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ティルドラス公は本日も多忙④ 都ケーシの宮廷で(26)

第六章 親族たち(その1)

 ティルドラスの滞在先となる姉・エウロナの家――ロフトルザム=ティンガル親王の屋敷は、肩書きのいかめしさの割にはこぢんまりとした質素な建物だった。
 エウロナはティルドラスたちの育ての母であるルロアが産んだ娘で、ティルドラスより六歳、ナガンより十五歳年上のこの年二十六歳である。八年前に十八歳でロフトルザムの正妻としてケーシに嫁ぎ、ティルドラスたちとはそれ以来の再会となる。
 ロフトルザムは当代の王・ゴディーザム=ティンガルからみて祖父の弟の孫、つまり又従弟またいとこにあたる。王位継承権でいうと二十何番目かに位置し「親王」の称号も与えられているものの、食邑しょくゆうからの収入は微々たるもので、生活は事実上、妻・エウロナの実家、つまりハッシバル家からの送金に頼っている。
 到着直前にティルドラスとナガンは馬を下り、ホーシギンに先導されながら徒歩で屋敷へと向かう。たとえ姉の嫁ぎ先であっても、一介の諸侯が親王たる人物の屋敷に騎乗のまま乗り付けるなど大変な非礼に当たるのだという。供回りたちも同様に馬を下り、二人の少し後を同じように屋敷へと歩き始めた。
 「姉上、僕のことが分かるかな?」並んで歩きながらティルドラスに尋ねるナガン。エウロナがロフトルザムに嫁いだ時、ナガンはまだ三歳だった。「よく遊んでもらったのは覚えてるけど、姉上の顔ってよく覚えてないんだ。会って分かるかな?」
 「分かるだろう。母君に似ている。」ティルドラスは言う。
 エウロナは屋敷の門のすぐ内側に立ってティルドラスたちを迎えた。たとえ相手が久しぶりに会う弟でしかも諸侯の地位にある人物でも、親王の正妻たる者が門の外で客を出迎えるなどあってはならない事なのだという。ケーシではこんな所でも儀礼や格式がやかましく言われるものらしい。
 「姉上!」エウロナの姿を認め、小走りにそちらに駆け寄るティルドラス。
 「姉上?」ナガンの方は一瞬戸惑った表情を見せたものの、やはりエウロナのことが分かったのだろう、ティルドラスに続いて走り出す。「姉上!」
 「ティル!」二人の姿に声を上げるエウロナ。ティルドラスの言葉通り顔立ちは母のルロアに似ているものの、ルロアのような凜然りんぜんとした威厳より、むしろ快活で世話好きそうな雰囲気を漂わせていた。「ナガンなの? すっかり大きくなって!」
 しばし再開を喜び合う姉弟。その間に供の者たちも続々と到着し、取り次ぎの者たちに案内されて門をくぐる。彼らのうち、身分の低い兵士や下働きは屋敷の庭に急造された仮小屋に寝泊まりすることになり、中程度の身分の者は離れの大部屋に、身分の高い数人は来客用の泊まり部屋へと通される。
 「私はこれより王宮に赴き、伯爵の到着を復命いたします。」宿舎の割り振りや荷物の搬入でごった返す屋敷の中、ホーシギンがティルドラスに言った。「今後は宮中に宿泊し、必要に応じてこちらに通うこととなるはず。ともあれ、今日は旅の疲れをお休め下さい。」
 「これからもよろしく頼む。」頷くティルドラス。
 そのあとティルドラスとナガンは建物の奥向き、親王家の家族が暮らす一角に隣接した部屋へと案内される。荷物も解かないうちに親王家の者が二人を呼びに来た。「伯爵、ナガン公子、親王がお目通りを許されるとの仰せです。衣冠を整えておいで下さい。」
 慌てて荷物の中から礼服を引っ張り出して着替え、使いの者の後について建物の奥へと向かうティルドラスとナガン。来客の間では屋敷の主であるロフトルザムが、すでに上座に腰掛けて二人を待っていた。
 ロフトルザムはこの年三十七歳。中背より少し大柄な赤ら顔の小太りで、髪は赤毛に近い栗色をしている。「参ったか。」ティルドラスに向かって、尊大な口調でロフトルザムは口を開く。「遠方よりの参朝、まこと大儀である。王に代わって誉めてつかわす。」
