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見たことも会ったこともない人やモノとのつながりがあって

毎朝やってる黙読会が今日で100回目になった。
黙読会は「積んどいたままにしている論文や本を時間を決めてルーティンで消化していこう」という趣旨で始まったので、みんな読む本だったり論文だったり、観る動画だったり、仕事の資料だったり、ばらばら。

50分読んで10分を読んた本のシェア、対話をしている。
この対話が、毎回すごくおもしろい。

何がおもしろいかっていうと、どんどんみんなの話がつながっていって、
自分が知っている世界とか知識が広がっていくこと。

昨日は100回を前に、ということで、初めて課題図書をもうけた。
『森は海の恋人』(畠山重篤 文春文庫 2006年)

畠山さんは宮城県気仙沼でカキの養殖をしている。
あるとき、海の水質がおそろしく悪くなって、
カキが育たなくなった。
なんでだろう、もしかすると、と思って、
海に流れ込む川の上流に、植林をし始めた。

ちょうど時を同じくして、
海の水は近くの森の状態に関係することが科学的に証明された。
森の広葉樹が大量の葉っぱを落とし、
それが腐葉土になって、キノコや樹の実を実らせ、
降り注ぐ雨によって土の養分が地面に染み込み、
滋味豊かな地下水として川に流れ込み、
川は海に入り込み、海の中のプランクトンを豊かにし、
海の中の生物を豊かにする。

海の滋養は海流に乗ってやってくるものだと思っていたら、
実は山からもやってくるんだ、ということが証明されたのは、
1989年、まだそう遠くない過去の話だ、ということ。

森と海はつながっている。
森と海は切っても切れない間柄、相思相愛。
森は海の恋人なのだ、と。

というプレゼンテーションをわたしがして、
そのあと対話になったが、
そもそも、漁船は木造だったから、山と海は切り離せなかった、
ということから、
福岡には「山ほめ祭り」というのがあって、
山をたたえ、海での漁をたたえ、地の猟と収穫をたたえる。
となったり、
広葉樹を切り捨てて針葉樹の杉の木ばっかり植えたから花粉症になった、
けれども花粉は杉の木が「生きよう!」として撒き散らしていることから、
これも杉の木にとっては大事な行為なんだ、とエンパシーを示したときに、
あらあら不思議、花粉症が治まっていった、とか。

SDGsも17ターゲットばらばらに考えていたけど、
じつはひとつにつながっているんだなあ、
という気付きになり、
わたしたちはアウトドアもヤマ派かウミ派かに分かれるように、
山は山、海は海、と別々のものだと分けていたけど、
そうじゃなくてつながっている、同じものなんだよね〜、とか。

対話は豊かだな〜、と思って一夜明けて今日の黙読会で、
今日もまた『他者の靴を履く』を読んでいたら、
(積んどいたままの本はなかなか解消されない)
吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』を紹介してて、
そこで主人公のコペル君が「人間分子の関係、網目の法則」がでてきた。
粉ミルクを例にとって、牛と自分との間にどんだけ人がつながっているか、
オーストラリアの牛から搾乳されたミルクが、牛飼い、汽船から荷を下ろす、
などなどなどなど、大勢の人たちが間に入って、自分の手元に粉ミルクが手に入る。

「人間分子は、みんな、見たことも会ったこともない大勢の人と、知らないうちに、網のようにつながっている」

ああ「森は海の恋人」もそうだ。
山の木が葉っぱを落とし、海の水が蒸発して山に降り注ぎ、
川に流れて海に入って、カキが育って、そのカキを食べて……。
見たことも会ったこともない物体がたくさんつながって、
わたしたちの口に入り、わたしたちは生かされてきた。

たぶん、一人で読書していても、こうはならなかったかもしれない。
みんなで対話したからこそ、いろいろつながってきた。

対話、おそるべしである。


『他者の靴を履く』ブレイディみかこ 文藝春秋 2021年
『森は海の恋人』畠山重篤 文春文庫 2006年
『君たちはどう生きるか』吉野源三郎 岩波文庫 1982年