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【9日目】恋は「終わる」けれども【愛】なら……(レンアイのトリセツ)

◆恋の終わりと「その後」の関係

 前回まで、ラブラブカップルだったアルファとベータの『恋の終わり』を見てきました。ぐぐっと簡素にした「恋愛の終わりのモデルケース」だったのですが、みなさんの中にはこの通りの経験があるよ……なんて方もいるかもしれませんね。

 よく「結婚はゴールではない」と言われますが、恋によって結ばれやがて結婚に至ったとしても、こういう『恋の終わり』が来てしまうことがあります。恋人同士の関係が解消するだけならいいのですが、夫婦ともなるとそれは大きな問題となります……法律が絡んできますからね。

 みなさんの中には「恋愛」→「結婚」という『幸せルート』のような概念がある人もいるのではないかと思います。ですが、結婚したあとも恋人同士のようなラブラブ関係でいられるかどうかは、僕たちには

コントロールできない

んです。なぜなら何度も書いているように、恋の気持ちの出どころは

カラダ

 だからです。カラダが生殖の欲求を止めてしまった瞬間、恋心は勝手に消えてしまうんでした。

 その後に残るものは……そう、純粋な

『人間関係』

 なんですよね。だから「結婚はゴールではない」と言われるんです。そこから『幸せな人間関係』を、二人で協力して築いていかなければならないのですから。


◆婚姻後の人間関係がうまくいかないのは

 恋人同士のときに、あんなに「愛し合った」二人。結婚をしたあとも、それが続くと信じていたのに……
 でも実は、それは「恋の気持ち」(=性欲)が見せていた、幻のようなものだったわけです。

 では……僕たちは「どうすれば」良いのでしょうか?

 誰かと恋人同士になる、そしてうまく行けば結婚して家庭を持つ。ここまでは、人間として至極当たり前の話ではあるんです。人類は生物ですし、生物は繁殖しようとするものですから。

 ただし、人間は「社会的な生物」だと言われます。特に現代は、食べ物や住むところにそれほど苦労しない「人類史上とてつもなく豊かな時代」です。そんな中、先進国で出生率が低下するのは「婚姻後の『人間関係』が難しすぎる」からのような気がしてしまいます。

 なぜ「婚姻後の『人間関係』が難しい」のでしょうか?

 理由はおそらくいくつもあると思います。費用の問題、負担の問題、役割の問題、またジェンダー観や社会への無理解などなど。

 ただ、その根底にあるのはやっぱり

【 愛 】

というものがどういうものかちゃんと知らない、ということだと思うのです。

 あなたは

【 愛 】とは何か?

を、ちゃんと説明できますか?


◆【愛】とは何か? を「定義する」

 誰しも、生きていると「これこそが【愛】だ!」と感じる時というのが、何度も訪れるものです。そしてそういう「事例」を積み重ねて『【愛】とはこういうものだ』という考えを持つようになっていきますよね?

 ただ、これだと【愛】というものはひとそれぞれ定義が違う、ということになってしまいます。それでは「人にそれを説明する」ときに、困ってしまうわけです。君の【愛】は君自身で見つけなさい、ということになるから、みんな大変な思いをして【愛】を探さなければならない……。

 そして、繊細な人ほどその過程で何度も傷つき、そしていつしか人間を信じられなくなってしまったり、自分自身を信じられなくなってしまったりと、生きづらさを感じてしまうものではないでしょうか。

 なんとか、このアイマイモコとした【愛】というものを、みんながわかるように「定義」できたらいいのに、とお思いになったことがある方も、少なくないんじゃないかと思います。そこで……モトの出番です。


◆モトは【愛】を「定義」できる!

 さて……ここからが【モトの話】の『奥義』にあたる内容です。

 ズバリ申し上げます。モト、という粒子の存在を仮定すると、なんと

【愛】とは何か?

が、言葉で説明できます。それも

『たった一言(ひとこと)』

です。

 こんなことを言うと
「ムリムリそんなん絶対ムリ!! 信じない!!
という反応をされます……無理もないことです。だって、人類が始まって数万年、誰もできなかったことですから。

 ですがあえて申し上げます。モト、という概念があれば『可能』です。僕自身、この『新しい【愛】の定義』に大いに人生を救われました。そして今でも、自分自身を幸せにするために活用している真っ最中です。

 では……いよいよ次回、その『奥義』をあかしますね! お楽しみに!

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「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)