短期的リスクと長期的リスクをどう見るか

昨日の「パーソナルウィル」を肚に落とすでも再確認した通り、私は自分の人生をしっかり生きるのだと、もう一度覚悟を決めました。お金のためにやりたくないことはやらないし、人々が労働奴隷になり搾取され、化学物質まみれで病気になっていっているという現実に甘んじず、それに加担するようなことはしないということ。自分の能力を最大限生かせるようなことをやるのだ、ということ。その決意へのコミットメントが重要だと書きました。

このnoteでもたまに出てくるいつも愛読している高城剛さんの先日のメルマガに、こんな印象的な言葉がありましたので引用します。(2016年6月24日Vol.262/Part2より)

人間だれしも、苦より楽な道のほうがいいですよね。ご質問者だけでなく、僕とてそれは同じです。しかし、それは「目先」のことで、「長期的」に見るとどうでしょうか?ほとんどの場合、目先は大変でも、厳しい道を進んだほうが、「長期的」に見れば豊かになれるものです。なぜなら、多くの人たちは目先の楽な道を選んでしまいますので、気がつくと「その他大勢」になってしまうからです。すなわち、「世の中で成功者と言われるような人は、リスクのある道を選択している」のは、「長期的」に見る目があり、「その他大勢」ではないからなんです。そこで、ご自身がいま長期的な目を持てずに、現状どうしたらいいのかわからないのであれば、いまは厳しい道を進んだほうが、結果的に豊かになれる可能性が遥かに高まるものです。言い方を変えれば、目先の楽な道を選び続けて、結果的に成功している人を、僕は見た事がありません。

引用ここまで。読者からの質問は成功者とリスク選択、ステージアップなどについてのことで、高城さんの見解を聞くというものでした。私はこの回答を読んでまた感銘を受けて、その通りだなぁと感じました。今私が言っているところの「自分の人生を生きる」という生き方や決意って、短期的な視点で見れば絶対にリスクですよね。勤めていれば確実に給料がもらえて、年功序列で給料は上がるし、リストラもされない公務員を何のあてもなく年度途中で突然辞めてしまうなんて、世間的に見たらリスク以外のなにものでもないはずです。実際に今はほとんど収入はありませんから、確かにリスクでした。しかしながら長期的に考えれば、私にとって公務員として働き続けることはかなりのリスクに感じていました。

絶対に成功してやりたい!というアツい野望があるわけではありませんが、おそらく「その他大勢」で終わるのは嫌だという思いは私の中にあるのだと思います。能力を最大限に発揮して何かを成し遂げたいという気持ちはあるし、一時的に収入が減ったりなくなったとしても、プライドをかなぐり捨てて親にお金を援助してもらうお願いをしてでも、絶対に自分の人生を生きるのだという謎の頑固さがあります。そしてそこには昨日の記事にも書いた「悔しさ」という感情は絶対に関係していて、今まで能力を発揮できる環境にいなかった、報われないと感じていたからこそ、今度は好きなようにやってやるのだという気持ちが湧いてくるのだと思います。

親にお金を援助してもらうことへの抵抗や罪悪感はやはり感じましたが、それでも長期的に見れば絶対にその方が良いということも確信しており、たくさん稼げるようになったら必ず両親に恩返ししようと思いましたし、感謝の気持ちも深まりました。人生に無駄なことはなく、すべて必要だから起こっているわけですね。いろんな経験や感情を体験して、次のステージへ進める、そんな人生のしくみを肌で感じています。

自分のやりたいことがはっきりとわからなくてモヤモヤして、自信を失っていた時もありましたが、感情の解放に取り組みだしたり、この高城さんの言葉を読んだりして、少しずつ自信を取り戻してきた感があります。あえてリスクをとる勇気ある決断ができたこと、そして「やりたくないことはやらない」というわがままともとられがちな価値観を貫き、自分を楽しませることに注力できていることをもっと自分自身で認めていこうと思いました。楽な道を選び続けて「その他大勢」でいるのか、あえて短期的なリスクをとって長期的には豊かになる人生を送るのか、それはその人次第です。私は後者の人生を選ぶのだ、その覚悟を決めたこの数日間でありました。

note過去記事一覧はこちら

ホリスティックな健康をサポートするGreen Cosmoのページはこちら

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?