ミスカムシル全図

ティルドラス公は本日も多忙③ 冬終わる日に人来たる(1)

第一章 キコックの助言(その1)

 マクドゥマルの街で季節は秋から冬へと移り、冬至、そして新年が近づいていた。
 ミスカムシルの暦では、新年となる一月一日は平均して冬至の三日後、我々の世界でのクリスマスの頃となる(そもそも我々の世界のクリスマス自体が本来は冬至の終わりを祝う行事だった)。さらにミスカムシルには、松・杉・樅(もみ)・柊(ひいらぎ)など常緑の木に飾り付けをして新年の到来を祝うという、こちらもクリスマスとよく似た風習があり、まだ戦争の傷跡が残るマクドゥマルでも、控えめながら木々への飾り付けが行われ、新年を祝う準備が進む。
 バグハート家の滅亡から一月ほどが過ぎた今も、ティルドラスは戦後処理のためこの地に滞在していた。
 戦争に勝ってバグハート領を併せたからといって、征服者気分で浮かれている暇はない。直ちに統治者としての役割を果たさねばならないのだ。これまでバグハート家に仕えていた官吏たちが招集され、役所の業務の再開が進められる。
 「当面は、これまでのバグハート家の法・制度・慣習を踏襲し、悪法・悪習を廃するに止めよ。」官吏たちを指揮する役目を与えられたチノーに、ティルドラスは命じる。
 「しかしそれでは、本国の法制との間に齟齬(そご)が生じるかと存じますが。」チノーが言う。彼自身は、バグハート家時代のやり方を徹底的に改め、全てをハッシバル家の制度に合わせる事を考えており、そのための綿密な計画も立てていたのである。
 「蜜蜂の群を合わせる方法を知っているか?」
 「は?」
 「蜜蜂を飼う時に、二つの群を一つに合わせねばならぬことがある。その時に、二つの群を無理やり一つにしてしまうと、同じ巣の中で互いに殺し合いを始めてしまう。それを避けるためには、まず、二つの群の巣箱を次第に近づけて互いになじませ、最後に二つの巣箱を紙一枚を仕切りとしてつなぎ合わせるのだ。あとは蜂たちが、仕切りの紙を食い破って、自然に一つの群になっていくのを待つ。それと同じ方法を取ろうと思う。」
 「しかし――」法制度の話をしていたはずが、いきなり蜜蜂の群の合わせ方を解説され、チノーは困惑する。
 「ハッシバル家とて決して、何もかもがうまく行っているわけではない。むしろバグハート家のやり方に合わせた方が良いものもあるだろう。」ティルドラスは独り言のように続ける。「いずれにせよ、これからいろいろ変えて行かねばならぬ。先は長いのだ。焦らず、ゆるゆるとやって行こう。」
 『解らぬ。やはりこの方のお考えは解らぬ。』ティルドラスの前を退出しながらチノーはかぶりを振る。『古(いにしえ)の世に、毒蛇に噛まれた時にどうすれば良いかを延々と述べた勅令を発して天下の信を失った暗愚の王がいたという。それを思い出してしまった。いったいこの方は英明なのか、暗愚なのか……。』
 ともあれ、多くが変わらなかったことで、社会の混乱はあまり起きずに済む。役人や兵士に俸給が支払われ、戦争で滞っていた土木工事や裁判が再開し、春の収穫期の税収について試算が行われ、公文書を携えた伝令が役所の間を行き来する。住人たちも次第に普段の生活に戻り、家を捨てて山野に隠れていた者たちも、それを知って少しずつ帰ってくる。
 そうした中で意外な活躍を見せたのが、投降の使者としてティルドラスのもとにやって来て、そのまま彼に仕えることとなった隠者のイック=レックで、抵抗の構えを見せていた村落や兵営に単身出向いて相手を説得し、不安に怯える農民たちを落ち着かせ、一方で彼らのバグハート家への不満やハッシバル家への要望を聞き取ってはティルドラスに伝えるのだった。
 「税や労役の軽減、穀価の引き下げなどを望む声は、伯爵ご自身も耳にされておりましょう。それ以外で気にかけねばならぬのは、密告制度の廃止と、無実の罪で投獄されている者たちの釈放を望む者が多いことでございます。早急に手を打たれるべきかと存じます。」イックは言った。
 「うむ。」ティルドラスは頷く。
 穀価の引き下げについてはすでに手が打たれていた。ツクシュナップの街に集積されていた穀物がマクドゥマルへと運ばれ、さらに、穀物を買い占めては高値で売りさばいて暴利を貪っていたマクドゥマルの商人たちには、在庫の四分の一を接収、さらに四分の一を平時の標準的な小売り価格で強制的に買い上げ、半分のみを手元に残す、という措置が取られる。これはティルドラスの祖父であるキッツ伯爵がその昔、似たような状況下で行った手法に倣(なら)ったものだという。
 商品を取り上げられて穀物商人たちは大いに不満だったが、それでも全てを没収されるよりはましと考えて渋々命令に従う。こうして集められた穀物は、あるいは兵士や役人に俸禄の代わりとして支給され、あるいは救恤(きゅうじゅつ)品として生活に苦しむ貧民たちに配られたり、街頭での炊き出しに使われたりする。
 巷間に流通する穀物が増え、さらに、春に収穫される麦の生育も悪くないことが明らかになったことで、穀価は一時の狂乱状態を脱して現実的な価格に落ち着き、市民の不安・不満も和らいでいた。「とりあえず、民の暮らしについては、ある程度安定したと言って良いだろう。次に、バグハート家によって罪なくして投獄された者たちを牢から出すべきだと思う。」部下たちを集めての評定(ひょうじょう)の席で、ティルドラスは言った。
 「そのことと関連いたしますが、ザネー=ツェンツェンガどのの行方が分かりませぬ。聞くところでは、子爵家への帰還後、我が国との和議を進言したことがメイル子爵の怒りを買い、投獄されたらしいとのこと。探し出して我が軍に迎えるべきかと存じます。」リーボック=リーが声をあげる。下アシルウォック川河畔の戦いでハッシバル軍の捕虜となり、その後、捕虜たちの束ねとしてリーボックを手助けした、かつてのバグハート家雑号将軍・ツェンツェンガ。マクドゥマルの占領後、リーボックは彼を捜し回ったものの、未だに見つけられずにいたのだった。
 「うむ。私も気にかかっていた。」頷くティルドラス。

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