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ティルドラス公は本日も多忙⑤ 嵐の年、国滅ぶ時(20)

第四章 ヒルエンラムの小さな事件(その5)

 「なるほど、女の縁で召し抱えられた者か。」あざけるように言ったあと、ユーキンはやや不審げに、ちょうど縛られたまま船から下ろされたケロスたちを振り返る。「時にストークとやら、この者たちは何者だ。アルイズン家の者には見えぬが。」
 「ハッシバル領へと向かう絹商人よ。折良く道中の用心棒に雇われる話があったので乗ったのだ。」つとめて投げやりな口調でシクハノスは答える。商人の一家を装ったケロスたちの中にはオクタヴィアがいる。せめて彼女だけは、自分たちと無関係ということにしておかねばならない。
 「上将軍さま、お聞き下さい。」彼の言葉に合わせるように、ケロスがユーキンに向かって哀訴してみせる。「我らは一介の商人で、ただこの方々が用心棒を引き受けて下さるということで同道しただけのこと。父も叔母も従弟妹いとこたちも、そんな大それた企みがあるなど全く存じませんでした。どうか我らだけはお目こぼしを。お願いでございます。」
 「ほう、それはまた、とんだ巻き添えであったな。」上将軍扱いに気を良くしたわけでもないだろうが、ケロスの言葉にユーキンは鷹揚おうように頷く。もしここで彼が不審を抱いて厳しく詮議しケロスたちの素性が明らかになれば、おそらく全員が殺されていただろう。しかし幸いにもユーキンはそこまで気が回らなかったようである。アルイズン家の名のある士を二人も討ち取ったということで気が緩んでいたのかもしれない。「とはいえこのまま解き放つわけには行かぬぞ。アルイズン家の者どもと共に入牢だ。」
 シクハノスたちはそのまま手近な兵営へと連行され牢に入れられる。その報せは直ちに行在所あんざいしょのイエーツのもとにも届けられた。
 「アルイズン家の残党どもは、あるいは討ち取りあるいは捕らえ、一人たりとも逃さなかった、とな。それは重畳ちょうじょう。」ユーキンから届いた報告の書状に目を通しながら、独り言のようにイエーツは言う。
 「………。」傍らではミレニアが無言のままうつむいている。彼女と入れ替わっていた忍びの女がディミティラに話した通り、自室を抜け出そうとしたところを、突然現れた忍びの者たちに取り押さえられ、有無を言わさずここに連れてこられたのだった。
 「ミレニアさまを連れ出そうとした下女も捕らえた。ただちに斬り捨てても良いが、ミレニアさまの手前もあり、公爵の裁可を願いたい、か。」
 「!」イエーツの言葉にミレニアがはっと顔を上げる。
 「やはりディミティラが手引きをしたか。馬鹿な小娘よ。」イエーツは吐き捨てるように言う。「いずれ何かしでかすであろうとは思っておったし、それを機に放逐するつもりでもおったが、これほど大それたことを見境もなく企むとは。」
 「ディミティラはどうなるのです?」それまで無言でいたミレニアがすがるような口調で尋ねた。
 「無事で済むはずがあるまい。謀反人として裁かれ、一族もろとも重い刑に処されることになるはず。気の毒ではあるが、愚かさの報いだ。致し方あるまい。」
 「そんな!」ミレニアは叫ぶ。「ディミティラの行いは全て私のためを思ってのこと。謀反など企んでおりません!」
 「ハッシバル家と通じ、アルイズン家の残党どもまで引き込んで我が国とマッシムー家の仲を裂こうとした。これを謀反と呼ばずして何と呼ぶ。」かぶりを振るイエーツ。「ディミティラの母――お前の叔母の一族は目こぼしするとしても、ディミティラの父――キリレフの一族は連座で皆殺しとなろう。そうでもせねば他の者どもに示しがつかぬわ。」
 「それはあまりにむごいお裁きではありませぬか! 何とぞ寛大なご処置を!」
 「ならぬ!」
 「………。」父の強い口調にミレニアはしばらく押し黙っていたが、ややあって「父上、」と口を開く。「私が霊廟に参拝し、ミギル伯爵のもとに嫁ぐことを承知したならば、ディミティラとその一族の方への刑を免じていただけますか?」
