ディストピアの落としどころ

SFと言われてきたディストピア物語を笑えなくなってきた昨今。一時期ディストピア小説や映画にハマって(今も好き)、いろんな話を見てきました。ディストピアものというのは、だいたいにおいて監視社会が基本となっており、支配者による独裁、洗脳、管理統制が描かれているものが多いです。そして現実社会もその方向にどんどん向かっていっており、こういう世の中が進んでいった先の落としどころはどこなんだろう、と考えることも増えました。

そんなことを考えていて頭に浮かんだのが『未来世紀ブラジル』という映画と、『セレモニー』という小説でした。ここから多少のネタバレを含む記述になるので、知りたくない方は注意です。どちらの話も途中の詳細は失念してしまったのですが(おいおい)、ラストで受けた印象というのが「最終的には空想の世界で幸せになる…というのが落としどころなのか」ということだったのはよく覚えています。物語の解釈は人それぞれだとは思いますが、ディストピア社会における一つの落としどころとして、空想・仮想空間でラリってハッピーで終わる…というのは、これからの現実社会にも通じるものがあるなぁとしみじみ感じたのでした。

過去に苦しい家計と過剰な娯楽依存の謎という記事にも書きましたが、メディアが「推し活」を大きく取り上げたりしていることもあり、人々の娯楽依存というのは日々高まっているように思います。最近では「メタバース」という言葉もよく耳にするようになりました。今はまだ多くの人にとって身近なものではないけれども、いずれは普及していくのだろうと思います。仮想空間でかわいい美少女を気に入ったけれども、実際は近所に住んでいる嫌なおじさんだった…ということもあり得る世界です。AIの発達、機械化が進み、人々は働く必要がなくなり、最低限のベーシックインカムが導入され、ただ生命を維持するということに関しては困らなくなるかもしれません。時間を持て余した人々は仮想空間に入り浸るようになり、そこで買い物をしたり、ライブを観たり、テーマパークに行ったり、恋愛したりするようになるのかもしれません。

それでも最低限のお金では結婚・出産は難しいでしょうし、仮想空間で好きになった相手が異性かどうかもわかりません。性欲の発散もバーチャルで…ということになり、人と人とが性交渉をして子どもをつくる、ということすら稀になる可能性もあります。そんなディストピア小説もありました(『すばらしい新世界』)。子どもはすべて工場で。人工的に受精して、人工子宮で育てる。支配者にとって都合の良い遺伝子組み換えも当然行う。子育てもAIがすることになるかもしれません。赤ちゃんに様々なセンサーを埋め込み、お腹が減ったことを感知したら、瓶からミルクが出てくる…など。体内のあらゆる数値が計測され管理されるという、そんなディストピア小説もありました(『ハーモニー』)。

娯楽と仮想空間に人々を閉じ込め、直接の人間同士の交流を遠ざけるような誘導が、今も着々と行われているように思います。コロナのソーシャルディスタンスがわかりやすい例ですね。しもじもの人間は、せいぜい仮想空間でおとなしく楽しんでいてくれ、子どもとかつくらなくていいから、と言われているようです。人と人との温かい交流、子育ての喜び、ぬくもり、抱っこ…人としての重要な感性、心を育むような幸せに直結する行為を人々から奪おうとしています。ディストピアものでは「快楽」というのも重要なテーマとして取り上げられることが多いですが、人間はただ快楽を与えられれば満足する生き物ではなく、逆に単なる快楽は依存や中毒を生むもので、私たちを幸せから遠ざけるものだと思います。それをなんとなくわかっているからこそ、「快楽」だけは与えられるディストピア小説をディストピアだと認識できるわけですしね。

いつも以上に訳のわからないまとまりのない文章となってしまいました。「推し活」や「メタバース」、女性の社会進出からの不妊治療、早期母子分離といった、現在も行われている「点」たちはディストピアの落としどころに向かう線のように見えます。こうして様々な面から外堀を埋められていっているような感覚です。こうなるのかなとわかっていても、それをどうすることもできないもどかしさの中、少しでも幸せに過ごせればいいなと思いながら日々生活しています。

※参考 リンク先アマゾン
『未来世紀ブラジル』
『セレモニー』王 力雄
『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー
『ハーモニー』伊藤計劃

note過去記事一覧はこちら

ホリスティックな健康をサポートするGreen Cosmoのページはこちら

「note見た」で友達申請→村上遥のFacebook

Twitter再開しました!→Twitter

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?