶が生きづらさを抱えていたように、真鍋もまた日本での生きづらさや不満を抱えており、2人はそこで共鳴し惹かれるものがあったのだろうと想像する。
短期間の付き合いなのに自分の身を挺してまで守ろうとしたり、沖縄へ逃げるように言われて泣いたりするほどには、忠誠心だけでなく厚い情もあったことは確かだろう。
梶もそれなりに真鍋には情を抱いていたはず。
2人はセリフもなく顔を見合わせて微笑み合う様子が何度もあった(かわいい)。真鍋は梶を立てて扱うことが多かったが、それと同時に2人は友達みたいな関係でもあったんじゃないかと思う。
2人の電話のシーンでは「俺自分の枕じゃないとうまく寝れないんだよ」と話す梶に対して「うるせぇな笑」と返されるくらいのちょっかいも出せる関係性であると分かる。
とは言え真鍋は基本的に梶の気持ちや様子を伺いながら立ち回っており、真鍋が死ぬ直前の梶との会話でも「梶さん、俺…」『ん?』「なんでもないっす、ただの寝言です」と最後まで気を遣っていた。沖縄に逃げさせようとした梶の魂胆を察して先回りした真鍋のことだから、変に感情を吐露して梶を悲しませるような言葉は言わないように気遣ったのかも知れない。
真鍋のほうが上司への忠誠心が強く、周りが見えていて、先も読めている分、裏社会には向いていたように思う。
1番感動したシーンは6場ナイフのシーン
フラフラと刺した辺見をまだ追いかける梶と、そんな梶を止めようと自身も瀕死ながら必死に這いつくばっていた真鍋。2人の最期の会話は梶の実家のニラ臭い話だったが、真鍋はそれを聞いて笑いながら仰向けになり、その目からは涙が流れていた。
大楽観劇まで気づけなかったこの涙。真鍋の梶への熱い想いがそこまでのものだったんだとハッとさせられ、同時にこれほど献身的な真鍋には幸せになってほしかったと思った。
基本真面目な真鍋だけど、冒頭のシーンで「ここは学校じゃねえからなぁ!!」を繰り返していたのは意味わかんなくて面白かった。
▼青木幸司
1番怖い人、コストコに拳銃持っていくヤバいやつ。
最初ヤバくてだんだんと繊細さが見える梶や辺見とは対になる存在に思う。
最初こそ辺見の機嫌を伺う典型的な付き人に見えたけど、最後はその辺見をも撃ち殺した。
しかし誰でも殺すサイコキラーというわけではない。ラスト屋上のシーンでは道子のことをわざわざ一万円のお小遣いまであげて逃していた。
このシーンを赤堀さんはパンフで「次世代への希望の象徴として描いた」と仰っていた。
青木はラストで辺見への謀反を達成した。
屋上では嫌いなカラスも、うるさい中年男も、めんどくさい辺見も、もう死んでる真鍋も殺して「ざまぁみろ!」と言い放つ青木の様は、これまでの抑圧された鬱憤を晴らして覚醒しているようにも見えた。
青木は辺見の扱い方が上手く、ボーリングでは程よく競い、「ボロ負けじゃないすか!」と茶化す梶と真鍋に静かにするように宥め辺見に気を遣う。コストコに連れてってもらえたら本当に楽しかった!と喜ぶ。梶が辺見の言うことを聞かなければ自分が真っ先に銃を取り出す。このように、もしかしたら梶よりも辺見に尽くしてきていた。
しかし、そんな青木も辺見にとってはハイエナのようにおこぼれをもらう“犬”だった。相棒や右腕ではなく犬。その証拠に高級品を身につけたり優雅に寿司を食う辺見に対して、青木は劇中ずっと見窄らしい同じジャージ姿で、BBQの肉も屋上での寿司も食べていない。
辺見に信用されず利用され搾取されつづけることに不満を抱え、謀反の隙を狙い続けていたのかも知れない。
最後は辺見を殺して犬から脱することになる。
結局うまく独立出来なかった梶と、それに乗じて下克上を成し遂げた青木。
青木がいることで梶の半端さも際立って見えた。
▼小川家
あるあるが詰まりすぎてる家族。
小川浩一が梶浩一になる基礎を作った家族。
見る人の家族や家族観によって、小川家の見え方もかなり変わってくると思う。個人的には居心地は決して良くないが、家庭が崩壊しているわけではない〈ちょっとやだなぁ〉くらいに見えた。「うわぁ、こういう人いるいる」「父親(母親)ってこうだよな」と共感する場面も多くあった。
