管弦楽法のバスクラリネットの項を再考する①:歴史編

※シリーズ「管弦楽法のバスクラリネットの項を再考する」第1回です。今回は「バスクラリネットの歴史」について、こちらのページの後半から記述をしています。前半については、当シリーズ全体の前置きですので、結論だけ知りたい!という方は、飛ばしていただいて構いません!


・前置きの前置き

たまに驚かれるのですが、私は短大の入学試験でも、卒業演奏会でも、バスクラリネットを演奏した、純然たる「バスクラリネット専攻」の学生でした(…と、言っている割には、通常サイズのクラリネットで演奏会に出演したり、コンクールを受けたりしたこともありましたので、バスクラのみを吹いていたわけではないのですが…)。「バスクラリネット専攻」…。聞き慣れない響きですよね。確かに、日本で「この楽器を専攻できる」大学は、いまだ少ないのが現状です。しかし、海外ではだんだんとメジャーになりつつあるそうだ、というのも、どうやら事実らしいのです。
なぜバスクラを専科として設置する研究機関が増えているのでしょうか?…と、いうのも、現代においてバスクラは、もはや持ち替え楽器としての範疇を脱するほどのレベルで、クラリネットと異なる知識・技術・経験が要求されるものなのだと認められるようになった(なってきた)から、だと思うのです。それに、近年ますます、この楽器の需要が高まってきているのを感じますから、それ故に、バスクラに特有のニッチな技法を習得したプレイヤーの必要性が、比例して向上している…と、いえるのではないでしょうか…*。

*しかし、上記の諸発言は、あくまで私的観測においての現状の確認であり「通常のクラリネットを演奏する技術が向上すると、自然にバスクラリネットの演奏技術も向上する」というよく話題に出る教えに異を唱えるものではありません。むしろ双方を鍛錬することによるフィードバックの循環は、自ら実感しているところでもありますので、賛成です(それに、エスクラやコントラバスクラも特有の知識・技術・経験が必要ですので、言い出すとキリがないと思われるのも、ごもっともなことです…)。なんだかんだで、フィンガリング等も「ほとんど」同じですしね…。

・前置きの本題

さて…!ここで、少々急かもしれませんが、本題に移りたいと思います。ここまでプレイヤー目線で、トークの前振りをしてきましたので、普通のテキストでしたら、このまま「奏法や演奏のコツ」に照準を合わせ、論を導こうとするのでしょう。しかし、今回そのようなことはいたしません!この場で、私が主にターゲットにしたいのは、「これからバスクラリネットを用いて曲を書いてみたい!」と思っている皆さまに対してでありまして、これから始める一連の(途中で挫折しなければ…(笑))論考のシリーズで、そのような方々に向けて、少しでも有益なものになる文章を、微力ながら残していこうと考えています(もちろん、バスクラについて少しでも理解を深めたい、という方は、どなたでも是非ご覧くださいね)。
さて、ではなぜ、そのようなアイディアを思いついたかといいますと、実は私、先ほど述べました通り、短期大学士はバスクラリネットで所得していますが、その後、学士は作曲で所得しておりまして、その際に設定した論文のテーマが、「バスクラリネットの特色をいかした楽曲創作」だったのです。そうして出来上がった論文を、ちょうどプレイヤーとしての私に対し、バスクラリネット独奏曲を書いてくださることになった某知人の作曲家に参考までに転送いたしましたところ、「なかなか役立つね!これ世間に発表しないの?」との旨、ご指摘を賜りまして…。確かに一瞬とまどったことは事実ですが、しかし、確かに情報が少ない楽器だよなあ…と改めて思い、執筆の決断をいたしました。まあ、決意してから時間が空いてしまったのは事実ですが…、少しずつ進めていけたらなあ…と、考えています(後々は特殊奏法についても、ある程度まで記載したいですね…)。


◎本日の本題:バスクラリネットの歴史概略

本日は前置きだけでおしまいにしようかとも思いましたが、せっかくですので、このまま以下に、楽器の歴史について、その概略を述べておこうと思います。しかし、あくまで概略であり、情報を絞っての記述となります。より詳細なものを…という方は、日本語に限れば、『The Clarinet』という雑誌の2014年に発行された「Vol. 52」により踏み込んだ情報が記載されています。洋書まで範囲を広げましたら、Henri Bokの『New Techniques for Bass Clarinet』がさらに詳細です。尚、Henri先生の著書は、重音の運指など、現代音楽作曲家が望む、ほぼすべての特殊奏法についての記述が網羅されています。

①楽器の発展の歴史

楽器発展の歴史には、さまざまな諸説がありますが、最古のバスクラリネットとして残されているもののひとつに、ドイツ人のH. グレンザーが、おそらく1793 年くらいに開発したとされる「クラリネット・バス」 があります(ちなみに、モーツァルトのクラリネット協奏曲は1971年の作品だとされていますね)。この楽器は、管がふたつに折れ曲がっており、ファゴットのような見た目をしており、軍楽隊で木管セクション・低音部を補強するために開発されました(この楽器以前、以降にもバスクラリネットの先祖とみなすことができる楽器はありますが、例の如く記述を割愛します)。
この最古の楽器の開発から、さまざまな発展の歴史を経て、1838 年、ベルギーのA. サックスの手によって、現在、使用されるモデルの原型となる楽器が開発されました(尚、サックス氏は、1846年、パリにてサキソフォンの特許を所得しています)。特に低音、高音両方の限界音域を拡大したことが、その最も評価されている功績のひとつです。

