江戸時代の「性」意識と豊かな「文化」

性と資本主義の話をしていたのに、なぜいきなり昨日の日本の「土地」と「言葉」の特殊性という記事を書いたのかというと、日本の歴史にそのヒントがあるのではないかと思ったからです。日本において、平和的・調和的な時代だったと言われているのは、昨日の記事に書いた縄文時代、そして江戸時代です。この二つの時代というのは、今後の共同創造のあり方を考える上で大いに参考になることがあると思っています。私は日本史に苦手意識があり、江戸時代のことも全くと言っていいほどわからないのですが、それでも鎖国(という言葉が消えるとか消えないとか)して戦争がなく、庶民だけで生活が成り立ち、豊かな文化が花開いた時代、という印象はあります。飢饉とか一揆とか色々と大変なこともあったのかもしれませんが、もしかすると歴史教育のねつ造で、大げさに「たくさんの一揆があった」、と教えられているのかもしれません。

江戸時代の文化で面白いと思うのが、「湯屋」やお風呂の文化です。江戸時代は混浴が一般的だったというのを読んだことがあり、検索するとこちらのサイトに詳しく書かれていました(リンク:『江戸ガイド』さんのHP)。江戸時代には一家に一台お風呂があったわけではなく、銭湯に行くのが主流だったそうです。しかも、混浴。この時代の「性」というのは今よりももっとオープンで開放的だったのではないかと思います。町の人々も現代人のようにぎすぎすした感じではなく、「江戸っ子」とも言われるような、義理人情にあふれた町のおっちゃん、にいちゃん、ねえちゃんたちが、浮世絵や大衆演劇をわいわい楽しんでは酒を飲んでは…といった豊かな生活をしていたのではないかなと想像します。

性がオープンだと心もオープンになり、人間関係もオープンになる。そして自然と「性エネルギー」=「創造エネルギー」も活性化するため、豊かな「文化」が花開いてゆく。そんな傾向が読み取れますよね。やはり日本は明治以降の西洋化の影響で大きく変わってしまったことがわかります。キリスト教的な性のタブー感が強く植え付けられてしまったのですね。そのあたりから人の心も閉じがちになり、「個人」という分離の殻にこもって、「助け合い」から、相手と競争したり奪い合ったり、所有したり独占したりするのをよしとする概念が形成されてきてしまったのでしょう。その時代の社会でどんな豊かな「文化」が花開いたかを見れば、その時代の「精神性」がわかりますよね。「抑圧、閉ざす、閉じこもる、独占、所有、勝ち負け、競争、奪い合い」の閉塞した社会から、「解放、オープン、開く、共有、シェア、助け合い、義理人情、創造性、精神性、喜び、楽しみ、豊かさ」に満ちた社会へ。今こそ回帰していく転換期なのでしょう。

江戸時代と今では、文明の利器の発明や都市化などにより、あらゆる状況が異なってしまっています。それでも、日本という土地と言葉の特殊性を考慮すれば、また豊かな社会に変化していくことは十分に可能だと思います。今後の一つの方向性として、江戸時代的な社会のあり方というのはとても参考になると思っているので、少しずつ学んでいきたいところです。真実の江戸時代に詳しい方がいらっしゃれば、ぜひともご連絡ください(笑)。時代の流れの面白いところは、まるっきり縄文や江戸に元に戻るのではなく、今のこの現代においてどうやって「共同創造」的な社会にしていくかはまるっきり未知で、新たな創造性が試されるところにあります。これから始まる時代は、「テクノロジーとの共同創造」というテーマがカギとなってくると思います。今までの日本の歴史を振り返り、学びとれるところは学びつつ、現代風にアレンジしていく。そんな面白い時代に今生きているんだなぁということを実感しています。

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