・父
まるで昭和の世界から来たような、誰彼かまわず怒鳴り散らす父親。
Amazonの件でクレーム電話を入れる娘に対して「お前は女だから舐められてんだ!」と怒鳴る。冒頭のシーンで梶が「男も女も関係ない、そんなの今はコンプラ的にアレだ」と言っていたため、余計に父親の価値観の古さが強調されていた。
体を壊してるのにビールもタバコも辞めない頑固者だけど、久しぶりに帰ってきた梶に「お母さん喜ぶから泊まっていけ」と言ったり、マロン(猫)の好きなチュールを覚えていて買ってきてくれる優しさも持ち合わせている。
・母
都合が悪いことは聞こえないふり?で我関せずの母親。
家の中でガン無視されていた梶くんに最初に話しかけたのは母親だった。「あーあるある、お母さんが1番息子に甘いんだよね」と赤堀さんの切り取り方の秀逸さを感じた。
ラストシーンで「まだ起きてたの?」を「まだ生きてたの?」に空耳した旦那に対して「私がそんなこというわけないじゃない!」と怒っていて、そうだよね喧嘩するけど死んでほしいわけじゃないもんね(泣)と、決して良好ではない夫婦間に残る少しの愛情を感じることができた。
市役所に行くという娘に対し「なんかの会員になるのに住民票が必要だからわたしも行く」と話していた母親。しかし会員登録に住民票が必要な事などまず無く、本人も何の会員になるのか曖昧な様子から、これは何かしらの詐欺に引っかかっている可能性が読み取れる。
今作では梶が裏切ろうとしたことで家族(猫)に危害が及んだが、詐欺行為は直接的に狙われなくとも高齢者のいる家庭にはいつでも忍び寄る闇であることがひっそりと描かれていた。
・姉
喋りで人を黙らせるタイプ。こわい。
自宅で梶と2人で会話するシーンではあれこれ話しかける梶のことは無視して「コロッケ値上げしてもいいと思う?」なんて自分の話だけ聞いてもらうし、猫探しのシーンでも「家はどこ?マンション?」「車は何乗ってる?」なんて下世話な質問ばかり。小川家でいちばんやばいのはこの姉かも知れない…質問ばかりするわりに「今どんな仕事してんの?」が一回もなかったことや、帰るだけの渋谷区のタワマンは「勿体ない!」別のとこに引っ越しちゃえと梶に生活を帰るよう暗に促していたことから、もしかして梶の家業を知ってたのではないか?と読むこともできる。
マロンちゃんのことを話す時に涙していた様子から、相当猫を可愛がっていたことも分かる。
小川家の食卓に席は4つあったが、劇中そこに座るのは母と娘だけ。父は食事の時もソファーに1人陣取っていた。これは、この家族が同じテーブルで団欒な時間をすごせるほど円満ではないことを表している。
ただ、ラストシーンではそんな小川家にも変化があったことを表現していて、個人的には1番希望を感じることができた。憎たらしいけど憎めない家族。
▼詐欺グループ
基本的に望月道子と、ヤクザの息子の若林弘以外はそこまでピックアップされていない。
・望月道子
冒頭のシーンから一貫して1番必死に電話をかけていた彼女。おそらくそれは梶や組織への恐怖感からだけではない。誰かに復讐したいという梶に共感したり、昼休憩も取らずに成果を上げようとしていたり、途中で「元風俗嬢」「こう見えて終わってる」「今まで見下してきた奴らを見返したい!」と言っていたように彼女こそ本当に崖っぷちで、やるしかない状況だった。
どうしてそこまで追い詰められたのか分からないが、自分の状況を理解してとにかく脱しようという姿勢があったから、おそらくもう捨てるものも何もなく覚悟を決めていたから、唯一劇中で助けられた人物なのかも知れない。
公演を重ねるに連れて、彼女のテレアポが上手くなっていくのが面白かった。
・若林弘
見た通り、人間性の浅いお調子者。
冒頭シーンでも梶が怒鳴っているのに「窓開けましょうか?」
遅刻原田が謝って事態が収束しそうなのに「俺はこいつの謝罪受け入れる気ないっす」
BBQで上司の梶や真鍋が立っているのに、自分は大股広げてシャンパンを飲み干す。(挨拶もなし)