 「お目通りが叶いまして誠に光栄にございます。」姉の夫とはいえ相手は親王の位にある人物である。親族ではなく目上の君主に対する作法で礼を返すティルドラス。
 さらに儀礼的な挨拶がしばらく続いたあとロフトルザムが言った。「家族の者にも引き合わせよう。これへ。」彼の声に応じて次の間からエウロナを先頭にロフトルザムの家族たちがぞろぞろと現れ、ティルドラスの前に並ぶ。
 ロフトルザムには正妻のエウロナとの間に一男一女、さらに二人の側室との間に一男二女の合計五人の子がいる。その子供たちの中から眼鏡をかけた赤毛の少年が進み出て礼儀正しく挨拶する。「叔父上、ご挨拶申し上げます。ヨースタンでございます。」エウロナが産んだロフトルザムの長男、つまりティルドラスの甥で、この年七歳である。父親とは対照的な小柄で痩せた体格だが、歳の割には随分と大人びた顔つきと物腰だった。
 「ともあれ、滞在中はここを我が家と心得て苦しゅうない。」挨拶が一巡したあとロフトルザムは言う。「ていの到着を祝う酒宴の準備もさせておる。大いにくつろぐが良い。」
 「お心遣いをいただき、感謝に堪えませぬ。」実はその酒宴の費用は招かれる側、つまりティルドラスが負担するのだと知らされているが、そんな話をここで持ち出しても仕方がない。ティルドラスはうやうやしく低頭する。
 挨拶が終わって自室に戻り、酒宴が始まるまでしばらく休もうするティルドラス。しかしそういうわけには行かなかった。いくらも経たぬうちにがたがたの二頭立て馬車が親王家の屋敷から少し離れた場所に停まり、そこから華やかな、しかしぼろぼろに古びた礼服に身を包んだ一団の老若男女が現れ、門の前へとやって来たのである。
 「ガブリル=フォンツィルタット男爵である!」先頭に立った、ひょろひょろとした貧相な体格、汚れた金髪に無精髭の目立つ年の頃四十過ぎの男が声を張り上げる。「我が甥であるティルドラス=ハッシバル伯爵に面会したい!」
 ティルドラスの生母であるメルリアンの実家・フォンツィルタット男爵家の当主である。もともとメルリアンはケーシ近郊の貧乏貴族だったその家の一人娘で、家計を助けるためケーシの王妃宮に女官として仕えていたところを参朝中のフィドル伯爵に見初められ、側室としてハッシバル家に迎えられてティルドラスとダンを産んだのだった。
 先代の当主であったメルリアンの父はハッシバル家がシュムナップの戦に敗れてエル=ムルグ山地に逃げ込んだのと同時期に亡くなっており、男子がなかったためメルリアンの従弟、ティルドラスには従叔父いとこおじにあたるガブリルが傍系から迎えられて男爵家の家督を継いでいる。ティルドラスにとっては最も近い母方の血縁であるが、なぜか生涯を通じて彼がこの親戚を厚遇することはなく、『ミスカムシル史大鑑』外戚列伝での記述も「その性は卑屈にして貪欲、ただ利得を求めて富強におもねる一方で貧賤の者を憐れむことがなく」「ついに(ティルドラスから)重んじられるには至らなかった。」とそっけない。
 一度脱ぎかけた礼服をもう一度着込んで慌ただしく彼らを迎えるティルドラス。屋敷の客間に通されたガブリルとその家族は、周囲を無遠慮に見回しながら(あとから知ったところでは、彼らが帰ったあと、客間の小物がいくつか無くなっていたという)、ティルドラスに向かってお世辞めいた挨拶を繰り返し、一方で自分たちの暮らし向きに関する嘆きや不平をあれこれと並べるのだった。
 「ちょうどこれから弟を迎えるうたげを開くことになっております。よろしければ皆様もいかがですか?」傍らからエウロナが遠慮がちに声をかける。
 「いやいや、お気遣いなく。」ガブリルは口ではそう言うものの、最初から宴席のお相伴しょうばんにあずかろうと押しかけてきたのは明らかだった。「しかし、せっかく我が甥がケーシを訪れたというのに食事も共にせず帰るというのも礼に合わぬかも知れませぬな。ありがたくお受けいたします。」

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