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ティルドラス公は本日も多忙⑤ 嵐の年、国滅ぶ時(9)

第二章 帰途の出来事(その4)

 「侯爵は何と答えられたのです?」
 「ハッシバル家の家督についてはあくまでハッシバル家の内部で決めること、我が国としては関知する立場にない。そう答えさせていただいた。これは我が国の本心でもある。」要するにミストバル家としては中立の立場を取るという意思を伝えただけだが、使者はそれをミストバル家の支持を得ることができたと取ったらしく、訊かれてもいないことまで大喜びで話し始めた。重臣たちの総意は既にティルドラスを廃する方針で一致していること。フォージャー家にも同様の使者が送られていること。廃されたティルドラスは、義母であるルロアとともに、ルロアの実家・シーエック家の旧領であるメトスナップで(むろん厳重な監視のもとに)暮らすであろうこと。彼を惑わせた悪逆の臣たちも残らず処刑されるか国外に追放となるはずであること――。
 「しかし、ティルドラス伯爵を廃したとして、どなたに跡目を継がせるおつもりなのか。まさかサフィア摂政がご自身で伯爵の位に就かれるわけにも参りますまい。我が国としては血縁であるナガン公子に跡を継がせたいところだが、ナガン公子はこのことをご存じなのか。」アブハザーンはそう鎌をかけてみたらしい。
 「残念ながら、ナガン公子は若年の上、ティルドラス伯爵を慕うお気持ちが強く、この話は打ち明けておりませぬ。跡目には、現在フォージャー家に身を寄せておられるダン公子をお迎えして伯爵とすることになりましょう。」使者は答えたという。
 「ダンが……。」目を見張るティルドラス。
 「当然、フォージャー家もそれに呼応して動いてくるはず。事がハッシバル家の内部に止まっているうちは我が国の関知するところではないが、ダン公子が伯爵に擁立されることでハッシバル家がフォージャー家との結びつきを強めるのは望むところではない。我が国がそう考えるであろうことも察せずこれほどの秘密を軽々しく口にする者を使者に選ぶとは、サフィア摂政の知恵も底が知れるというものですな。」吐き捨てるような口調でアブハザーンは言った。
 「侯爵が誘いに乗らず、この話が私の耳に入った場合、一体どうするつもりだったのでしょう?」ティルドラスの目から見てもサフィアの行動はあまりに杜撰ずさんで軽率なもののように思える。実際にアブハザーンは表面だけ話に応じるようなそぶりを見せ、聞き出した話をティルドラスに告げている。ミストバル家に限らず、他のどこかから話が漏れることもあるだろう。その危険は考えなかったのだろうか。
 「おそらく、使者の者が勝手に他国に通じて伯爵の廃位を企てたということにして口を塞いでしまえば、それで取りつくろえるだろうという程度の考えなのでしょうな。いよいよもって底が浅い。」かぶりを振ったあと、アブハザーンはティルドラスの方に向き直って言う。「お断りしておくが、我が国は決してハッシバル家の友好国ではない。盟主であるアシュガル執政官家を差し置いて我が国が独断で動くことへの遠慮もある。伯爵の苦境には同情申し上げるが、たとえハッシバル家に事が起きたとしても、伯爵の後ろ盾となることはできぬし、場合によっては混乱に乗じてハッシバル家の領土を奪うことも辞さぬつもりでおる。この話を伯爵にお知らせしたのも、サフィア摂政やダン公子にくみするフォージャー家への対抗上に過ぎぬ。そこは誤解なきよう申し上げておきますぞ。」
 「いずれにせよ、侯爵は私にこのような重大事を教えて下さいましたし、そのことについては心から感謝しております。たとえ我が国とミストバル家が敵対する関係にあったとしても、不実な友より誠実な敵を持つ方がはるかに良いと私は思うのです。」
 「誠実な敵か。」ティルドラスの言葉にアブハザーンは苦笑いする。初めてティルドラスに見せた笑顔だったかもしれない。「なるほど、そういう関係でいるのもまたよろしかろう。ともあれ用心召されよ。この話は伯爵お一人に打ち明けること。供の方々にも、私が話したことは内密に願いたい。」
 「心得ております。」ティルドラスは頷いた。今回の随員の中にもフォンニタイを初めサフィアの息のかかった者は多い。アブハザーンから忠告を受けたことは彼らに知られぬようにしておかねばならぬだろう。
 今回のサッケハウ滞在は船旅の疲れを取るだけの短いもので、到着から三日後にティルドラス一行はハッシバル領に向けて出発する。ツィムロッタは今回も見送りに来てナガンとの別れを惜しんでいた。
 冬が近づくミストバル領は、既に秋の収穫も終わり、道行く人々もまばらだった。どこか寂寞せきばくとした空気が漂う風景の中を、ペネラに先導されてティルドラスたちは進む。案内役の彼女に対するティルドラスの接し方は往路と同様に親しげなものだったが、今回はそれだけではなかった。
 「内密の相談があるのだが、よろしいか」数日が経過したある日の宿泊時、翌日の打ち合わせのためティルドラスの私室を訪れたペネラに、声を潜めながらティルドラスは言う。
 「何か私にお話があることは気付いておりました。おっしゃって下さい。」とペネラ
 「実は、私とアブハザーン侯爵が連絡を取り合うことができる形を作っておきたいと考えている。」公的な外交の経路を通じた対話ではなく、彼個人とアブハザーンの間での直接のやりとりである。「ついては、あなたを通じて侯爵に連絡を取ることとしたいのだが、引き受けていただけるか。これは供の者たちにも秘しておきたい話なのだ。」
 「私自身は侯爵にお目通りができる地位ではございません。ただ、上司のンジャールを通じて伯爵のお便りを侯爵にお取り次ぎすることは可能です。」頷くペネラ。「併せて、こちらから伯爵に直接連絡を取る方法も決めておく必要もあるのでは?」
 「なるほど。」ティルドラスは少し考え込む。「では、こうしよう。ネビルクトンの街中に、私が自身で命令を下せる忍びの者たちが詰めている家がある。あと、ネビルクトンではなくキクラスザールの街にほど近い森の中に、私が私的に抱えている野武士たちが住む集落がある。このいずれかに言付けていただければ、私に直接話が通るはず。あなたからの連絡はそちらに願いたい。」
 そのあと具体的な受け渡しの手順や連絡の際の合い言葉などを打ち合わせ、最後にペネラは言った。「おそらく伯爵は帰国後、苦しい立場に置かれることとなりましょう。サフィア摂政は国権を我が物とする野望を隠さぬようになってきており、一方で、民の間では伯爵家への恨み・不満が高まっております。おそらく来年にかけてハッシバル家は大きく乱れることとなるはず。伯爵ご自身もそのことを予想して我がミストバル家を頼りとすることを考えておられるのではございませぬか?」
 「………。」ティルドラスは答えない。
 「ただ、我が国としても、同盟国でもないハッシバル家の、それも特段にゆかりがあるわけでもない伯爵に、見返りもなく全面的な援助を行うことはできませぬ。小さな手助けは厭わぬつもりでおりますが、この苦境はあくまで伯爵ご自身の力で乗り切らねばならぬこと。それはご承知おき下さい。」
 「分かった。心しよう。」厳しい表情を浮かべながらも、静かにティルドラスは頷いた。

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