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時事無斎ブックレビュー(5) オーケストレーションを学びたい人のための6冊と1曲

 高校時代には合唱部にも入っていて、決して音楽と無縁の人生を送ってきたわけではありません。ただ、中学時代から現在まで続けていて現在noteで作品の公開も行っている作曲については、これまで正規の教育を受ける機会がなく、もっぱら本からの知識と、実際に曲を聴いて自分でも作ってみて、という試行錯誤で技術を身につける以外にありませんでした。
 その中で苦労したことの一つが、自分が本領を発揮できるのはこの分野ではないか、と早くから感じていたオーケストラ作品について、その技法や書き方を詳しく解説した本と出会えないことでした。スコア(総譜)を書く時に楽器の並べ方に決まりがあるということも知らず、弦も木管も金管もごちゃ混ぜにして音域が高いものから順に並べたスコアを書いていた時期さえあります。
 似たような状況に置かれて困っている人がどこかにいるかも知れません。そうした皆さんの参考になりそうなオーケストレーション関連の本と、実際の用法を学ぶのに適した曲を紹介させていただきます。
 なお、ここで書く学び方はあくまでも私自身が我流の独学でやってきた非正規の学習法に基づいたものです。音大や専門の教育家のもとで正規の教育を受けることができる方は、そちらの方法に従って下さい。


1.諸井三郎・校閲『スコアリーディング スコアを読む手引』全音楽譜出版社

 楽器の種類やスコアの読み方・書き方を一から知りたい入門者の方は、まずここから始めるのが良いでしょう。レベルとしては中学・高校の音楽教科書の次の段階あたりです。
 全66ページ。解説書というよりパンフレットに近い内容とボリュームですが、楽器の種類と音域、音色の特徴、記譜法、スコアを作成する際の楽器の並べ方、実際に作品を作る際の初歩的な用法などについて、簡単ながら一通りの解説が行われており、これから管弦楽曲・吹奏楽曲の作曲や指揮、実際にスコアを読みながらの作品鑑賞などを始めたい人には参考になるはずです。初心者を悩ませる(少なくとも私自身は大いに悩みました)移調楽器の扱いについても、第2章に特に1つの節を設けての説明があります。
 今の時代、PCソフトで曲を作るのであれば、楽器の配列も実音で記入した後の調の表記の変更もコンピューターが自動的にやってくれますが、それでもそうした知識はきちんと身につけておくべきでしょう。ただ、書かれているのは本当に基礎的な話だけなので、中級以上の読者には手元に置いて各楽器の音域を確認するくらいの役にしか立たないかもしれません。まずはこの本で基礎的な知識を身につけてから、改めて他の本でさらに高度な内容について学ぶ、という順番になるかと思います。
 実は私自身がこの本に出会ったのは、四苦八苦の末、なんとかある程度の知識を身につけてからのことでした。もっと早く出会えていれば参考になったはずなのに、と、ちょっと残念です。

※AmazonではKindle版しかみつかりませんでした

2.ニコライ=リムスキー・コルサコフ著、アラン=ベルキン・アンディ=ブリック校注『管弦楽法の基本』平沢奏汰訳 (オンデマンド出版)

 交響組曲「シェヘラザード」などの作曲家であるリムスキー・コルサコフの著作です。タイトルで「基本」を謳っているだけあり、初心者が犯しがちなミスについてなど他の本では簡単に触れられているだけの基礎的な部分も懇切丁寧に書かれていて、初心者にも分かりやすいものとなっています。オンデマンド出版のペーパーバックという簡素な作りですが、その分、手近に置いてボロボロになるまで使い続けるには適しているでしょう。価格も内容に比べかなり割安です。
 初心者向きといっても話のレベルが低いわけではなく、中級から上級の読者の使用にも充分堪える内容です。特に、各楽器の組み合わせによってどのような効果が得られるか(さらに、どういう組み合わせを避けるべきか)の記述が他書に比べて詳しいので、それについての情報を求めている方にもお勧めです。初心者の方が1冊だけ買って中・上級レベルになるまでずっと使い続けるなら、この本が最も適しているかもしれません。
 一方で、用法の例としてあげられている曲(全てリムスキー・コルサコフ自身の作品)は一般にあまり知られていないマイナーなものが多く、引用も譜面ではなく楽譜の出版社とページが書いてあるだけなので、実際の参考にはならないと考えた方が良さそうです。ただ、それを差し引いても非常に有用な本なのは間違いありません。日本語版が出たのは、ここに挙げた本の中では一番新しい2018年ということですが、若い頃に読んでおきたかった本の一つです。

