見出し画像

【6日目】モトの量をはかる『好き嫌いゲージ』(ニンゲンのトリセツ・改)

◆好き嫌いゲージ

 これまで「ココロが持つモトの【量】が感情の変化を起こす」という話をしてきましたね。実例も示しましたので、少しでも「そうかもなぁ」と思っていただけたのではないかと思います。
 そうなると、不思議に思えてきませんか? ココロというものが「どうやってこの『モトの【量】』を把握しているのだろう?」ということが……。

 今日はその疑問にお答えするために、タイトルにもある

【好き嫌いゲージ】

というものをご紹介しましょう。これは、目には見えない「ココロの動き」というものを、僕たちニンゲンにも理解しやすいように僕が考えた、仮想的な「ゲージ」「メーター」のようなものです。外観は次の図①のようになっていて、この「好き嫌いゲージ」が、すべての生き物のココロに一つずつ、必ず備わっていると考えてください。

 図①:好き嫌いゲージ

 図にある通り、このゲージはとてもシンプルな構成になっています。片方に「好き」が、もう片方に「嫌い」があって、その真ん中に点があります。そこに『モトの量』に応じて動く針がついている……こういうものです。
 このゲージはモトの量が増えたら「好き」寄りに、逆にモトの量が減ったら「嫌い」寄りに針が動きます。つまり僕たちの気持ちである「好き」「嫌い」が、ココロが持つ『モトの量』と完全に連動している、ということを表しています。


◆好きか、嫌いか

 【3日目】で書いたとおり、僕たちのココロが出してくる「感情」「気持ち」というものは、モトの量とその変化に由来していて、大ざっぱに

・モトの量……増 ↑ → いい気分(ポジティブな感情)
・モトの量……減 ↓ → イヤな気分(ネガティブな感情)

こうなっている、と書きました。これを見ていただいても分かるように、僕たちの「気持ち」というのは大きく分けて「いい気持ち」=「好き(好ましい)」か、「イヤな気持ち」=「嫌い(好ましくない)」かで、つきつめていくとすべての感情というものは

  • 「好き」「嫌い」の二つのどちらか寄り

であると考えていいと思います。要するに、僕たちは実際のところ、この世界にあるものすべてについて、ココロを使って「好きか・嫌いか」で分類している、と見てもいいのではないかと思うのです。
 その基準になるのが、ココロの材料であるモトの【量】とその変化だ、というのが『モトの話』の考え方でして、その考え方を「目に見える形」にしたものがこの【好き嫌いゲージ】なのです。

 とはいうものの、僕たちが長年生きていると、好きなのかそうでないのか自分でもはっきりしない「複雑な気持ち」に出会うことがあるものです。そういうときというのは、この好き嫌いゲージが「揺れ動いている」ときです。どうしてそう動くのかというと、とある事柄の一面に「好き」という気持ちが、そして別の一面に「嫌い」という気持ちがあるとき、自分の考えが今どちらに向いているかによって、ゲージの針が「好き」「嫌い」の間をゆらゆらするからです。
 このゲージの構造からして、実は僕たちのココロという器官は

  • 「好き」と「嫌い」を同時に出せない

という性質を持っていることが分かります。どうぞご自分の人生をよく振り返ってみて、過去の「あのとき」に好き嫌いゲージが「どちらに動いたのか」をよく思い出してみてください……「複雑な気持ち」になっているときも決して「好き嫌いゲージの針が両方を同時に指していた」ということは、なかったはずです。
(恋愛に関しては、『好きなのに嫌い』という感情を体験してしまうように「思える」ことがありますよね……これは中級編の恋愛パートでくわしく説明しますが、アタマで考えていることと、ココロが出している気持ちのギャップによって起こる現象で、ココロの好き嫌いゲージは常に「どちらか一方」を指すものです)

 なお、ゲージの真ん中の点は「好きでも嫌いでもない状態」をあらわしていて、いうなれば『無関心』です。


◆「感情」というものの意外な正体

 こういうわけで、僕たちのココロは常に「モトの【量】」をこの【好き嫌いゲージ】ではかっています。どうしてそういうことをしているのかというと、感情を出すためです。感情を出すためには、ココロが「好きなのか、イヤなのか」を判定する必要があるのです。

 さて先ほど「好きか嫌いか」と書きましたけど、これら二つの要素には「度合い」があります。最近は「アリよりのナシ」「ナシよりのアリ」なんて言い方もありますが、要するに「好き」にも「嫌い」にも度合いのようなもの……

  • 大好き → すごく好き → まあまあ好き → それなり→ 『無関心』 → なんかイヤ → すごくイヤ → 大っ嫌い

という風に「段階」のようなものがある気がするものです……まあ当たり前っちゃ当たり前の話です。
 好き嫌いゲージが「ゲージ」なのは、この「針の指す位置」と「針が動いた量」がココロにとって大事だからです。この【好き嫌いゲージ】の「針の動く方向」と「動いた量」に応じて、ココロという器官は「感情」「気持ち」を出し、僕たちを動かそうとする、というわけです。

 感情・気持ちがわき起こったら、僕たちは「何かしたい」/「何かがしたくない」という状態になります。たとえば好きな食べ物が目の前に置かれて「好き」という気持ちがわき起こったら、(障害になる条件がなければ)食べますよね。逆に、嫌いな食べ物が置かれたら、食べないようにさけますよね。こういうふうに「気持ち」というのは、僕たちの「次の行動」を大きく左右します……なんて、言われなくてもこれまた当たり前の話です。
 このときこの「気持ち」「感情」を出してくるのはココロなのですが、問題はなぜココロがこういった「気持ち」「感情」を僕たちに与えるか? です。なぜだと思いますか?
 それは先ほど書いたとおり「行動すること(もしくはしないこと)」をうながすためです。いい匂いがする方へ寄って行きたくなるとか、怖い音がするから逃げたくなるとか、そういう「行動」をうながすことで、僕たちが栄養を補給したり、身を守ったりできるようにココロが命じてくるのです。つまり、感情というのは

  • ココロが出してくる命令

である、と言えます。
 それを踏まえて……僕たちは【3日目】で書いたとおり「幸せな方がイイ」ですよね。そして幸せになる方法はたった一つ、ココロがモトをたくさんあつめることです。これと合わせると、先ほどの結論はこうなります。

・感情とは、ココロが『モトあつめ』のために出す命令である

 ココロという器官は【好き嫌いゲージ】を使って「感情」という命令を出し、常に「モトが増えるもの」を探しているというわけです。これはすべての生き物のココロに共通の機能で、もちろん僕たちニンゲンのものも例外ではありません。人生は幸せを追い求める旅のようなものだと言われますが、なぜそうなのかというと、ココロがこの【好き嫌いゲージ】を使って「そうしなさい」と命じてくるからなんです。そしてその具体的な命令こそが「感情」と僕たちが呼んでいるものの正体なのです。

 このように「感情」というものがなぜあるのか? という疑問も、この『モト』という概念を通すと一発で解消してしまいます。『モト』って便利でしょ?


←前の話
次の話→


「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)