辺見「腐っても鯛」 若林「腐ってないッス!」
とにかく終始遠慮がなくて空気が読めない。親が全てなんとかしてきてくれた、恵まれた出自がこうさせたんだろう。
中年男には「穏やかじゃいられねぇぞ!」と吠えていたが、梶に殴られていた際はたいして反撃もできていない様子からして喧嘩の腕も中途半端なチンピラであることが読み取れる。
崖っぷちで覚悟決めた道子と、親の脛を齧るやる気のない若林。
貧⇔富のモチーフとして1番わかりやすい2人だった。
4.ストーリー考察
ここまで登場人物の背景や関係性を考察していったが、ここからはストーリーのヒントとなるモチーフや構成から物語そのものを読み解きたい。(お待たせ)
冒頭に述べたように、今作ではモチーフを基準に人々を対比して描き、その"差"によってストーリー展開や人物像を作り出している。
▼貧と富
一番象徴的なのは貧富の差。
分かりやすい金銭的な貧富によって「持っている人間」と「そうでない人間」を描き分けた。
奪う詐欺師と、奪われる富裕層。
崖っぷち道子と、ぼんぼん若林。
寿司とワインばかりの辺見達と、息子の久しぶりの帰宅でご馳走として出前寿司をとる小川家。
コストコで肉を大量買いして余らせる辺見達と、3日連続カレーの小川家。
タワマンに住んでるけど帰って寝るだけの梶と、タワマンに住むのが夢だったと語る姉。
これだけで登場人物の社会的立場が分かるようになっている。
また、「持っている側」の若林や辺見たちはそれに胡座をかいている様子も伺える。
必死に仕事をしない若林、肉も寿司も食べ残す辺見、せっかくのタワマンもただの寝床な梶。
猫探し後の姉弟2人の会話で姉が「もったいない、もったいない!」としきりに言っていたが、これは「持っている側」のそんな態度を揶揄するメタファー的台詞だった。
▼上と下
今作は基本的に上段と下段、2つの舞台(物理)で展開していく。
④4場までの前半戦では、基本的に1場において片方だけを使用。弱者側のかけ子や小川家は下段のみ、強者側の辺見や梶・若林らは上段のみの使用。と立場と物理的位置が一致していた。
上と下を行き来する梶と真鍋に対して、辺見や青木は⑥6場まで1度も下段に降りない。他の人物よりも圧倒的に上の立場の人間であることを表現しているんだと思われる。特に④4場では優雅に肉を食べるBBQ組とカップ麺で休憩するかけ子組の対比が印象的だった。
ところが⑤5場の猫探しでそれまで下段にいた小川家が上段へやってくる。物語における勝者(生き残る者)が、梶の心変わりによって入れ替わった瞬間なのではないかと推察する。梶は上から下へ降る階段で真鍋に決意の電話をかけており、あの階段が物語のターニングポイントになったことが分かる。
⑨6場では下段にいた中年男・辺見(途中で上に移動するが下で梶に刺された時点で瀕死)・真鍋は全員青木に殺されており、上段にいた道子だけ生き残った。
BBQの場面で辺見は「日本最高!パラダイス!」なんて言っていたが、パラダイス側(上段)にいると思われた人間は殺され、“社会的敗者”として描かれてきた道子や小川家だけが生き残った。
詐欺グループの破滅をより皮肉を交えて描くために、このような逆転する展開を用意したのだと感じた。
▼犬とカラス
青木が梶に語った「脚が3本ずつだった犬とカラス。カラスは羽があるからと偉い人(神様的な人)が犬に一本分け与え、犬は今でもその恩義を感じて用を出す際は片足を上げている」「偉い人って全然偉くないね」「犬はそんな遠慮する事ないのにね」という話。
犬とカラスはそれぞれ登場人物に当てはめて考えることができる。
まず分かりやすいのは、
詐欺師(足りてないから奪う)と
被害者(満ち足りてるから奪われる)の象徴。
次に
青木(お溢れを貰うハイエナ)と
辺見(狡賢く飴と鞭を与える)の象徴。
そして
どちらにも成りきれない梶(詐欺師として搾取し辺見の下に付くが強者の機嫌取りはしない、辺見の恩も仇で返す、独立して強者になろうとしたけど失敗)の象徴。
さまざまな人間を表現していたと思う。
