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「天才たち」の意味が分かる映画

 久しぶりに映画を観た。「ハッピー・オールド・イヤー」の彼女が出ているというのだから面白くないわけがない「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」。久しぶりに観る映画にしては相当刺激的な、使い古された言葉ではあるが手に汗握るような作品だった。一瞬たりとも気が抜けず、エンドロールでは思わずホッとしてしまった。ぼんやり話の内容は知っていたから題名を見たときに、え?天才なのは主人公の一人だけでしょう?と思っていたが大間違い。これはチーム一丸となって(ここで使うには少々不適切な表現だが)不正を行うどこか憎めない天才「たち」の物語なのである。

 真面目な主人公を取り巻く不真面目な環境

  真面目な主人公の周囲には正反対な性格の友人がいがちだ。そして大抵その友人は愛嬌があり周囲の人気者。それを代表するかのように、リンが転校先で初めに仲良くなったグレースはとても可愛く笑顔が素敵な女の子だ。コロコロと変化する表情やボディタッチ、人懐っこい彼女のことを嫌う人はいないだろう。リンも彼女の愛嬌の沼にはまった一人だ。唯一の難点は、頭が少しばかり弱いというところ。話を進めていくうちに何か嫌な子!となるのではないかと思っていたがそんなことは無く、最後まで彼女はなんだか嫌いになれない愛されキャラなのであった。彼女の調子に乗せられて、リンは刺激的な不正の大波に乗ってしまう。引き返そうと思ってももう遅い、船は戻れないところまで経路を進めてしまっているのである。

 経済格差と才能

 「バンク、私たちは生まれついての負け犬。グレースやパットとは違う 人より努力しないとだめなの」 そうリンに言わせてしまう様な世界の経済格差について考える。海外の作品は、ニュースを観るだけでは伝わらない生活水準の差がよくわかるものだと私は思う。一生懸命生活しているだけでは自分という存在を伸ばすことが出来ないリンがとった行動は許されるものでは無いが、観ていてとても胸が痛くなる。最後にはどうか、、。と応援してしまうのである。世の中は不平等だ。真面目に生きていても報われないこともある。時代が移り変わって世界が近未来に変化したとしても、変わらずに残り続ける「経済格差」という問題にもっと寄り添い向き合う必要があるだろう。これ以上リンやバンクが増えませんように。誰もがそう願わずにはいられないと思う。

 シンプルに吐きそう

 とんだタイトルだがもうこの一言に尽きるのだ。観ている間ずっと手汗が止まらない。この作品を観た人は、彼らと一緒に同じ重量の緊張感を味わうことになる。もう早く終わってくれ、、楽にさせてくれ、、そう感じさせてしまうような俳優たちの表情、カメラワークの一つ一つに脱帽である。

 天才の複数形

 リンやバンクが天才なのは誰にでもわかる事だが、この計画に関わる全ての学生が「天才」なのである。グレースは、優れたパソコン技術で不正の手助けをし、危機を脱するために嘘もつく。リンをも虜にする才能がある彼女はまさしく天才だ。鬼気迫る状態で咄嗟に「愛は美しい」と述べるパットも相当賢いだろう。そんな言葉は普通の人には思いつかない。グレースと仲の良い彼が言うからこそ真実味も増すのだ。カンニングのために必死にルールを覚える学生たちもまた天才だ。やれと言われてもここまで労力を費やすのには限界があるのではないかと思う。リスクを背負ってでも乗り切りたい天才「たち」に何とも言えない後味と脱力感を感じた。


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