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身体的思考と五感を取り戻すということ

GWから2週間で、3回田植えをやった。

棚田で、山の中の秘境的なところの鴨川自然王国(千葉)。

都市に近くハーブ畑も併設している秋庭農園(茨城)。

耕さない田んぼ、多様性水田のファームガーデンたそがれ(秋田)。

どれも参加者には好評で、
わたし自身、前2回のディレクター的な役割から、
最後はがっつり参加者となって、終わったあと得も言われない快感があった。

五感を取り戻すのか田植え(イベント)の目的のひとつで、
快感やすっきり感は、五感が喜んでいるからなんだろう、と思っていた。

たしかに、田んぼの中に入り、
指で苗を植え付け、
足を抜くことさえままならないときもある、ぬかるんで足に吸い付く泥との格闘、
吹く風の冷たさ、
泥の匂い、が五感をくすぐる。

そしてそれは、身体的感覚を総動員して、
コメとは何か、なぜここまで手間がかかるのか。
手間をかけないためには機械化が必須だったこと、
農薬散布が効率的だったこと。

コメの生産効率とコメの味が最高になったいま、
過去でもっともコメを食べなくなった日本人。
なぜコメを食べなくなったのか。

おにぎりは食べるが、コンビニのおにぎりだ。
自分でおにぎりをつくったのはいつのことだったか。
そもそも、料理もチンが中心になってきた。

それにしても、楽しい。
仲間といっしょに身体を動かすことが、こんなに楽しいことだったのか。
仲間といっしょに雑談をすることが、こんなに楽しいことだったのか。

身体的感覚を開いて、総動員して、
思考をしている。

それは、オンラインでの質量のない仕事をし続けていたわたしにとって、
久しぶりに質量のある作業だったから、
よけいに身体的感覚があることに喜びを感じたんだろう。

大学での授業がなくなってまだ一ヶ月だが、
質量を感じられる授業がいかに大事なことだったのかを思い知っている。

毎日朝からインプットとアウトプットをし、
ミーティングしてプランニングをして、
それはそれで充実しているが、
教室で授業をするということは、学びの「場づくり」をすること、
人を動かし人を考えさせ人を笑わせ人を困惑させ、
またここに戻ってこようと人に満足してもらう。

それは身体的思考であって、脳的な思考だけではないリアリティがある。

田んぼでの田植えもまた、身体的思考を実践する場であり、
固定化された認識、経験をアンラーニングする場でもある。