梶くん=カラスになろうとした犬とも言える。
なぜならカラスは犬の対になる存在とは別に、飛翔のモチーフとしても描かれていたから。BBQで上空を旋回する自衛隊のヘリに「無意味だからやめてくれ」と声を荒げた辺見。話の流れからして、これは梶に向けての気持ちであり、自分の元から飛び立つ/独立しようとする梶を意味なく旋回するヘリと重ねていた。
また、梶は常に服が黒ずくめだったことと、ラストで青木が梶に銃口を向けている時にカラスが落ちてくる演出で飛び立とうとしたカラス(梶)を撃ち落とす表現に見えることからも推察できる。
屋上のシーンで、これまで犬(≒ハイエナ)だった青木に次々と撃ち落とされ、最後には「ざまぁみろ」と言われるカラス。このカラスは今まで青木を利用してきた辺見であり、これから上を目指していた梶でもあった。
余談。(11/5)
当初私は、辺見とその上のヤクザも「犬とカラス」に例えられると推察した。しかし次の青木の台詞について考えるうちにその考えは変わってきた。
青木はカラスと犬の話をする際、
「(カラスの足を奪う)偉い人って全然偉くないね」
「(犬)遠慮することないのにね、あんな小狡いやつに」
と何故かカラスと犬の両方に同情するような立場で話していた。
つまり青木は上の立場を利用して搾取する神様的な偉い人をよく思っておらず、かといって奪う側の犬が間違っているとも思っていないということになる。ここで重要なのは青木がよく思っていないのはカラスだけではなく「偉い人≒ヤクザ」も入っているということ。
つまり青木は単にカラスに怯える犬ではなく、〈奪われても満ち足りてるのに被害者ヅラしてカアカア飛び続けるカラス〉も〈犬の為と正当化してカラスの足を奪う偉い人〉も嫌いだったのだ。
これはまるで、甘い蜜を吸う富裕層や上役の辺見に加え、その上にいる組織のヤクザや日本の社会全体への不満の現れのようにも聞こえた。
だからこそ社会的弱者として覚悟を決め他人から搾取してでも生きてやろうとする望月を助け、それ以外のカラスの辺見や中途半端な梶を殺したのだと納得した。
余談の余談。
ヤクザ用語?で
犬=諜報員、警察関係者
カラス=詐欺師
という意味があるらしい、、、、
▼名前
梶浩一は本名ではなかった。正確にいうと家族とは違う姓を名乗っていた。
これが偽名なのか、ヤクザと養子縁組したものなのか、元から違うのかは分からない。
辺見が梶のことを「浩一」と呼ぶたびに「下の名前で呼ばないでください」と嫌がっていた様子から、小川や浩一ではなく梶と呼ばせるために違う姓を名乗っていると考えられる。それで家族と縁を切ったつもりだったのか、それとも家族を守るためだったのかは彼の口からは語られない。
ただ、もし小川浩一の存在を消し去りたかったのなら下の名前も変えるだろうし、家族からは普通に浩一と呼ばれていた辺り決して家族を嫌ってor縁切りのための行動ではないと考えられる。むしろ小川家、名付けてくれた両親への未練が断ち切れていなかったことをも想像させる。
ちなみに辺見は梶のことを一度たりとも「梶」と呼ばなかった。ここから辺見と出会った頃は小川だった可能性も読み取れる。
そんな彼は、研修所で最初に大きな成果をあげた望月道子の名前をラストまで覚えていなかった。リスクヘッジとして名前を聞いていなかったわけではない。
遅刻した原田の名前は覚えていたり、若林の名前も1場で聞いた後はしっかり覚えていた。
ここの違いは梶がネガティブな印象を抱いているか否か。梶は研修所で大きな成果をあげていた紅一点の道子には当然悪いイメージは持っていないが、原田も若林も梶を苛立たせた。
ここから梶は〈尽くしてくれた人/与えてくれた人〉ではなく、自分に〈害をもたらす人/不愉快な言動をとる人〉に執着していたことが分かる。
しかし、屋上シーンで道子の名前を聞いたあと「お前、望月道子っていうのか…!!」と感動していた様子から、彼女の名前なんて記憶しようとしていなかった今までの彼から心理的変化があったことが分かる。
