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【人事制度シリーズ②】人材配置戦略(キャリア設計)を科学する

皆さん、こんにちは!けんたろと申します!
数学とファイナンスがとても得意で、良く講義などさせていただくのですが、

今は人事部門に所属しているので、せっかくならと人事制度や働き方に関係しそうな論点をシリーズでnote化してみようとはじめてみました!
この領域の発信を通じて、近い領域に関心ある方と繋がれたらなあと思いますので、
課題感持たれてる方お見えでしたら、是非コメントやTwitterなどで反応いただけると嬉しいです^^

ということで、第一弾は「配属ガチャ」をテーマに選びましたが、
第二弾は「人材配置の主導者が人事から個人へ?!」というテーマで書いていこうと思います。

『キャリアはだれが意思決定するのか』

この問いに対し、”個人”であるはずだと回答される方が大多数かと思いますが、企業の中から見るとそんなことはないように感じます。
恐らく個人の想いは重要視するが、あくまで決定者は、”人事(経営者)”という運用になっている会社が多いのではないでしょうか。このギャップが今後どう変わっていくのか、がこのnoteの主な流れになります。
また最後に、人事への「ディスクロージャー」に関する示唆も記載してます。
なぜ情報開示が必要なのか
、その一つの視点として本noteを捉えていただければ嬉しいです^^

では本編へどうぞーーー

結論:今後のキャリア選択(配置戦略)の主導者が人事から個人へ変わる

会社の業績を占う上で重要なファクターは”社員”です。「どのようにポジションに合致した人材を見つけ配置させるか」という問いに各企業の人事は日夜向き合っているのではないでしょうか。

高度成長期時代の日本では、職場と個人のスキルフィットを考えるよりも、伸ばす事業さえ定めれば、そこにどれだけの人員数を配置できるか、が成功のキーファクターでした。なので人事が考える配置戦略はヘッドカウントに視点がフォーカスしており、バブル崩壊から20年以上経ったいまでもその名残を感じることさえあります。

一方、現在はより効率性が求められる中で、人員数よりも質に視点が移ってきており、人事に求められる人材配置の考え方も一新してきているよう感じます。
個人の資質や職場が求める人物像などの解像度を上げて配置検討することが従来に比べより強く求められるようになりました。

このように資質のマッチングに視座が移ろう中で、さらに僕たち従業員の価値観は多岐に分かれていき(均一的なロールモデルが崩壊)、人事が担わなければならない配置戦略がどんどん複雑になってきているようにも感じています。そんな複雑な配置戦略を考えるのは、果たして今後も人事のままであり続けるのだろうか...


僕はここに大きな変化が起きるのではないかなと考えています。

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従来は、人事(or経営者)が会社全体で最適となるように人材配置を検討してきました。
社員や職場は、人事に要望を伝えるがあくまで決定は人事が担っていると思っています。

しかし、従業員それぞれのキャリア価値観の多様化などにより、人事にすべての情報を集約して全体最適な配置を決定することに限界となる未来が近々やってくるんではないかと考えています。

集約化して最適化が困難であれば、人事は社員や職場に人材配置に関する権限移譲(エンパワー)を行い、個別で意思決定できるように配置戦略を委ねるべきだと思っています。複雑で全体で最適にできないならば、個別の最適化を行い、その集合体こそ全体最適に近づくという思想が本意見の背景です。
では、そんな中での人事の存在価値はなくなるのかというと、そうではないと思っています。
この個別最適を行うためのルールづくりや情報の整理/流通など支援活動こそ人事の貢献領域になってくるのではないかと考えております。
これからこのような人事(人材配置)のゲームチェンジが起きることが予想される中、経営者はそんな未来に向け、人事にどのように未来に合致した資質を植え込んでいくべきかを掘り下げていきますね^^


現在の人材配置は社会主義だ!!

