人に話したくない、黒歴史中の黒歴史「受験失敗」から人生の学びへ①

こんにちは。mie(ハンドルネーム)です。

皆さまお元気でしょうか?
投稿が少し(どころではなくだいぶやろ!)ご無沙汰してしまいました。

本日はきっかけがあり、私の人生史上最も黒い歴史の一つ、と私自身が認識している受験失敗について、ここで公にお話してみたいと思います。。

今思い出しても、涙が出そうになる、ものすごく複雑な気持ちになる、恥ずかしさも出る、自分を責めそうになる、人生を呪いそうになる、見たくない気持ちになる、そんな話題です。

今でさえも多少なりともそんな気持ちが残っているわけなので、若い頃には相当なトラウマだったわけで、試験嫌いは今でも続いてる後遺症の一つかもしれません。

ですが、最近の自分自身の変化に伴い、またちょうど受験シーズンということもあり、むしろ今オープンにして、同じように辛い気持ちや不安な気持ちを持っていたり、受験に限らず様々な失敗をしてしまったことで絶望感、虚無感、自責感を感じている皆さんの心が落ち着くネタにでもなれば幸いです。

きっと自分自身にとってもこのトラウマをさらに癒すきっかけを頂いているのでしょう。

さて、私は現在アラフォーなので、話は20数年前(うっそ!そんなに前か…)に遡りますが、当時、私も18歳高校3年生、県一の進学校に通い大学受験を控えていました。

秋に開催される運動会のパフォーマンス長(クラスで、この人ならという人がなるようなポジションでもあった)にもなり、当時私が所属していた国際科というクラスではその歴史上初めてのパフォーマンス第2位という快挙を成し遂げ、意気揚々としていた時期でした。

夏が終わり秋になり運動会も終わり。
さあ、怖いけど立ち向かわなければいけない受験勉強本番の時期がやってきたわけなのですが、ある日、「てぃーんねいじゃー」ばりばりの私は、当時流行りだったビオレの鼻パックで、鼻の角質をとっていました。

そして、ふと、あれ、なんか見えない…右の鼻の角質をとろうとしてもなぜか黒い中にギラギラが揺らいでいるようなもやもやしたものが邪魔して視界が見えない。
なんだろ、目の見方が悪いのかなと角度を変えて角質を見ようとしても、やっぱりそのもやもやしたものが取れず見えない。

母にその事を話すと、とりあえずよくわからないけど、明日学校を遅刻して朝に眼科に行ってみたらと言われ、そうしてみることにしました。

翌日行きつけの眼科へ。
特に何ともないとの診断で、まあそうですよね、と私も納得。
たまたまその眼科が空いておりほとんど時間もかからなかったのですが、学校を午前遅刻としていたので、まだ少し時間があるなと思い、念のためすぐ近くの大病院の眼科にもはしごしとくかと、軽い気持ちで向かいました。

眼科診察後、診断の結果なんと「網膜剥離」(ボクシング未経験ですよー)という病名を聞かされ、すぐに専門病院で手術をしなければいけないと言われました。
その瞬間何が起こったのかわからないくらいパニックになり、支払い会計のことも忘れて、自転車に乗り、泣きながら家路についたことは今でも鮮明に覚えています。(後から病院より請求の電話が(笑))

そこからすぐに手術、入院となりなんだか大事に。

もちろん網膜剥離という、未知のしかも失明に関わる大きな病気の手術や入院は痛みも含めて辛かったのですが、私が今でもこの事で思い出すのは、病気の辛さよりも、

受験勉強が出来ない
遅れる

というプレッシャーでした。

幸い、手術や入院、術後の経過、退院まではとてもスムーズで、視界も一部のみ失っただけだったので、そこまで日常生活に支障があったわけではなく、ただただ事が流れていったという感じなのですが、入院中に母に世界史の勉強に付き合ってもらったことは今でもよく覚えていて、手術後目が不自由だったから付き合ってもらってたのかとか、そんなことは忘れてしまいましたが、病院で受験勉強をしたこと、勉強ができないプレッシャー、遅れてしまったかもしれない危機感は相当なものでした。

その後、退院をして11月12月1月と時が流れていき、どんなふうに受験と向き合っていたのかは忘れてしまいましたが、現在の共通試験にあたる当時センター試験と呼ばれたものは、確か1月半ばくらいが試験だったと思うのですが、その当日を迎えました。

さて、長くなってきたので次に続きます。
試験当日何が起きたのでしょうか?


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