家にも辺見の下にも戻れない梶は、もう本名の「浩一」で呼んでもらえることはない。そんな梶からすれば「イナバ」「シライシ」と必死の形相でいくつもの偽名を名乗ってきた道子が、大声で嬉しそうに本名を名乗ることが出来た様子は、あの状況で唯一の"希望"のように映ったのかも知れない。
▼小道具・衣装
登場人物の性格や立場・状況を語らずとも表現するのが小道具や衣装。
a)小道具
個人的に1番好きな演出は父親のビールとタバコ。
最初の小川家のシーンではキッチンの換気扇の下にタバコと灰皿が常備されていのにラストシーンにはなかったり、猫探しの際には“麒麟ラガービール“を飲んでいたのにラストでは“カラダフリー”を選んで少し健康に気を使うようになっていた。
医者や妻の言いつけを「何が悪いんだ」と開き直って守らなかった父が、ラストでは少しだが変わることができた。こういった不器用さが憎めない。
辺見と梶の関係も小道具で表現されていた。
2人は使っている電子タバコの種類が同じで、腕時計の型が似ているものだった。辺見が譲るなり教えたのか、はたまた勝手に梶が真似たのか…。まだ2人が仲が良かった頃を想像させる演出だった。
梶と真鍋も似たデザインのネックレスを付けていた。どこにでもあるようなデザインのため、ここの類似に意味があるのかは分からない。
ただ、梶が家族と会う際にインしていたシャツを出し袖も伸ばしてアクセサリー類を隠していたにも関わらずネックレスはそのままだったことから、ネックレスだけは高価なアイテムではなかった可能性がある。
腕時計については、若林は唯一Apple Watchユーザーだったのも周囲との生きる世界の違いを感じさせた。
寿司も貧富の差を表現するモチーフとしてよく使われた。
小川家は「シャリがまずい寿司屋」か「出前の男の清潔感がない寿司屋」の二択しかないが、辺見は屋上で花火待機しながら寿司と高級ワイン。
小川家は、辺見が語っていた“梶が初めてカウンターで寿司を食べたときに泣いた”エピソードからして、特別貧困ではなかったが高い寿司が食べれるほど余裕のある家でもなかったと分かる。
ワインも同様だ。
BBQで辺見を若林は高級ワインをガバガバ飲むのに対し、梶の姉は普段飲んでいるのは「カクヤスの安物」だし「マンションのベランダでワイン飲むのが夢」と語る。
ここでも登場人物たちの貧富の差を表現していた。
b)衣装
梶と辺見は黒づくめ⇔派手色と分かりやすく対になっている。そして梶の黒づくめに関しては、先述した“カラス”のメタファーにもなっている。
辺見は若林に「神様なんていない」と言っていたにも関わらず、神頼みの象徴である数珠を3つもつけているあたりに“臆病者感”が表現されていた。
劇中前半の舞台は8月。小川家のシーンでも新聞は8月付けで、登場人物もそれぞれ薄着だった。しかし猫探しシーン以降10月になっているため、梶はジャケットを羽織ったり道子も長袖になったりと、季節の変化もしっかり描写していた。
以上のように今作は、モチーフを用いた二元論に基づいて比較することで人々を描いている。表社会があれば裏社会があるように、かならず対になるモノが存在する。貧と富。善と悪。上と下。
しかし実際の人間は全員が全員どちらかに分類できるわけではない。
今作の中で、ずっと半端なふわふわした状態だったのが主人公梶浩一だった。
5.作品テーマ:罪の意識
劇中で印象的に繰り返されるのが
"罪/責任の所在を問うセリフ"
"罪に対して謝罪を要求するセリフ"
冒頭のシーンで真鍋が「一文なしから大金奪おうってんじゃない、資産1億の人間からたった300万掠め取るだけだ」と言っていたり、梶も「これは犯罪じゃない復讐だ」と言ったり、彼らはあれこれ言って非を認めず詐欺を正当化していた。
自身も罪の意識を背負うことが出来ていないのに、遅刻した原田にはあんな説教をしているあたりそれに気づけてすらいないんだろう。
梶は、終盤「お前のせいで自殺した年寄りが大勢いること分かってるよな!」と辺見に言われて「わかってます」と答えていたけど、後悔はすれども罪を償うわけでもなく謝るでもなく辺見を道連れに死のうとした。
