見出し画像

ティルドラス公は本日も多忙④ 都ケーシの宮廷で(28)

第六章 親族たち(その3)

 この人物について語るには、ハッシバル家の歴史をティルドラスたちの祖父である開祖・キッツ伯爵の時代までさかのぼってひもとく必要がある。
 現在はフォージャー領となっているチュリ河中流の小さな街・アウリ。その郊外の貧農の家に生まれ、口減らしのため十代前半から家を出て各地を放浪したキッツ=ハッシバルが、モイ河の支流であるキースノイ川に臨む街・キースクトンを国都とする小国の主だったナブルグ=オリディオン侯爵に従僕として仕えたのは二十代半ばのことだった。
 彼が仕えたナブルグは後世、時代に先駆けた英傑とも残虐非道の暴君とも様々に評されるが、とにかく当時の常識の枠内に収まらない破天荒な人物で、一族の者たちから近隣の国から領内の宗教勢力から果てはアシュガル執政官家やティンガル王家までを相手に次々と揉め事を起こしながら、その危機を並外れた勇猛さと卓越した統率力で乗り切って勢力を拡大する。一方で領民や家臣たちに対する態度は峻烈そのもので、彼の求める能力を持たぬ者、彼の方針に異を唱える者たちは、たとえ代々オリディオン家に仕えた家柄の出身であっても片端から放逐・粛正され、代わってナブルグに才能を見いだされた人間たちが出自や経歴を問わず重い地位に取り立てられる。
 その中でもキッツの受けた抜擢は異例のものだった。もとは一介の雑兵の身分、常に竹の水筒を抱えて(ハッシバル家の竹の紋章と銀の竹の馬標うまじるしはこれにちなむ)ナブルグに付き従っていた従僕の彼が、その才能を見込んで取り立てたナブルグ自身が驚愕するほどの実力を発揮して、わずか数年のうちに候国の重臣の一人にまで上り詰める。
 彼と並んで異例の抜擢を受けた人間がもう一人いる。ケーシの没落貴族の息子で、若い頃から諸国を放浪し、最初は単なる礼儀作法の指南役としてナブルグに仕えたルキウス=アークシー――イオディアの父、つまりティルドラスたちの曾祖父に当たる人物である。
 希代のめ上手と呼ばれ部下や民衆の心をつかんで全力を尽くさせる手腕にけ、さらに当時の常識を覆すような奇策を次々に繰り出しては敵を翻弄するキッツ。対照的にルキウスは高い教養と爽やかな弁舌、そして零落れいらくしたとはいえ名門の血筋を利用して、朝廷の高官や名の知れた知識人、各国に仕官している血縁・縁戚の人間たちの間に人脈を作り、それを駆使して敵の内情を探り、戦意を削ぎ、巧みに分断し、迷っている相手は籠絡し、あくまで敵対する相手は孤立させ、蜘蛛が羽虫を網で絡め取るように最小限の犠牲で次々に敵を服従させていく。
 「動のハッシバル、静のアークシー」「オリディオン家の両翼」――。そう称された二人の活躍によりオリディオン候国はキースノイ川流域を完全に勢力圏に収め、さらに西のアシュガル大公国、東のデクター公国といった大国の領土を蚕食さんしょくするまでになった。二人の仲は必ずしも良いわけではなかったものの、それでも互いの才は認め合っていたという。
 そしてある日突然破局がやって来る。ティンガル王家への参朝のためキースクトンを出発してケーシへと向かう途中だった主君・ナブルグを、ルキウスが軍勢を率いて奇襲、殺害したのである。
 理由については諸説ある。もともとルキウスは理知的な教養人でナブルグの破天荒な性格とはそりが合わなかったとされる。古い貴族の家柄の出身である彼にとって、真に忠誠を尽くすべき相手はあくまでティンガル王家であり、王家の権威など眼中にない(ケーシへの参朝も通常の規模を大きく超える軍勢を引き連れてのもので、武力で王家を威圧する意図があったらしい)ナブルグに対しては内心反感を持っていたともいう。おそらく一つではなく、いくつもの要因が背後にあったのだろう。
 ナブルグは名だたる男色家で子はなく、自分の死後の侯爵家の存続にも「なるようになる。なるようにしかならぬ。」とうそぶいて関心を示さなかった。彼に代わって侯爵家を率いるべき弟や従兄弟たちも凡才ぞろいでルキウスに対抗できるような人物はおらず、しかも一族の間で反目し合っている。おそらく主を失ったオリディオン家は四分五裂の状態となって仇討ちどころではなく、それを尻目にルキウスは得意の外交で各国の支持を取り付け、当時根拠地としていたキナイを中心に独立した勢力を築くだろう、というのが大方の予想だった。
 だが、その予想は外れる。当時軍勢を率いて東のイームガー領に遠征中だったキッツが、長期化すると見られていた戦いを瞬時に終わらせて軍を返し、追撃してきたイームガー軍も完膚なきまでに叩き潰して後顧の憂いを除き、オリディオン家の一族や諸将を糾合してルキウスに戦いを挑んだのである。
 ルキウスにとっては予想外のことだった。本国からの支援を受けられなくなったキッツはイームガー家との戦いで孤立無援のまま討ち死にするに違いない。彼を除けばオリディオン家の一門や諸将に自分に対抗できる者は見当たらない。周辺諸国も、これまで敵対してきたオリディオン家よりそれを倒した自分と手を結ぶはず。あとは周囲の敵対勢力を排除しながらキナイを足場に勢力を固めて行けば良い――。それが彼の読みだったのである。
 だが、キッツの動きはそうした彼のもくろみを全て打ち砕く。ルキウスが得意の外交で取り付けていたはずの他国からの支援もキッツの策でことごとく覆され、彼が忠誠を尽くしていたつもりのティンガル王家までが、主君を殺害した反逆者としてルキウスを討つ許可をキッツに与えたのである。