3.ウォルター=ピストン『管弦楽法』戸田邦雄訳 音楽之友社

 高校時代に学校の図書館に置いてあり、何度も借りては読み込んだものの、やはり暗記やメモで内容をカバーするのは無理で、結局自分で小遣いをはたいて買うことになりました。管弦楽法を体系的に解説した参考書が今よりはるかに少なかった時代、例外的にこのピストンの本は昔から手に入りやすく、おそらく今第一線で活動している音楽家の方にもお世話になった人は多いのでしょう。
 内容的には可もなく不可もなしといったところです。楽器の性質、音色の特徴、音域、記譜法など基本的な情報がコンパクトにまとめられていて、通読すればオーケストラのあらましが理解できます。ところどころに練習問題もあるので、それをもとに実習も可能です。ただ、特に管楽器で、各楽器の様々なバリエーションについての記述に紙数を費やしすぎ、楽器全体としてどのように使われているかの記述が短くなってしまっている部分が見受けられます。掲載されている譜例も、あまりにも簡略化されていて、いったい曲のどの部分なのか判断に苦しむものが多いのが残念です。せめて第何楽章かくらい書いてくれれば、もっと分かりやすかったのにと思います。
 個人的には一番長く使ってきていろいろと学ぶことも多かった本ですが、より高度な内容を求めている上級者には少し物足りないかもしれません。

4.エクトール=ベルリオーズ著、リヒャルト=シュトラウス補筆『管弦楽法』小鍛治邦隆監修・広瀬大介訳 音楽之友社

 管弦楽法の解説書では古典とされる一冊です。「幻想交響曲」の作曲者である原著者のベルリオーズから、リスト、ワーグナーを経て補筆者であるリヒャルト=シュトラウスへと続く巨大オーケストラの系譜の技法が、個々の楽器のバリエーションから奏法・使用上の注意点・集団としての用法に至るまで懇切丁寧に解説されています。掲載されている譜例も、説明している楽器のパートだけでなくスコア全体を表示するなどオーケストラ全体の中での楽器の位置を鳥瞰的に捉える視点が貫かれていて、非常に参考になります。
 反面、読んでいて内容が相当に偏っているのではないかという印象も受けました。特に、補筆者のリヒャルト=シュトラウスが実際の用法の例として自身やワーグナーの作品ばかりを取り上げ、ブラームス、チャイコフスキー、ドヴォルザーク、ラヴェルといった同時代の名手たちの作品を全く採用していないのは問題でしょう。巨大オーケストラの系列ではブルックナーがなぜか見当たりません。
 オーケストレーションに神技を見せた両者だけあって、楽器の特性を知り尽くした解説はやはり参考になります。ただ、前述の通り基本的に大編成を前提とした内容のため、小さな編成や室内楽的な用法には必ずしも当てはまらないような記述も少なくありません。例えば木管楽器のソロの響きは、大編成オーケストラの中では周囲の響きにかき消されてしまうかも知れませんが、小さな編成の中であれば十分に輝くものですし、決してその魅力を軽視すべきでもないでしょう。
 あと、熱烈なワーグナー信奉者だったリヒャルト=シュトラウスが解説文の中でワーグナーの曲に寄せている「天才的な霊感」「これ以上見事な表現はありえない」といった大仰な賛辞についても、私自身はワーグナーに対し、音楽のスタイル(いちおう技術的には高く評価しています。念のため)のほか人格・品行・思想信条(注1)いずれについても良い感情を持っていないため、読んでいて非常に鬱陶しく感じました。
 確かに良書ではあるのですが、一方でかなり内容に偏りがあることも認識した上で読むべき本ではないかと思います。逆に、その部分を取捨選択して読めるなら価値ある一冊であることは間違いありません。

注1:ワーグナーは当時のドイツにおける反ユダヤ主義的国粋主義のオピニオンリーダーの一人で、彼の思想や作品は、のちにナチスによるユダヤ人の排斥・虐殺の中で大きな役割を果たしました。