自分の起こした罪を自覚し、被害を受けた人に謝罪する。
このメッセージは作品を一貫して要所に散りばめられており、冒頭とラストには明確にセリフで「罪を認めて詫びを入れる(冒頭真鍋)」「悪いと思ったら謝ってよ(ラスト母親)」と表現される。このことから赤堀さんが最も今作で主張したいのはこの「罪の意識に対する問題提議」だと分かる。
ラストで母が「別に美紀(姉)もあんたにトイレ掃除なんかさせないわよ、意地張って認めないからこうやって言って口酸っぱく言ってるのよ(ニュアンス)」と言っていたように、罪を認め詫びさえすれば許すのにそれさえ出来ず言い訳ばかりで悪いとすら思っていない人が多く登場する今作。
それが最後まで出来なかったのが梶(と詐欺組)で、最後にやっと謝れたのが父親だった。
梶が冒頭に言っていた、とある受刑者の「俺たち障害者はね、生まれたときから罰を受けているようなもんなんだよ」という言葉。
この言葉から連想するものか2つある
①同じ言葉を犯行動機とした事件
②キリスト教の原罪
a)①について
梶と同じようにこの言葉に共感し、自分には無い「持っている側」の人間へ一矢報いてやろうと事件を起こした人間がいる。
→黒子のバスケ脅迫事件の犯人である
この犯人は人気漫画家の“成功した人生”と自分を比較し妬み事件を起こした。
犯人は自身の犯行を「人生格差犯罪」と命名し、『自分に対して理不尽な罰を科した「何か」に復讐を遂げて、その後に自分の人生を終わらせたいと無意識に考えていた』という。
この考え方は詐欺行為を「犯罪じゃない!復讐なんだ」としていた梶たち詐欺グループに共通する。
また、犯人はこうも言っている。
「自分がいかに自己愛が強くて、怠け者で、他者への甘えと依存心に満ち、逆境に立ち向かう心の強さが皆無で、被害者意識だけは強く、規範意識が欠如したどうしようもない人間であることは、自分自身が誰よりもよく分かっています。」
「これだけの覚悟をして事件を起こしたのですから、反省はありません。反省するくらいでしたら、初めからやりません。また謝罪も致しません。」
つまり犯人は自身の犯行動機の身勝手さを自覚しながらも、反省や謝罪の気持ちは全くないという。
この姿は、辺見に「お前自分のしてきたこと分かってる?」「今更善人ぶるのやめなよ」と言われ『わかってます』と言いながらも、出頭するわけてわけでも辺見に泣きつくわけでもなく全員道連れに死のうとした梶浩一と重なる。
b)②について
原罪とはキリスト教での教えで、アダムとイブが神の言いつけに背き禁断の木の実を食べてしまったという人類最初の罪のこと。
この話の中で、神に罪がバレてしまったアダムとイブは「○○に勧められたから」とお互いに責任転嫁を始めたという。自分の非を認めずに人に責任を押し付けるというのは、「罪」から来る行いだというのだ。
そしてアダムの子孫である全ての人類は、生まれながらにしてこの罪を負っているとされる。 この罪に対する罰としてアダムとイブは楽園を追放され、そしてその罰の先には死が必ずあるという。
楽園という言葉から思い出すのは、BBQシーンでの辺見の「日本最高!パラダイス!」という台詞。彼が何故あの瞬間の日本をパラダイスと感じたのか。
それは①の犯人と違い社会的に恵まれていたから
そして②自身の罪を自覚/償っていないから
人類には生まれながらにして楽園など存在していないにも関わらず、人から奪った幸せを礎に“見せかけのパラダイス”に浸かっていた。
以上のように、人類は皆生まれながらにして罪を背負い、その罪を自覚せずに責任転嫁することが日常茶飯事になっている。
みんなやってんだからいいじゃん、なんて開き直ってしまえば①の事件の犯人のような所謂無敵の人が増えていき、それこそ世界は地獄のようになってしまう。
ならば人類が少しでも幸せに生きるためには
どんな些細な罪も自覚し+認め+詫びる(償う)
ことが必要であるということだ。
そうすることで、人類が人類のままでも
パラダイスのような世界を目指すことができるのではないだろうか?
