「宇宙シナリオ」は完全であり絶対的

昨日、他人の目よりも「自然のリズム」を意識するという記事に、宇宙レベルの天体の動きや月の満ち欠け、四季のリズムなどを意識する大切さを見直そうと書きました。明日は冬至なので、陰のエネルギーが一年で最も極まる時期ですね。スピリチュアルや占星術を学ぶようになって、春分、夏至、秋分、冬至といった節目の重要性に気づき、その時期を意識的に過ごすようになると、自分が無意識に何気なくしていたことが実は宇宙のリズムに合っていたのだと答え合わせ的に感じることが増え、その度にこの世の中は本当に面白いものだなと実感します。

この世は宇宙のシナリオ通りに進んでいて、一人一人がその大きなシナリオに合致した人生の目的とか役割みたいなものをもって生まれてくると言われています。全ては必然、起こるべくして起きているという話は今までも何度も書いています。すべてはベストタイミングで起きているこの世は自作自演のドラマであるということこの世はたんたんと「役割」を生きるRPGなどの記事もよろしければご参照ください。この話題になるといつも疑問に思うのが、「私たちに自由意思はあるのか?」ということで、この問いに結論は出ていないものの、常に私の頭の片隅にあるほど気になるテーマです。

この話題になるといつも思い出すのが、テレビドラマ『世にも奇妙な物語』の『エキストラ』という話。2001年1月1日に放送された『SMAP特別編』の香取慎吾さんが主役で演じられていた作品です。これは約16年前の作品ですが、当時観たことが衝撃で今でもずっと強烈に記憶に残っています。ネタバレOKの方は先をお読みくださいませ。

役者志望の只野一郎(香取)はエキストラの仕事をもらいにある事務所を訪れる。そこで台本を渡され、その通りに台詞を読むのだが、撮影があるわけではなさそうだった。またある日のこと、一郎が台詞の中の相手の名前を読み間違えてしまった瞬間、周りの人全員の動きが止まり、彼を睨みつけて動かなくなった。相手の名前を正しく呼ぶことができると人々はまたいつも通り動き始める。ある親しくなった清掃員の男性に、この世は実はすべて台詞で成り立っていて、ありとあらゆるものにみんな台詞を潜ませている(新聞、コーヒーの缶、ポスター、メモ等)のだと教わる。すべては決められた台詞、台本通りなのだと。そして、彼の娘はる香(矢田亜希子)は決められた台詞しかしゃべらないのだという。ある日清掃員の男性に、ついに大役が回ってきたのだと言われる。彼はリストラにより解雇されてしまった不満を訴えるために市役所の屋上から飛び降りてしまった。一郎は目撃者の台本を持っていたが、台詞を話すことを拒否し、台詞どおりではなく自分の言葉、自分の感情で話そうよと訴える。翌日から一郎は住む場所もなくなり、外で食事することもできなくなってしまった。再度エキストラの事務所に行くと、平凡なサラリーマンとして生きる一生分の台本が用意されており、結婚相手も決められていた。一郎はその台本通り生きていくことにする。台本で結婚相手と出会うことになっていた日、結婚相手と出くわす現場でひそかに気になっていたはる香も居合わす。一郎はそこでまた台詞を拒否し、はる香に話かける。台詞しか話さないはずのはる香は一郎の問いかけに答えるのだが、一郎の台本にはない一郎の台詞も、はる香の台詞も、はる香の台本にはしっかりと記されていたのだった…。

この話が面白いのは、この世はすべて決められた台詞を話すだけだということと、そんな台本に決められた人生つまらないじゃないかという反発心、しかしいくら反発してもそれすら別の台本に書かれているというどうしようもなさ…これがこの世の本質をついているように思えてならないところにあります。私は自由意思があるかないかを考えるたびにこの話を思い出し、「慎吾ちゃんは台詞を捨てて自分の思いを自分の言葉で伝えたつもりになっていたけど、それすら台本通りだったのか…」といつも思うのです。一郎が台詞を捨てようよ、自分の思いや感情を出していこうよ、と訴えるシーンがあるので、「決められた人生を歩むのではなく自分の意志で人生を切り拓いていこう」というメッセージなのかなと思いきや、最後に大落ちがあるわけです。しかも、ラストはる香の台本に台詞が書いてあることに一郎は気づいていないのです。このラストは人々は知らないうちに「宇宙シナリオ」の台本通り演じているというメッセージのように思えたんですよね。今は特にそう思いますね。

スピ系のサイトなどにもいろんなことを言っている人がいて、私たちにはある程度の魂の目的や計画があるけれど、自由意思もあるから必ずしもその通りにはならない…的な意見と、宇宙のアカシックレコードにはありとあらゆるすべての記録が時空間を越えて存在している、だから未来のこともすべてわかっているし決まっている…的な意見と、またその他もいろいろ(笑)。アカシックレコードを読もう!みたいなことも流行っていますが、本当に読めるなら未来を予言することも可能なはず…と思う私もいます。明日のシナリオ教えてもらうこともできるはず…とかね(笑)。私は実は自由意思はないのではないかという思いが強いです。でも何らかの理由で未来シナリオをアカシックレコードから読むことはできないようだ…というのが一番しっくりきますかね。

なんだか突然スケールの大きい話に飛んでしまいましたが(笑)、自由意思の話が実は大好きなんですよね。ずっとこの話を書きたかったんですよ。『エキストラ』ご覧になったことのある方も多いと思いますので、感想など是非お聞かせいただきたいものです。本来の自分、魂の計画通りに生きられない自分もそれも壮大な「宇宙シナリオ」の一部でしょうし、その方は魂の計画通りに生きなかった人の役割を演じていただけかもしれません。いずれにしても、人生というのは誰もが「主役」でありながら、誰かの人生においては「エキストラ」なのであり、誰を主人公にして物語を観るか、それだけの違いなのかもしれません。このnoteの文章も、「宇宙シナリオ」の台詞、台本に書かれているのかどうか…肉体を捨てた時に答え合わせをするのを楽しみにしています。

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