 「何だと?」
 「それもならぬと仰せられるのであれば――、わたくしは自害いたします。」静かな口調だったが、その響きには思い詰めたような強い意志が感じられた。
 イエーツはしばらく沈黙したあと、ややあって「良かろう。」と頷いた。「参拝は明日の朝だ。身を清めて待っておれ。」
 そして翌日の朝、シクハノスたちが収監されていた港に近い兵営の牢に、ユーキンが護送の兵士たちを引き連れて姿を現す。
 「囚人めしゅうどども、出ろ!」牢の中のシクハノスたちに向かって怒鳴るユーキン。「お前らへの処置について公爵のご裁可が下った。刑を減じて国外への追放とせよとのことだ。お情けに感謝せい。このまま船に乗ってハッシバル領なりどこなりへと勝手に行くが良い。」
 「ミレニアさまは?」牢の格子に顔を押しつけて、咳き込むような口調でディミティラが尋ねる。
 「お前らの減刑と引き換えに霊廟への参拝を承知されたわ。すでに行在所をたれたことだろう。」
 「まさか……そんなことがあるはずが……。」呆然とするディミティラ。
 「信じられぬと言うのであればミレニアさまからお前に宛てたお便りを預かっておる。それを読んで目を覚ませ。」ディミティラに向かって言い捨てたあと、ユーキンはシクハノスの方へと向き直る。「ところでだ。ストークとやら、お主はなかなか見所がありそうだな。どうだ、トッツガー家に仕えるつもりはないか。その気があれば公爵に口添えしてやるぞ。どうせ叶わぬアルイズン家の再興など諦めて我が国に仕えた方が良い思いができるというものよ。」
 「断る。」かぶりを振るシクハノス。
 「ならば勝手にせい。断っておくが、ミレニアさまをお連れできずにハッシバル家を頼ろうとしたとて受け入れられるとは限らぬぞ。どこぞで野垂れ死ぬが良い。」鼻で笑うような口調でユーキンは言った。
 牢を出された彼らは数珠つなぎに縛られて港へと連行される。乗せられる船は、捕り物に巻き込まれたあと船内の検分のため足止めされていた、もともと彼らが乗ることになっていた船である。
 「乗れい!」手にした笞で船を指しながら命じるユーキン。「言っておくが、次に我が国の領内におるところを見つければ、容赦なく死罪とするぞ。覚えておけ!」
 そのまま彼らは追い立てられるように船に乗せられ、そこでようやく縄を解かれる。むろん岸に戻ることは許されない。弓や槍を手にした護送の兵士たちが油断なく見守る中、もやい綱が外され、船は桟橋を離れた。
 その中でディミティラは、検分役の役人から最後に渡された、ミレニアからの言付けものだという包みを震える手で開く。中には銀の小粒がいくつかとミレニアがいつも身につけていた金の髪飾り、そして一通の手紙が入ってた。
 ――ディミティラへ。あなたがたった一人で命までかけて私のために奔走してくれたこと、感謝の言葉もありません。ティルドラスさまのもとに参ることができず、あなたまで失うのは本当に辛いことですが、きっとこれが私の運命さだめだったのでしょう。もしティルドラスさまとお会いできたなら、私の身はマッシムー家に参っても心は常にあの方のもとにあると伝えて下さい。そしてあなたも、ティルドラスさまのお近くで、私の分まで幸せになって下さい。旅の無事を祈っています。――
 それがミレニアの手紙の中身だった。
 「ううう……。ミレニアさま、申し訳ありません。申し訳ありません。私の力が足りなかったばかりに……。」ミレニアの手紙を胸に押し当て、遠ざかる陸地を望みながら涙に暮れるディミティラ。その彼女を、シクハノスたちは声もかけられぬまま見守るしかなかった。
 この時、彼らが向かうハッシバル領もすでに平穏な状態ではなかったのだが、ここで話は少し時間をさかのぼることになる。

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