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静かなる破天荒

これは私が名付けた父の通り名だ。
いや、実際には私しか知らないだろうから、通り名というものでもないのだが。

数日前に父が他界した。
破天荒であるからもちろん病院は嫌いであった。
数日前から「腰が痛い」と言っており、ある時に突然「救急車を呼んでくれ」と言った。
病院で調べてみると胃に穴が空いていて中の物が漏れているので、即手術ですということ。
父は破天荒の上に「隠す男」なのである。
病院に行きたくないので体調が悪いことも隠すし、タバコや酒を隠れて飲む。胃の調子が良くなかった時もこっそりと食事をゴミ袋に捨てていたようだ(母の後日談)。

どこか何かを諦めて、皆に全てを明かさぬよう、日常が面倒くさくならないよう、のらりくらりと生活している…そんな父だったと私は感じている。

父の諦め…の様な、背中に何か張り付いている様な暗いものを改めて見つめていくと、父の両親にたどり着く。

よしこである。
よしこは父の母で、今で言うと「毒親」というヤツなのかもしれない。
子供の頃から長男の自分ではなく、弟の方ばかり可愛がり、それは大人になった時の扱いも同じだった。子供だった父は家の薄暗い階段でいつも泣いていたと聞いたことがある。
公務員になることしか許されず、必死で勉強し、仕事に就いたら給金は全てよしこに取られ、小遣い的にお金を貰う日々だったそうだ。弟もそれは同じだった。完全なる搾取である。

そうは言っても、よしこは裏で子供達の貯金通帳を作ってあげてて、結婚資金とか貯めてあげてるんでしょ?と思っていたがそんなことは一切なかった。母の苦労話で「お父さんは結婚の時ほとんど貯金なんて持ってきてなかったから、新婚時代は大変だったんだよー」と聞いた。
アパートを借りれなかったから、仕事でお世話になる大学の敷地内の倉庫に引越したそうだ。
母と私と主人でちょうどその付近を散歩した時「ああ、ここ!この倉庫だよ。まだある!大変だったんだよー。ネズミも出てねぇ」
と言って倉庫の外観を見せてくれた。
シャッターの付いた、本当に倉庫というか小屋だった。母もよくここで住んだな…。ムーミンママに負けぬバイタリティだぞ…と震えた。
父が頑張って稼いだ給金はほぼ全て、よしこに搾取されていただけなのである。
絶望感と諦め…私は今この文章を書いていて絶望感と諦めしかないわと改めて感じた。

よしこは気性の激しい女であったし、ケンカを売る天才的才能があったので、口答えしても必ず言うことを聞くしかなかった。
孫である私も、口答えした時期もあったが、散々怒鳴られ、いじめ抜かれ「ハイと言え!ハイと返事をしろ!」と強制的に返事をさせられて終わった。恐怖政治であった。お小遣いをくれる時も千円札を空でヒラヒラさせて見せつけて、地面に落として「ほら拾え」という祖母であった。
耐えられぬ…。このままでは精神に危険が及ぶ。
私は社会人になってから縁を切り、死ぬまで、よしこと会うことはなかった。

でも父は「逃げる男」でもあった。
私はよしこと縁を切ることが逃げることであると思っていたが、よくよく考えるとそれは違っているのではないかと思った。
相手と対等にものを言いあって、ぶつかってケンカしてそして私はよしこと離れたのだ。
「ねえ、分かってほしいんだよ。何でそんな意地悪なの?もうそんな態度やめてよ。私の大切な父も母といじめないでよ。変わってよ!」
そう言うケンカをしなくてはいけないのは父であったし、妻や子供にもキツくあたる自分の母ならば、距離を取る、縁を切るなど決断してほしかった。

しかし、父は諦めてしまって、話し合うことも、捨てることからも逃げたのだ。でも、それは決して父が悪いのではない。父が力を振り絞る気力をじわじわと幼少期から奪ってしまったよしこが悪かったのだと私は思う。
DVや恐怖によって支配された人間は、逃げるという判断がきちんとできなくなると聞くし、これは一種のDVやハラスメントだったのかもしれない。私自身もこの酷い日常が当たり前過ぎていて、手助けできなかった罪があるのかもしれない。

父は静かなる破天荒で隠す男で逃げる男だったけれど、家族を愛し、一所懸命の精神でヒトトコロで転職もせず懸命に働いてくれた。転勤のある職場だったが、よしこが自分の側を離れることは許さなかった為、昇格もなし。月給も上がらず、周りからの目もあり辛いこともあっただろう。
でも家族には一切愚痴などは言ったことのない父だった。自分の心もきっちり隠す男なのである。
でも本心も聞きたかったよ。何も語らず行ってしまったね。救ってあげられずにごめんなさい。と今は謝りたい気持ちだ。

「お父さんの身体は無くなってしまったけど、四十九日の間は、そばでいつも見ていてくれているし、これからの人生のピンチの時には必ず助けてくれるから、大丈夫だよ。逆に今まで以上に助けてくれるから安心だよ。」と主人は言ってくれた。のらりくらりしていた父だけど、そんなヒーローになってくれたら私も嬉しい。
主人は会談や死後の世界の話が好きで、ある時不思議な夢を見たそうでこんな事を言った。
「死ぬことはとても怖くて大きな出来事で、まるで99段目の階段から100段目にクライマックスでさあ登り切ります!遂に終わります!という風に考えてしまいがちだけど、本当は8段目から9段目に行くくらいに何気なく通りすぎる出来事なんだよ。だから何も怖がることはないよ。」
水木しげるの描いたネコのセリフみたいだ。でも確かに人生はあっというまで、クライマックスなんてなくて、ヒョイと通り過ぎる階段みたいなものなのかもしれない。父とその階段で出会い一緒に登った日が本当に尊くて楽しい日であったなと思い出した。そんなことをたくさん考えて、数日たってこの文章を書いて、やっとたくさん泣けた。

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オマケ
父の葬儀の為、仙台に帰った時に着て行ったオバケちゃん柄のジャンパースカート。
チェックと見せかけて、オバケがひたすら並んでいるのめちゃ可愛い。不謹慎かなと思ったけど、親戚にとても褒められました。

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