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ティルドラス公は本日も多忙⑤ 嵐の年、国滅ぶ時(19)

第四章 ヒルエンラムの小さな事件(その4)

 そして決行の当日がやって来る。屋敷を抜け出すのはミレニアの夕食の直後。夕食が終わり彼女が自室に戻れば翌日の起床時まで周囲の者たちによる動静の確認はない。つまり翌日の朝までは屋敷を抜け出したことに気付かれずに済むということである。
 事前に申し合わせた通り、早めに夕食を終えたミレニアは「今日は早く休む。」と周囲の者たちに告げて自室に閉じこもる。一方のディミティラは、自分の部屋には戻らず、こまごまとした用事をこなしながら辺りの様子を窺っていた。
 やがて周囲に誰もいなくなったのを見計らい、ディミティラはあらかじめ準備して隠しておいた荷物を取り出し、ミレニアの部屋の扉をそっと叩く。「ミレニアさま。」しばらくの沈黙のあと、扉が開き、目立たない服装に頭巾で顔を隠したミレニアが部屋から滑り出てくる。「こちらでございます。お静かに。」そう囁きながら、彼女を下働きの者たちが使う裏口へと案内するディミティラ。
 「………。」ミレニアは無言のまま、ディミティラに先導され、そのまま裏庭を横切って人気のない裏手の通用門から外へと抜け出した。
 いくらも経たぬうち、むこうから粗末なてぐるま(人力車)が二台走ってきたかと思うと、彼らが待つ裏口の前で止まる。車を引くのはシクハノスともう一人、さらに角灯ランタンを持った歩行かちの同志が一人付き従っている。「乗られよ!」とシクハノス。二人が乗り込むのももどかしく、夕闇の迫る道を二台の輦は港に向かって走り出す。
 船は港の外れの人気のない桟橋に停泊していた。「輦はこの場に置き捨てていく。我々が乗るのを待ってすぐに船が出る手筈になっているのだ。急げ!」輦を降りるミレニアとディミティラに向かってシクハノスが指示を飛ばす。彼の言葉に従い、他の四人が船へと走り出そうとしたその時だった。
 「止まれ!」周囲に響く大声。「アルイズン家の者どもだな。その場を動くな!」
 「いかん! 捕り手だ!」とシクハノス。そして彼は剣を抜き放つと、ディミティラたちを背後にかばう形で身構えた。「ここはそれがしが食い止める。貴公らは船に乗れ。船頭を脅してでも、とにかく出航させろ!」
 「こちらだ! 急いで乗り込め!」歩行かちの同志が船に渡された渡り板のところに駆け寄り、角灯を掲げながら叫ぶ。だが、同時にいくつもの弦音つるおとが周囲から響き、彼は一度に数本の矢を全身に受けてその場に倒れ込んだ。
 「フューリノス!」絶叫するシクハノス。
 気がつけば、辺りの物陰からおそらく十人以上の射手いてが弓を引き絞ってこちらに狙いを定めている。「逃れられぬぞ。武器を捨てて神妙にばくに就けい!」姿を現した一人の将軍が彼らに向かって大声を張り上げる。ユーキンだった。
 「そちらこそ弓を下ろせ!」シクハノスと共にてぐるまを引いてきた同志が、やにわにミレニアを抱え込むと、その首筋に剣を突きつけて怒鳴る。「トッツガー家の公女だぞ! この女を傷つけたくなければ――」
 だが、次の瞬間ミレニアが隠し持った短刀を抜き放ち、彼の心臓を正確に一突きにする。声もなく足元に崩れ落ちる相手を冷たく一瞥いちべつしたあと、唖然とするディミティラたちをよそに、ミレニアは彼らを取り囲む兵士たちの方へと悠然と歩き出した。
 「ミレニアさま?」目を見張るディミティラ。「――いや違う、ミレニアさまじゃない! あなたはいったい誰!?」
 「『牙の衆』の一人、『白鷺しらさぎ』と申します。」彼女の言葉にミレニア――否、ミレニアに扮した女は足を止め、こちらを振り返りながら答えた。