②認知・需要の広がり

『バスクラリネットはすでに何年も存在しているが、作曲家たちが、その独奏楽器としての可能性を認識しはじめているのは、近年の話である。1960年代、しかしながら、本当に多くの作品がこの楽器のために書かれたことで、この楽器が真に解放されたということが言えるということがわかる。(中略...)多くの現代作品では、作曲者が、より低音も高音も拡張し、すなわち 4 オクターブと4 度(もしくはより広く!)にわたる楽器の全音域を使用している。
バスクラリネットに対する多くの今日の作曲者たちの好みは、新しい音をつくりだすための楽器の並外れた能力量であるはずだ。現代音楽の作品の演奏に直面すると、バスクラリネット奏者は広範囲の特殊奏法、専門技術を意のままにすることを要求されるだろう。』

Henri Bok『New Techniques for Bass Clarinet』より
(和訳は筆者による)

19 世紀後半頃から、3管編成のオーケストラの楽曲を書く作曲家が増加したことにより、この楽器の需要がますます高まっていくことになります。
かように、オーケストラや室内楽において、19世紀から、しばしば(控えめに)使用されてきたバスクラリネットですが、独奏楽器としての使用の歴史は、さらに浅く、20世紀中頃まで話を進めなければなりません(クラリネット奏者がオーケストラ等で、その場のシチュエーションに限り、持ち替えで使用することが当たり前となっていたこともそのひとつの要因でしょう)。
大きなターニング・ポイントは1955年に訪れます。チェコのバスクラリネット奏者であるJ. ホラークによる世界初のバスクラリネット・リサイタルの開催です。このイベントが独奏楽器としての起源のひとつであるとされています*。以後、独奏楽器としてのバスクラリネットの発展は急速に進むこととなり、とりわけ、オランダの世界的 バスクラリネットの名手として知られるH. スパルナイ、H. ボクの貢献は多大なものがあり、多くの著名な現代音楽作曲家が彼らのために作品を献呈しました。尚、ジャズの世界でもE. ドルフィらが、この楽器を活用し、非常に大きな貢献を遺しています。

*しかし、これ以前に、この楽器の独奏曲がまったく存在していないという訳ではありません。たとえば、有名なところですと、F. ラッセ《リート》(1923)、O. シェック《バスクラリネットとピアノのためのソナタ》(1928)などがあげられます。

③日本においてのバスクラリネットの受容について

これまでに、諸外国にて、バスクラリネットが独奏楽器として用いられてきた経緯を述べてきました。1955 年を皮切りに、今日では世界中で数多くの作曲家や演奏者、そして聴衆を魅了している…というわけですが、それでは、ここ日本ではどうでしょうか?そのターニング・ポイントのひとつとして、1986年、日本ではまだ独奏楽器としてバスクラリネットが認知されていなかった頃に、元東京佼成ウインドオーケストラ専任バスクラリネット奏者の木村牧麻氏が、バスクラリネットとピアノによるレコードを発売した…という重要な功績をあげることができるそうです*。事実、その後、バスクラリネットのソロ・リサイタルの開催や、ソロやアンサンブルのCDの制作がおこなわれるようになったことは、今や歴然たる事実でしょう。また、2016年には、第1回となる日本バスクラリネットコンクールが開催されるなど、バスクラリネット演奏の奨励も進められており、奏者の演奏技術も、当時に比べ比較にならないほど向上しています。
しかし、このような急速な演奏機会に肝心の「作品」が追いついていないといえます。(前述の通り)同じ親を持つといえるサキソフォンと比べても、そのレパートリーの格差は如実に現れてしまっています。
故に、作家からすると、チャンスかもしれませんね。では、次の記事から、実際の創作に役に立つ内容を記載していこうと思います。

* 井上幸子『バスクラリネット独奏の可能性「限定が生み出す芸術」〜バスクラリネット左手独奏と右手鍵盤楽器によるカウンターポイント〜』常葉学園短期大学紀要 (2009年)より。尚、以下の参考文献表にも記載しております一連の常葉大学短期大学部音楽科(旧・常葉学園短期大学)の紀要につきましては、記事執筆現在(6/26/2023)すべてインターネット上で閲覧が可能です。


◎参考文献

・Henri Bok『New Techniques for Bass Clarinet』Henri Bok出版
・Jean-Marc Volta『LA CLARINETTE BASSE』
・『The Clarinet vol.52』アルソ出版
・『The Clarinet vol.75』アルソ出版
・『The Clarinet vol.76』アルソ出版
・井上幸子『バスクラリネット独奏の可能性「限定が生み出す芸術」〜バスクラリネット左手独奏と右手鍵盤楽器によるカウンターポイント〜』常葉学園短期大学紀要
・井上幸子『バスクラリネット独奏の可能性 2「限定が生み出す芸術」〜バスクラリネット左手独奏と右手打 楽器による作品〜』常葉学園短期大学紀要
・井上幸子『バスクラリネット独奏の可能性 3「限定が生み出す芸術」〜バスクラリネット左手独奏と右手舞踊による作品〜』常葉学園短期大学紀要
・井上幸子『吹奏楽現場におけるバスクラリネット指導の問題点』常葉大学短期大学部紀要
・伊福部昭『管弦楽法』音楽之友社
・エクトール・ベルリオーズ、リヒャルト・シュトラウス(小鍛冶邦隆・監修、広瀬大介・訳)
・『管弦楽法』 音楽之友社
・河江一仁(編著)『新総合音楽講座8 管弦楽法概論』ヤマハ音楽振興会
・Frank Erickson『Arranging for the Concert Band』Belwin-mills Publication Corp.
・ウォルター・ピストン(戸田邦雄・訳)『管弦楽法』音楽之友社

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