相手をただ観て、観察すること

両親が不仲だと子どもがちゃんと育たない、ということから、「なら夫婦が仲良く暮らすためにはどうしたらいいだろう」とか「男女がうまくいかなくなるのはなぜだろう」ということを考えてきました。まずは男女の違いを知ることからという記事に書いた、お互いが性の違いを理解し歩み寄るのが大事ということ、他人に対して思うことは自分に思うことという記事に書いた、相手を責めたくなったり、相手に言ってやりたいと思うことは自分にも当てはまること、という話などは、親しい人間関係を円滑にするためにも意識するといいことなのかなと思っています。

私自身の興味の対象はいつも「人間」にあって、「人間観察が趣味です」と意識化できないほど当たり前に日常の中に組みこまれてしまっています(笑)。大学も文学部で文化人類学を学んでいましたし(とはいえ講義は自分の本当に学びたいこととは違ったような…)、「人間」そのものに非常に関心があります。占星術や数秘術、その他、人間分析・分類系の学びはいずれも非常に関心があり、占いというよりも人間の行動・思考パターンや特徴、傾向などを知識として知っておいて、それを日常で活かせるかを実践していくのが本当に楽しくて大好きです(笑)。

世の中の大半の人の悩みは人間関係、もしくはそれに付随するものだと思います。仕事で悩んでいる…という人の話も、たいていは人間関係が絡んでいますし(職場の人間関係のみならず、転職を家族が反対するなど)、思い切った行動ができない背景には幼少期の親子関係、親の呪いがあったりもします。表面的には人付き合いが上手に見える人が、実は深い孤独感にさいなまれている、ということもあるかもしれません。人間関係の悩みが軽くなれば、どれだけ多くの人が生きやすくなるでしょうか。誰もがそうしたいと願うけれども、ただ漠然と生きているだけではやはり難しくて、最低限の知識とそれに基づく知恵が不可欠だなと思う次第です。

誰か特定の相手に対して不満を感じたり、責めたくなってしまうことは誰しも経験があると思います。自分の評価基準に基づいて、相手の都合の悪い部分に対してあーだこーだ文句を言ったりします。人のある側面は長所にも短所にもなり得るもので、おおらかでのんびりしている人は、ある人から見ればのろまでどんくさく見えるかもしれませんが、ある人にとっては落ち着いて包容力のある魅力的な人に見えるかもしれません。そう考えると、おおらかでのんびりしている人というのは別に良くも悪くもなく、ただの特徴と言えると思います。自分の主観を外して、相手をただ観て、観察してみれば、その人はただそういう特徴を持った人、ということになります。

自分の主観でジャッジして、相手に対して感情が湧いてくると、どうしてもそうとしか思えなくなってしまうものですが、冷静に相手をただ観て、観察すると、「相手はただそういう人なんだ」と思えて、相手への理解や共感、ありのままの相手を尊重し受け入れる意識が芽生えやすくなると思います。背後に占星術やその他人間分析系・パターンの知識などを持っていたりすると、より「相手はそういう人なんだな」と思えるようになります。あまり知識偏重になって決めつけてしまうのも良くないので、その辺りはほどほどの頃合いを探っていく必要がありますね。どうしても自分と違うタイプの人を理解し、受け入れるのは難しい部分もあるのですが、人間について深く学んでいくうちに、自分の懐の深さ、器の広さも拡大してきたかなと思います(笑)。また、「ありのままに観る、観察する」を続けることで、自分自身の愛の意識が広がってきていることも実感しています。なかなか実践できていない方が多いように見えますが、実はこれが人間関係の最大の肝なのではないかと感じますね。

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