 「忍びの者!」ディミティラは息を呑む。「では、ミレニアさまはどこに――?」
 「ご自室を抜け出そうとされたところを我らの仲間がお止めして公爵の元へとお連れいたしました。今頃、公爵からお叱りを受けておいででしょう。」
 「そんな……。」
 「アルイズン家の残党どもめ。我が領内でこそこそと胡乱うろんな動きをしおって、我らに気付かれぬとでも思ったか。おそらく船でどこぞの国に逃れようとするのではないかと見当を付けて港に網を張っておれば、思った通りだ。見よ、お前たちの一味は全て捕らえたぞ。」ユーキンが勝ち誇ったように張り上げる声に応じて、停泊している船の甲板に数珠つなぎに縛られた仲間たちが引き出される。その中にはケロスやオクタヴィアの姿もあった。「そこの下女もだ。明らかに怪しげな風体ふうていの者がミレニアさまのご用のための符節ふせつを携えてハッシバル領へと向かう船を探しておるとの訴えがあって調べてみれば、あろうことか、お前がアルイズン家の残党どもと通じてミレニアさまを連れ出そうと企んでおったとは。この不忠者め。必ずや重い刑が下されるぞ。もう一度だけ言う。武器を捨てて縛に就けい!」
 「言う通りにして下さい!」船の上からケロスがシクハノスに向かって叫んだ。
 「くそっ。」歯がみするシクハノス。自分一人であれば一か八か血路を切り開いて逃れることも考えるだろうが、オクタヴィアを人質に取られた状態ではそれもできない。なおもしばらくためらったあと、彼は手にした剣を投げ出してその場に座り込んだ。兵士たちが用心深く歩み寄り、槍を突きつけながら後ろ手に彼を縛り上げる。同時にディミティラも縄をかけられた。
 その間ユーキンは角灯を手に、矢を受けて倒れた同志のところに歩み寄り、「コットナム、参れ。」と捕り手の中に加わっていた一人の男を呼ぶ。「お前が言っておったのはこの者か?」おそらく彼が、ディミティラが聞いた、かつてアルイズン家で下僕をしていたという男なのだろう。
 「おお、間違いございませぬ。まさしくオドニー=フューリノスどの。アルイズン家の家中でも指折りと称された武勇の士にございます。」倒れた同志の顔を見せられ、尋ねられた男は声を上げる。
 「よし。では、この者に見覚えはあるか?」続いてユーキンは、忍びの女に倒された同志の顔を角灯で照らし出す。
 「見覚えがございます。やはりアルイズン家で名を知られたコーギオ=シュトロームという方でございます。」
 「アルイズン家でその名も高い者どもを二人まで討ち取ることができたか。喜ばしいことよ。」そう言いながらユーキンは、手にした角灯の光をシクハノスの顔に向ける。「この者はどうだ?」
 「!」慄然りつぜんとするシクハノス。もし自分の正体が露見すれば、間違いなくこの場で殺されてしまうだろう。それだけではない。自分がコーチスの城で死なずにここまで落ち延びてきたことが分かれば、当然、アルイズン家の縁者を伴っているのではないかと疑われる。そうなれば、オクタヴィアの素性も暴かれ、彼女にも害が及ぶことになる――!
 動揺する彼をよそに、尋ねられた男はしばらく彼の顔を凝視していたが、やがて「見覚えがございませぬ。」とかぶりを振った。
 「………。」彼の言葉に、シクハノスは内心安堵あんどのため息をつく。
 「そうか。――貴様、名は何という。」横柄な口調でシクハノスに尋ねるユーキン。
 「ゼネム=ストーク。」シクハノスはぶっきらぼうに答える。
 「ゼネム=ストーク……? 聞かぬ名だな。コットナム、お主は何か知っておるか?」
 「存じませぬ。イシュトヴァン子爵のご愛妾に同じ姓の方がおられたようにも思いますが、定かではございませぬ。」

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