6.おまけ:開演前BGMと劇中曲
a)開演前BGM
開演前に場内で流れるこの数年で流行った曲達。
その選曲と、サビ前で止めたり2番までの曲もあったりと不思議な流し方に「なんで、、、?」となった方は多いはず。
1番目に気合の入場キメて曲をメモったので参考までに。
印象的な歌詞or曲全体のテーマも添えておく。
ちなみにセトリは全日程共通。
見ての通りラブソングだらけである。
パンフ赤堀さんは梶と辺見と真鍋の三人の関係性を「俗っぽい感情のもつれ」と表現していたが、それは恋愛にも通ずるものがあるとしてこういった選曲をしたのかも知れない。
愛情は恋愛以外でも語ることはできる、友情も家族愛も愛情だ。辺見が最後まで梶を許そうとしていたのも、身を挺してまで梶を守ろうとした真鍋も、そこには梶への【愛情】があったことに間違いはないだろう。
b)劇中曲
パラダイスは劇中曲も特徴的だった。
バイオリンとアコーディオンの音色が印象的で、所々味のあるボーカルも入る。
この劇中曲、調べてみるとかなり物語に密接に関係していることが分かった。
劇中曲は全て
Taraf de Haïdouks(タラフ・ドゥ・ハイドゥークス)
というアーティストの楽曲だった。
彼らはルーマニアのバンドで、ロマ音楽を演奏する。
ロマ音楽とは拠点を固定せず各地を放浪するロマ民族(ジプシーとも)を中心に発達した音楽である。
放浪という言葉を聞くと、作中で中途半端な存在として描かれた主人公梶浩一に想いを馳せてしまうのは私だけではないだろう。
さらに面白いのは彼らのバンド名
Taraf de Haïdouksとは『義賊楽団』という意味だという点。
義賊とは〈国家や領主などの権力者からは犯罪者とされながらも、大衆から支持される個人及びその集団のことである。〉(Wikipedia)
そう、まさに犯罪行為を正当化して行う盗人を指すのである。
この名づけにはロマの歴史が背景にある。
放浪民族のロマは各地で差別の対象にもなってきた。世界各国でのロマ民族の呼称はさまざまあるが、現在でもその名が盗人の代名詞として使われることも多いそう。
しかしTaraf de Haïdouksは敢えて自らを「義賊」と名乗り演奏する。それはロマの歴史にある人間社会の差別にたいして一石を投じる今があったと考えられる。
彼らは全く盗みを働いていないので当たり前に悪びれる必要はないが、正当な復讐として詐欺師となった梶浩一にどこか重なるところがあるのは言うまでもない。
赤堀さんの選曲にひたすら頭が下がる。
7.まとめ
なんか混乱してきたから急にまとめる。
冒頭で述べたようにこの作品は劇中でさまざまな人間関係を描いている。
その中で一貫して描かれたのが、
人々の"差"と"罪の意識"
差に関しては、金銭的な貧富差はもちろん、時代に追いついている人とそうでない人、覚悟がある人とそうでない人、素質を持ってる人とそうでない人、諦める人とそうでない人…と登場人物を比較することでより分かりやすく各人物像を描いた。
そして罪の意識がなく自分の非を認められない人々を多く登場させ、その人達の劇中での変化を物語にすると同時に、観客へ「お前達はどうなんだ?」と問いかけた。
人間社会で差が埋まることなんて無い。
梶たちはその不平等さに不満を感じ、”持ってる人間から奪うことは復讐と同じ”として自分の罪を正当化していた。「何者にでもなれる可能性を秘めてる」なんて梶はかけ子達に言い聞かせていたが、そんな努力は必ず報われる的な綺麗ごとが通用しないこと大人になれば誰しもが気づくことで…
頑張った先には、差の向こう側である勝ち組の『楽園』が存在すると梶は夢見てしまった。
しかし結局はさらに上のヤクザの手のひらで踊らされるだけで のし上がるなど無謀なことで、そのまま進んでも本当の意味の楽園はないことに梶はすぐに気づけなかった。青臭くて無鉄砲だから。
かといって堅実に大人しく生きていたら幸せになれるのかといえばそうでもない。
赤堀さんは世間への怒りを制作の原動力にしていると仰っていた。出戻りで1人で実家の店を切り盛りする姉のようにしっかりやるべき事をこなしてもコロッケは値上げしないとやっていけない。富裕層ばかりが搾取するから物価は上がっても一般人の給料は上がらない。年金も足りないから若者は2000万貯めろと節約を強いられる。
誰も何も悪いことしてないのに。
劇中の言葉を借りるなら「行くも地獄、戻るも地獄」
なにしても地獄のような現代。
パラダイス=悩みや苦しみのない楽園
裕福な人、恵まれた人からすれば今の日本にも楽園はあるだろう。しかし、そうでない人たち含めた全員が平等に幸せで楽しい世界など存在し得るはずがない。
ではパラダイスとは何か?どうすれば行けるのか?
