ズルしがちな人に本当に必要なもの

昨日の自動ツールにより形骸化した「いいね」系反応の記事を書いた後に、思い浮かんだたとえ話がありましたのでシェアしたいと思います。今までの記事をご覧の方はお気づきかもしれませんが、私自身少々サイキックなところがあり、ビジョンというかイメージというか映像というか…ときたま浮かぶことがあるんですね。昨日の記事は、フォロワーを増やすための自動ツールなどを使わず、地道に積み重ねていくことがすべての土台になるというような内容でした。

(ビジョン始)みかんの木とレモンの木があります。みかんの木は農薬や肥料を使わず、自然栽培でやさしい農家さんに愛情たっぷり、大切に育てられました。レモンの木は農薬や化学肥料まみれ、農家さんはあまりお世話をしてくれませんでした。収穫の時期。みかんは少ししか採れませんでしたが、一つ一つがエネルギーの高いおいしいみかんでした。収穫量は少ないけれどおいしいので大人気となり、みかんは高くすぐに売れました。農家さんはそこで取れたタネを来年のために植えました。固定種で化学物質に汚染されていないタネを蒔いたので、すぐに芽が出て大きくなりました。一方、レモンはたくさん採れましたが、木はヒョロヒョロで貧弱、レモンの中身もスカスカでいかにも弱そうな実でした。大量で弱い実、価格が安かったのでそれなりに売れましたが、レモンの評判はイマイチ。そのレモンはF1種だったので、そのタネを植えても次の木はできません。また新しくF1のタネを買い足さないといけないのです。土壌は化学肥料で汚染されていて、そのままではよく育たないのでまた化学肥料も追加しました。(ビジョン終)

なぜ同じみかんの木でなかったのかは不明ですが(笑)、そんなようなビジョンとストーリーが浮かびました。あくまでこれは浮かんだベースなので、私が頭をひねって考えたものではありません。こういうビジョンが浮かぶときは、たいていこのストーリーから何かを気づきなさいよ、というサインなので、ちょっと解釈が必要なのですね。文章で書ききれなかった部分としては、みかんの方はゆっくりで数は採れないけれども、品質が良いため評判となり、そのタネをもとに未来永劫作り続けられる循環持続性を感じ、レモンはすぐに育ちたくさん採れるけれども、品質が悪いためそこそこの評判で、弱さを化学で補う繰り返し、持続性がなく余計な出費がかさむ、という印象を受けました。

結局、何をするにしても同じ法則なんですよね。農業にもこういった現実は本当にあるだろうし、昨日書いた記事のようなブログとかメディア系にもあるだろうし、芸能界にもあるだろうし、何でもそうです。「早く、たくさん」を求めるあまり、ズル(化学の力、自動ツールなど)をしてしまうと、一見結果が出たように見えても(大量レモン、フォロワー数など)、それは中身のないスカスカなものである可能性が高く、それを補うための出費(F1種や肥料、有名人と親しいアピール、優雅な生活アピール)が必要になったりする。かなり極端ではありますがそういった「気づき」を与えるためのビジョンだったかなと思います。

「早く、たくさん」というのはエゴの声であり、有史以来、人間はエゴの暴走を繰り返しては傷つけ合い、環境を破壊し、健康を害してきました。エゴが暴走すると、本当に大切なものや本質を見失ってしまいがちになります。いくらレモンがたくさん採れても、いくらフォロワー数が増えても、どこか心は満たされないままなのではないでしょうか。結局、エゴが優位であり続ける限り、心の底からの幸せは感じられないし、常に「まだ足りない!もっと欲しい!」という欲求に苦しめられるような気がします。

ズルをしてしまうことが良い悪いではなく、そういうことをしようとするその方の心のあり方では、ずっと求めるものは手に入らない、ということだと思います。その方に一番必要なのは、見せかけの数字や薄っぺらい承認ではなく、自分に自信を持ち、正々堂々勝負できるような心のあり方なのかもしれませんね。

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