「言われたことだけをやる」に慣れすぎて

気づけば仕事を辞めて1年が経ちました。この1年で私を取り巻く状況は大きく変わり、去年の今頃は知り合いではなかった人が周りにたくさんいて、私自身の意識も変わり、少しずつですがやりたいことや学びたいことの輪郭がくっきりしてきている感じ。仕事を辞めてからここまで来るのに1年かかりました。私はかなりのんびりもたもたしている方だと思いますが、仕事の疲れを回復&新たなスキルを身につけるまでには、やはりある程度時間がかかるのは仕方のないことですね。

私は物心ついた時から「言われたことをきちんとやること」を真面目にやってきたいい子タイプなので、順調に組織のコマとしての優秀さを身につけて生きてきたと思います。目立たず、嫌われないように、たんたんと言われたことをやるのだと。それが処世術であり、いい子だね、と言われることのために生きてきたようなところはあります。それでも、そんな生き方の限界が近づいてきて、魂レベル、スピリットレベルで「もう無理!」となってしまい、仕事を辞めるに至ったわけです。

そしていざ辞めて自由の身になってみると、改めて自分が「言われたことをやること」だけをやってきたことに気づかされ、そのツケとしての苦しみを味わうことになっています。言われたことをやるのは超得意、自分を殺すことができさえすれば、こなすことは難しくない。自分で考えなくていいし、何かあったら指示した人の責任にすればいいから気が楽です。人は慣れ親しんだ環境、コンフォートゾーンを出たくないと思うもので、私も「言われたことだけをやるなんてどんなに楽だったんだ~」と思ったりもします。(特にいい子タイプが)自分のやりたいことをやっていくことの難しさの一つに、「言われたことだけをやる」ことに慣れすぎていることがあると思います。どれだけ今まで主体性を持って生きてこなかったのだろうと思い知るのです。自分を殺して生きていく必要があったからこそ、自分が本当にやりたいこと、望むことがわからなくなってしまっているんですよね。

それでも今まで散々書いているように、これからは「新しい価値を生むこと」が重要となってくるので、言われたことをやっているようじゃ全然お話になりません。何か特別新しいことをする必要はなく、とにかく自分にしかできないこと、価値を見つけていくことが重要で、それはいろんな人に会ってヒントをもらったり、自分をよく見つめ直すことで少しずつ明確になっていくものだと思います。自分のことってどうしても自分ではよくわからないもので、自分にとっては当たり前に知っていることやできることでも、他人から見たら特技に見えたり目新しい情報に見えたりすることも多々あります。今まさに自分はその作業をしている最中で、生みの苦しみ、それと同時に形にする楽しみやワクワク感も味わっている感じです。「言われたことだけをやる」自分からの脱却、脱皮…自分の人生の主役を自分の手に取り戻す一過程です。

長く組織で働いてしまうとどうしても雇われ根性、サラリーマン根性が染みついてしまって、「言われたことだけをやる」人生から脱却するのに困難を覚えることが多いと思います。ただ、これは意識、マインドの問題であり、時間はかかるかもしれませんが、自分がそうしようと思えば必ず手放せるものです。そもそもの魂、スピリットレベルでは、誰しも「言われたことだけをやる」のではなく、「自分の本心の望みに従って生きる」ことが本質として備わっているものだからです。「言われたことだけをやる」のは、人間としての成長過程で身につけたいわば仮面、処世術というただそれだけ。生きるために身につけた仮面をはがすプロセスも、自分自身で決めてきた魂のプログラム通りなのだと感じています。

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