それが赤堀さんからの問いかけのように感じた。
一見地獄のような劇中で、唯一わだかまりが解け良い方向へ変化することが出来たのが小川家(特に父)だった。
罪を自覚し、非を認めて謝る。
SNSが普及し「私刑」なんて言葉も聞くようになった現代。何が悪くて、それが誰に危害を加えていて、誰に謝るべきなのか、そもそも自分がしている事の悪事性を理解しているのか。これら全てを把握し実践している人間は少ないのではないか。
匿名で何でもできるようになり、誰でも顔を見ずとも悪事を働けるこの時代だからこその危険性を、現代人が抱えるあるあるの生きづらさや危うさと共に、詐欺師達が作った見せかけのパラダイスを通して描いた。
ラスト小川家の和解シーンは〈仕方ないことが多い地獄のような世の中でもそれらを受け止め素直になることが出来れば、少しは良くなっていくかも知れない〉と少しの希望とその先の本当の意味でのパラダイスを提示してくれていた。
大千秋楽後、真鍋役の毎熊克哉さんは自身のSNSで『この作品の怒りと優しさが心に残りますように』と仰っていた。
怒りが現代社会や罪を認めない人々に対するものならば、優しさは「許す優しさ/叱る優しさ」だと私は感じた。
小川父にちゃんと謝罪させた母や娘のように、梶を最期まで待った辺見のように、無鉄砲な相棒のために身を捧げる真鍋のように、道子を逃した青木のように、地獄の中にも小さな優しさが散りばめられていた今作。それぞれが自分のことで精一杯な現代でも、相手の事想い優しさを持って接し それに相手が応えて罪を認めることが出来れば、未来に繋がる。この作品はそう教えてくれているのかも知れない。
8.余談・感想
丸山隆平さんスタイル良すぎましたね???
初回は正直スタイルの良さに目がいって、、、
目が足りませんでした。
カーテンコールでは、初日まるちゃんがあまりに梶浩一を引きずったまま出てくるからと、それ以降の日程では八嶋さんがふざけて まるちゃんもそれに応えるように陽気なカテコになりました。初日に挨拶がなかったので心配していたのですが、大楽ではとても晴れやかな堂々とした挨拶にこちらも笑顔になりました。全ての人への拍手を忘れないところも彼らしい素敵な挨拶でした。
さっき二元論の話して気づいたけど、丸山さんの前回主演作ヘドウィグ・アンド・アングリーインチにおいても、二元論に属さない”壁”の象徴として主人公のヘドウィグ(ハンセルちゃん)は描かれていましたね。梶とマルウィグちゃんは根本的には似ているのかも。どっちつかずな放浪ちゃん・・・
でも人間てそういうもんですよね(雑)
ナイフのシーンの梶浩一を初日に見たとき「まるちゃん、戻ってこれるのかな」と心配になるほど彼の鬼気迫る演技に圧倒されました。
ヘドウィグ とパラダイスが同じ2022年だったとは思えないほど、どちらもパンチが強く高カロリーな作品でしたが、2つとも見事に演じきってみせた丸山隆平さんのこれからがさらに楽しみです。
次の現場は関ジャニ∞としてのドームツアー!
オタクはもちろん、まるちゃんはじめ関ジャニ∞の皆さんにとって幸せの楽園となるツアーになりますように。
最後まで読んでくださった方ありがとうございます~!
ヘドウィグの感想まだ出せてなくてごめんなさい!