5.伊福部昭『完本 管弦楽法』音楽之友社

 伊福部いふくべあきらの名前は知らなくても、彼の作曲による、あの独特のリズムを持った「ゴジラ」のテーマに聞き覚えがないという人は少ないでしょう。私にとっては、なぜか大学の大先輩でもあらせられるお方です。
 作曲家であるほか教育者としても名が高く、この『管弦楽法』は昔から作曲を行う人たちにとってのバイブルとされているようです。にもかかわらず二冊組の旧版は絶版になって入手できない時期が長く、私自身、学生時代に大学の近くの古書店で見つけたものの、当時の私の一週間分の食費に相当する値段にたじろいでいるうちに誰かに買われてしまうという苦い経験をしました(注2)。これほど需要のある本がなぜ絶版になったのか疑問に思っていましたが、この新版の編集・制作委員長からのあとがきによると、活版印刷の原版がすり減ってしまったためだったそうです。
 出版元が手間をかけ、読者が待たされたかいあって、リニューアル版であるこの『完本 管弦楽法』の内容は、読んで十二分に満足のいくものとなっています。本来が理系出身の著者だけあり、オーケストラや音楽一般の話に留まらず、物理的な音響学や音響心理学、さらに我々が日常使う言語も含めた「音」全般に関する話題など、音楽を、単なる観念的・感覚的な抽象論ではなく科学的な視点から分析しようとする意識がうかがえます。例えば今あなたがアイウエオと発音したとして、その各音の間に音程の違い(それも、ランダムではなく規則性を持った)があることにお気づきでしょうか。むろん、オーソドックスな楽器各論やオーケストラの集団としての用法についても詳しく記述されており、まさに管弦楽に関する知識の集大成となっています。
 一方で、楽器名・専門用語にはイタリア語や英語がそのまま使われ(ジャズまでJazzと書かなくても良かったと思います)、執筆当時黎明期だった電子楽器の発音原理の説明もあるなど、内容は非常に高度かつ難解で、完全に上級者向けとなっています。このため、初心者がいきなり読むと何が何だか分からなくなって挫折してしまうかもしれません。本書に書かれたことを完全に理解しなければオーケストラ作品が書けないわけでもないので、入門者の方は、まず他書で基本的な知識を身につけ、ある程度実地に作品も作ってから読むことをお勧めします。
 クラシック音楽後発国・日本の少し古い本とはいえ、間違いなく時代・国境を超えて通じる内容です。将来間違いなく古典となる1冊でしょう。

注2:私が良書にはカネをケチらない主義なのはこの時の経験からです。特に、専門書は発行部数も少なく簡単に絶版になる上、そのまま購入者の手元に置かれて古書としても出回らないことが多いので、絶対に必要という本を見かけたら躊躇せずに買っておくことをお勧めします。

6.ピョートル=チャイコフスキー『組曲・くるみ割り人形』全音楽譜出版社ほか

 最後は、楽譜と照らし合わせながら実際の曲を聴くことで管弦楽法を学ぶのに適した曲を紹介したいと思います。
 同じく曲を聴きながら管弦楽法を学ぶための作品としては、最初から教育用に作られたベンジャミン=ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」という曲もあるものの、個人的にはこの「くるみ割り人形」がお奨めです。楽譜(簡略版なら新刊でも1000円前後)もCD(中古なら数百円で手に入る)も手に入りやすく、一曲一曲が短くそれぞれに特徴があり、なじみのある曲も多く(聞いた覚えのある曲が1曲もないという人はほとんどいないはず)、何より、初心者から上級者まで純粋に音楽として楽しめる曲です。
 例えば、6曲目の「中国の踊り」で曲全体を通じて続く、お茶が沸く音をイメージした「ボコポコ ポコポコ」というユーモラスなフレーズは、2本のファゴットを効果的に使ってのものです。他にもフルートの効果的な使い方を学びたい人は第7曲「葦笛の踊り」、フルオーケストラでの楽器同士の掛け合いやハーモニーの技術なら終曲「花のワルツ」、というように、曲ごとにテーマを持って学ぶのも良いでしょう。逆に、まずは曲の方を暗記するほどに聴き込んでから「この響きを自分も使ってみよう」と決めて楽譜のその部分を参照する、という使い方もできるかと思います。

※スコアはこちら

※個人的に好きなアバド版(中古CD、配信版ほか)

※参考までに、ブリテン「青少年のための管弦楽入門」(指揮・語り、小澤征爾)もリンクを張っておきます。

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