試験勉強は作業、本当の勉強は独学

明日はセンター試験。私も12年前は受験生でした。中学受験、高校受験、大学受験を経験し、公務員試験を受け、宅建試験も受けたりと、受験勉強や試験勉強に随分と時間と労力を割いてきた人生だったと思います。noteにおいても勉強や賢さ、知識や教育といったことを話題にすることも多く、私にとって「NO勉強、NO LIFE」(古い?)と言ってもいいくらい、非常に重要な関心事です。

親しい人や初めて会った人に「普段何してるの?」と聞かれたら、「勉強しています」と答えるのですが(それが事実なので)、そうすると「資格か何か?」とか「大学や専門に行ってるの?」と必ずと言っていいほど聞かれます。資格の勉強をしているわけでも学校に行っているわけでもないのでそこでかなり言葉に詰まるのですが(笑)、一般的に「勉強=資格or学校」という公式が成り立っているようで、それ以外の勉強は「?」マークが浮かぶことが多いようです。私が日ごろ学んでいることは本当にジャンル分けしづらく、パッと答えられるようなことでもないため、何だかわからない変わった人のように思われているかもしれません(事実そうかもしれませんが笑)。

興味のあることを手当たり次第調べたり、本を読んでまとめたりする、自発的かつ楽しすぎる勉強をしている今振り返ると、受験勉強や資格勉強というのは「あんなのは勉強ではなかった」と思ってしまいます。あの頃の知識や経験が今に生きていることもあるので100%無駄ではありませんでしたが、ほとんど中身のない勉強だったと思います。今や微分積分もわからないし、古文漢文も読めないし、世界史も忘れたし、身になっていないものの方が大多数です。しかし、それがわからなくて困らないのもまた事実。はたしてあんなものを勉強する意味があったのか、また、答えのあるものを解く試験のための勉強は、ほとんど勉強というより「作業」ではないか、と思うようになりました。

試験に合格するための勉強というのは、そもそもの頭のよさや要領などもあるとは思いますが、どれだけしっかり勉強したか、作業したかというただそれだけだと思います。あとはその内容(科目)が好きで楽しんでやれるかどうかも大きいと思います。東大に受かるような人は勉強が好きな人が多いし、自ら進んで机に向かいます。いい大学に行って研究者になる人もいれば、学歴だけあればいいと遊びほうける人もいます。合格することだけが目的だと、学んだ内容をすぐに忘れてしまい身になりません。後者の勉強は「作業」と言えるのではないかと思います。

以前に自発的に学ぶからこそ知恵がつくという記事にも似たようなことを書きました。覚えてもすぐに忘れてしまうような内容を目的のために必死に勉強して、それでどうなるというのでしょうか。受験勉強や試験勉強が得意な人(テストの成績がいい人)を「頭が良い」と言ったりもしますが、ただそういった「作業」が得意なだけと見ることもできると思います。自分が本当に興味のあることを自力で、独学で学んでいくというのが本当の勉強であって、与えられた試験範囲や決まったパッケージのことだけを学んで解いて満足、というのは、表面的なレベルでの勉強ということにしか過ぎないと思います。

試験勉強という作業が得意なだけという人を量産してしまったのが今の社会であり、洗脳教育の賜物だなと感じます。試験に合格すること以外に勉強のモチベーションはないのでしょうか。暗記することはそんなに大事なのでしょうか。「試験に合格する」という目標の方がむしろ亜流のような気がしてしまうのですが、そちらが主流になっているのが今の社会です。幼い頃からテストの成績を比べられ、本当に興味のあることを自由に学び、探求する機会を削がれてきた私達。試験勉強も嫌いではないけれど、興味のあることを自由に学べる今の環境は今までになくとても幸せです。大人になって本当に学ぶことの喜びを感じることができた私はラッキーだなとつくづく思います。

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