 「ルキウスは蜘蛛、我らは蜂ぞ。」キッツはそう叫んで自軍の将兵を鼓舞する。「蜘蛛の網にかかれば蜂は蜘蛛の餌食、だが網を失えば蜘蛛は蜂の餌食よ。今やルキウスは自身の網を失った。この機を逃すな。臆せず進め!」
 両軍はエムスザールの野で激突する。緒戦ちょせんはルキウス有利と見えたものの、続々と到着するキッツ派の援軍――その中には自分に味方するとルキウスが信じていた者たちも少なくなかった――が周囲から襲いかかり、ついにルキウスの軍は総崩れとなって潰走する。敗れたルキウスはわずかの供回りと共に落ち延び、再起を期して本拠地であるキナイを目指したものの、途中の名も知れぬ小さな村で落ち武者狩りの手にかかって果てたという。
 主を失い、キナイの城(当時はまだほんの小城だった)に籠もっていたアークシー一族の命運は尽きたかに思われる。逃れる道はなく、降伏したとしても許されることはないだろう。かくなる上は城に火を放ち、城と運命を共にするほかない――。そう覚悟を決めた彼らのもとに、キッツからの密使が姿を現す。麗質れいしつで知られるルキウスの娘・イオディアを側室として自分に差し出し抵抗せずに城を明け渡すなら、一族の者がティンガル王家の直領へと逃れることを黙認しよう――。それが密使の伝えたキッツの言葉だった。
 この口上に憤然として使者を追い返そうとする者もいたが、イオディア自身がキッツのもとに赴くことを承知したため、最終的にキッツからの申し入れは受け入れられる。一族の者はキッツが寄こした忍びたちの案内で城を脱出し、イオディアは一人城に残って、軍勢を率いて入城してくるキッツを迎えたのだった。
 約束は守られ、アークシー一族は何の危険もなく無事にティンガル王家の直領へと到着する。一説によれば、キッツから当面の生活に困らぬだけの経済的な援助さえ行われたという。そしてイオディアはそのままキッツのもとに側室として留まることになった。
 「今だから言うが、わしは初めてそなたを目にした時から心奪われておったのだ。」キナイに入城したその日の晩、命じられるまま寝所に現れたイオディアに向かってキッツは言う。「そして今、このキナイの城とそなたとを一度に得ることができた。これ以上の喜びはないぞ。」
 イオディアがその言葉に何を思いどう答えたか、それについて史書は何一つ伝えていない。
 念のため言っておくと、キッツは手に入れた女たちを手荒く扱ったりないがしろにしたりする性格ではなく、イオディアに対しても、読む者が赤面するほどの甘い言葉を並べた手紙を遠征先からもこまめに送り続けたという。ただそれでも、イオディアの存在はハッシバル家にとって一種の汚点のようなものであり続ける。主君の仇として討つべき一族を、その娘を差し出させることで手心を加えて見逃した――。当時の価値観として、それはなるべく隠しておきたい事実だったのである。
 その後キッツは主・ナブルグの仇を討ったことで彼の勢力の後継者と認められ、ルキウスから奪ったキナイを根拠地に周辺諸国を次々に攻略して天下に覇を唱える。だが、その中でもイオディアが日の当たる地位を与えられることはついになく、彼女が産んだ息子・フィドルもキッツの正妻・アニーナに預けられ、そこで養育されることになる。
 アニーナはキッツがまだ低い身分だった頃に娶った妻である。微賤の身であった夫を常に支えて励まし続け、ついに覇者の地位を得るまでに出世させた賢夫人として名高い。だが一方で大変に嫉妬深く、夫の側室たちに対する態度は穏やかとは言い難かった。特にイオディアに対しては、自分がキッツの子を産めなかったことの腹いせなのか、彼女から取り上げたフィドルをこれ見よがしに溺愛し、徹底的に甘やかす。フィドルの方でも父の正妻であるアニーナを母と慕って(それがこの時代のミスカムシルの一般的な道徳律でもあった)むしろ実母であるイオディアをうとむような態度さえ取っていた。のちにフィドル伯爵が長男のティルドラスを生母のメルリアンから引き離して正妻であるルロアのもとで育てさせるという決定を何の躊躇ためらいもなく行ったのも、自身のそうした育ちが関係しているのだろうと言われている。
 キッツ伯爵が世を去り息子のフィドルが伯爵家を継いでからもイオディアの立場は変わらず、いつしかキナイを離れて一族の者たちが暮らすケーシで過ごすことの方が多くなっていた。シュムナップの戦いで大敗したハッシバル家がキナイを逃れてエル=ムルグ山地に逃げ込んだ時もイオディアはちょうどケーシに留まっており、戦いが終わった後もネビルクトンに迎えられることなく、以来十数年にわたってケーシでのび住まいを続けている。
 その祖母のもとをティルドラスとナガンは、ドゥーカン、サクトルバスほか数人の供を連れて訪れる。
 イオディアの家には先客がいた。痩身で黒髪に端整な顔立ち、だが冷たく鋭い目をした、どこか油断のならない雰囲気の青年が門の柱にもたれて立ち、彼の姿を認めて声をかける。「ティルドラス=ハッシバル伯爵、ですな?」
 「左様ですが……。どなたでしょう?」とティルドラス。
 「ミッテル=アークシー。」青年は答える。「大叔母上を訪ねたところ、ちょうどあなたが来られると聞き、御挨拶までに待っていました。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?