楽しみが「与えられた娯楽」だけなのはさみしい

一般的に人々が楽しみなことって何だろうと考えると、だいたいなんらかの娯楽に関係したものが思い浮かんできて、テーマパーク、推し活のイベントやライブ、コミケ、ゲームやアニメ、スポーツ観戦、おいしい食べ物、旅行…あたりが多いのかなと思います。娯楽については、苦しい家計と過剰な娯楽依存の謎という記事にも書いていますが、この頃(と言っても2019年)から状況は変わらず、どころかどんどんその傾向が増してきているようにさえ感じます。世の中のヤバさが明るみになってきている一方で、人々の娯楽依存も、メディアの娯楽ゴリ押しも、両者助け合いながら加速しているようです。単純な現実逃避と、世の中やばいけどこういう娯楽が楽しめるうちはまだ大丈夫、的な、正常性バイアスにも似た感覚があるのかもしれません。

私自身もエンタメ・娯楽に慣れ親しんできた人間なので、それについて良いとか悪いとか言うつもりはないのですが、そうやって与えられたものを楽しむことが「奴らの術中にハマる」ことだと思うと、「ぬ…!」と悔しい思いがしてしまい、流行りや勧められたものに踊らされてたまるか!という気持ちが湧いてきます(笑)。相手は洗脳・工作のプロ中のプロなので、精神的にガードする気持ちがないと簡単に術にハマってしまい、奴らの意図するような感情を煽られるし、行動を起こすように促されてしまいます。

例えば最近のメディアの「推しブーム」は目に余るものがあり、推しがいないなんて変!とか推しがいない生活なんてつまらない!的な思想をじわじわ植え付けられているように思います。アイドルが金になるのは今も昔も変わらないとして、今はその精神的依存度が大きいからこそ、雨後の筍のように次から次へと新しいアイドルが出て来ては、搾取されて解散したり脱退したり…という状況が見て取れます。アイドルやタレントというのは、与えられた絶対に手に入らない目の保養…というところでしょうか。仕掛け人はタレントを性的にも経済的にも搾取できますし、もちろんお金を落とすファンからも搾取できます。そのあたりのことは、「光」で集めたお金が「闇」の資金源に…という記事にも書いています。

それじゃあ奴らに踊らされない本当の楽しみって何なんだろう、本質的に心を満たすものは何なのか?ということを今も昔もよく考えるのですが、私の場合は知的好奇心を満たすというか、新しい物事の見方や視点を発見した時が嬉しいし充実している、というようなことをどれかの過去記事に書いた覚えがあります。あとは親しい人間関係ですね。生憎独身で配偶者もおりませんので、満たされた男女の愛というものは今の私にはありませんが、理解し合える人とのやり取りであったり、愛ペットと触れ合ったりすると心が満たされます。

それともう一つ、最近感じているのが、前回の日々忙しく充実しているのが「幸せ」?という記事でも触れた「観察」についてです。何かを観察するって楽しいな、いいな、と思うことが増えました。昨年から家庭菜園を始めて、今も狭い都会でいくつか野菜をプランターで育てたりしているのですが、毎日の変化を観察したり、一部を変えて実験みたいなことをしてみるのはとても楽しいです。ここのところ暑くてできていないのですが、よく散歩するコースで植物の移り変わりを見たり、落ち葉がいつの間にか土になるのを見て感じたりするのも面白いです。同じようなエリアなのに葉の分解が早いところと遅いところがあり、日当たりや湿度によってそこにいる菌が違うのかななどと考えたりするのも楽しいです。こういうのを「いとをかし」と言うのでしょうかね。

与えられた娯楽を楽しむのを否定するわけではありませんが、そればっかりが人生とか、過度に依存するようになるのはどうなのかなという気持ちは以前からあり、自分もその気持ちがわかるからこそ、戒めのように何度も同じような記事を書いてしまっています(笑)。少しずつ伸び始めている観察の楽しみの萌芽をこれからも大切に育てていきたいなと思います。

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