「ATOM」はノスタルジーなのか

"ノス"というワードから「ATOM」を考えた結果、トガシくんが全てを物語っていたことに気付いた話。
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この話はラーメンズの第12回公演「ATOM」におけるコントについての話です。気になる方は公式YouTubeをご覧ください。

*以下「ATOM」全編のネタバレがあります。長文ですので、お暇な時にお読みください。

ノスって「ノ+ス=久」?

ノスとは「アトムより」というコントで片桐仁さんが演じるキャラクターのことだ。
始まりはノスを「久」と見て、意味と漢字の成り立ちを調べてみたことだ。漢字の成り立ちは諸説あるし、結構不気味な成立ちの漢字(白、道、真など)も多いのは知っていた。
「久」の成立ちには、以下の説がある。

人間が死ぬと「永久の人」「久遠(くおん)の人」になると考えて、「ひさしい」の意味が生まれました。これは普通(ふつう)の考え方とは少し違(ちが)いますね。死体はやがて、くち果てて消えていくわけですから、本来は「永久」の意味になるはずがありません。 でも古代中国人たちは消滅(しょうめつ)してしまう人の死体から「永久なもの」「不滅なもの」というものを見いだそうとしました。彼(かれ)らが死の中に積極的な意味を見いだそうとしたことに深い思想を白川静さんは感じていました。

引用元:47NEWS「(8)「久」 永久の人になる」より 

偶然見つけたけど、人では無かったノスは最後"永久の人"になったのか。この1つ前のコント「採集」の剥製も"永久の人"だし。
他のコントもループや、未来に生きたくて仮死状態を選ぶという要素があって、"永久"という要素は見出せる。

「ATOM」のベースにあるもの

しかし、全編を観終わったときの感覚とは乖離している。
どちらかと言うと、刹那さや寂しさ、ノスタルジーを感じるといったところか。恐らく、この公演のベースにある物は「1人きり」ということだ。

各コントについて

「上下関係」は、全てを持っている下の人間(小林賢太郎さん)に嫉妬するリーダー(仁さん)の話。最後は、自分を認めてくれていた筈の賢太郎さんに"不完全燃焼"以下と言われ、突き放される。家族の話辺りから見ると、リーダーは独身だ。また、マウントすることで自己を保っているようで、一種の孤独を感じる。
「新噺」は、落語の枠組みをネタにした物だ。落語には登場人物が複数人いるが結局は1人だし、2人で落語をやったところで上手くいかない。やはり落語は1人でなければならないのだ(仁さんがやってる落語のネタに、賢太郎さんは入れてもらえなかったし)。
「アトム」は、未来に生きたいと願って30年間の仮死状態を選んだ父(仁さん)と、息子・アトム(賢太郎さん)の話だ。両親ともに仮死状態を選んだため、アトムは両親と過ごす事なく、孤独に数十年を過ごしたことになる。
「路上のギリジン」は、いつも通り仁さんが、1人でひたすらに歌い続ける。金欠ネタの歌詞で路上ライブをし、お金を稼ごうとしている。客として見ている賢太郎さんは極力反応しない。仁さんの孤独な闘いだ。
「採集」は、久々に再会したかつての親友ジャック(仁さん)と、プリマ(賢太郎さん)の話。島を出て都内の花屋で働き、彼女がいるプリマに対し、ジャックは島に残り中学で生物教師として過ごしている。冒頭でジャックは、プリマが"今、幸せだ"ということに嫉妬していた。そして最終的に、ジャックはプリマを剥製にしようとする。動機は不明だ。標本や剥製を作るのが好きだったからかもしれない。かつての親友が自分の知らない所で幸せになり、自分から遠く離れて、1人残されるのが嫌だったのかもしれない。
「アトムより」は、トガシくん(賢太郎さん)と、ノス(仁さん)のほのぼのとした日常だ。忙しいトガシくんを気遣って、気分転換に行こうというノス。2人で窓の外のグラウンドを眺めて、あれこれ話したり、晴れてるから散歩に行こうとしたり、長閑な話だ。トガシ君は、この段階では1人ではない。
しかし最後、ノスはバッテリーが切れて動かなくなる。バッテリーの替えがあるかは不明だ。バッテリーがなければ、この時点でトガシくんは1人残されたことになる。話自体の雰囲気は最後を除き、ひなたぼっこのような長閑で、ふんわりとした物だっただけに、刹那さが残る。

道中が楽しければ、それでいいじゃん

1人だった「ATOM」の登場人物達は、その後どうなったのだろうか。
トガシくんは、「道中が楽しければ、それでいいじゃん」「目的地にたどり着くことって本当は、目的じゃないかもしれない 」と言っている。

目的ばかりを見ている元リーダー、父さん、ギリジン、ジャック。
そして"落語の枠組み"を目的地にして、落語の説明をしてしまい、肝心の落語のネタの話ができない「新噺」。
トガシくんのセリフは、彼らに向けたものなのか。彼らが過程を楽しめれば、結末は変わったのかもしれない。

ノスの由来が、失われたものに対して想いを馳せる「ノスタルジー」の意味だったらバッテリーは無いと思う。
由来が「久」なら"永久の人"だから、バッテリーがあっても良いかもしれないと思ってしまった。

このコントがノスタルジーだとしても、まだまだノスとの日々が続く道中だとしても、どちらにせよ道中を楽しめていたトガシくんは、しっかり目的地にたどり着けるはずだ。

なんとなく下のnoteも最後、同じようなこと言ってるし。

長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。

余談

上段とは関係ないが、「採集」ネタなので、この場を使います。
最初に「採集」を観た時、盛大な勘違いをしていて、違う意味で怖かった。
自作の焼豚が出てくる辺り。アレが彼女なのかと思った。初めの方で「切り裂きジャック」って言ってるし。つまり、あの時点で彼女は殺されていて、ジャックがプリマに罪を着せようとしているのかと思って怖がっていた。結果的に、やっぱり「採集」は怖かったけど。
あと、「アトムより」のラストは仁さんが動かなくなるけど、こっちは賢太郎さんが動かなくなるから、その辺も考えての「アトムより」の最終場面(2人立っているけど1人は動かない)だったのかなぁと思ってみたり。以上、余談でした。

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