現在国内企業の大多数の人材配置モデルに対し、僕は「社会主義」に大変似た部分を感じてます。

社会主義って?(本ケースにおける)
社会主義では、ムダのない生産を行うため誰が何をどれだけ作るのか計画生産を行います。またそれによって得られる富も平等に分割配賦する社会システムです。
「誰が何を担当するのか」を全体最適の観点で政府が決める点が、入社後にキャリアを人事に委ねる様子に大変近しく、
更に、得られた富も給料として(成果とは弱い相関で)平等に分ける様子も社会主義に近しいので、社会主義をメタファーにしました。

僕たちは企業へ入社するとその後のキャリアのほとんどは人事(経営者)によってデザインされます。僕たちの意見やニーズは人事がキャリア検討(配置検討)を行う際の、あくまで一意見としてしか取り扱われません。
もちろん僕たちに寄り添って十分配慮した配置検討をしていただいているのが現状です。あくまで「決定者が人事」ということです。(人事の皆さま気を悪くしないでくださいねw)

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冒頭記載しましたが、従来はこの方式でもよかったんです。
伸びる事業に人材を配置させれば、事業の成功確度ははるかに向上し、それによって社員の処遇も向上していました。均一的なロールモデル(出世・昇格・昇給こそNo1)があった時代はそれで配置戦略はうまく機能していました。

時代が移ろいゆく中、社会主義型の人材配置モデルが今の価値観にそぐわなくなってきたのではないか、というのがこれからのnoteのお話の展開です。ではこの人材配置のモデルはどうなっていくのでしょうか。
まずは社会主義が成立する条件とそれがどう時代に合致しなくなっているのかの分析を行います。

社会主義が成立するには大きく2つの心理的制約条件があると考えています。

社会主義の制約条件

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1つは、支配者(もしくは意思決定者)の示す方向性が正解していることです。
全体最適によってモノゴトうまくいっているのであれば、一部の個人に生じる不合理は大きな問題にならないでしょう。全体でみたときも不合理を感じる人の数は多数のうまくいっている人の意見に埋もれるためです。

もう1つは、民衆が支配者を信じていることです。
支配者の決めた全体最適こそが正義(社会最適)と民衆が信じていれば例え支配者の意思決定が間違っていたとしても社会主義の社会モデルは成立します。

逆にこの2点が崩壊したときに社会主義モデルは崩壊していくと考えられます。
では現在の人材配置に関するモデルはどのようになっているでしょうか。その視点でもう一段掘り下げてみます!

人材配置における社会主義モデルの崩壊

まずは社会主義の成立条件の1つ目の論点「主導者の意思決定の成否」について掘り下げます。冒頭記載した通り、人材戦略における”現在”の支配者はその決定権を有する人事だと考えています。

では、人材配置における”正しい意思決定”とは何なのでしょうか。
それは「個人の価値観を捉えた上で、事業/個人の成長が全体最適となる配置ができていること」だと考えております。
ちなみにこの正しい意思決定を行うことの難しさについては別のnoteで分析しているのでそちらも良かったら覗いてみてください
↓↓参考note↓↓

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この配置の最適化ですが、人数が多くなるほど解までの道筋は複雑になり難しくなります。
組み合わせ問題を解くためには社員数の約2乗通りのパターンを確かめる必要があるからです。5人しかいかい会社であれば、20通りほどパターンを考えれば済むのですが、1000名を超える会社だと約100万通りのパターンを考える必要があります。

この問題を難しくするのはパターンの数だけでなく質の問題も組み合わさってくるからなんです。
それは例えば働き方ですが、仕事にのめり込みたい人もいれば、ライフワークバランスそこそこに働きたい人もいたり、子育て/介護のため特殊勤務が必要な方など。最適配置における判断軸がスキル面以外の要素も加味した複雑系になっていることも最適化への悩みの種になっています。

こんな数と質の両輪を人間の脳みそで解くことにすでに限界を迎えてきているのが現状なんではないかなと思います。勘/経験/度胸では正解できなくなってきたということです。
こちらが1つ目の社会主義モデル崩壊の論点です。


次に2つ目の論点。人事が決定した配置戦略に社員が盲目的に信じているかという論点についてです。

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つまり、無条件に人事にあてがわれた配置/キャリアに従うかどうかが社会主義成立の2つ目の論点になります。

そしてこちらもすでに崩壊を迎えているように感じています。
様々なインフルエンサーが画一的なロールモデルを盲目的に追いかけることに疑問を投げかけており、すでにこの論点は崩壊しかけていることは自明ですね。副業や転職も当たり前になり、自己犠牲的なキャリア形成はもう時代遅れともなってきているんじゃないでしょうか。

以上、社会主義型の人材配置モデルが成立する2つの条件はすでにどちらも破綻を迎えており、社会は次の合理的なモデル受入れの準備が整いつつある状況であることは間違いないでしょう

ではこれからの「人材配置」はどのようなゲームチェンジが起きていくのでしょうか。

これからの「人材配置」の行方

「未来を占うには過去を見ればよい」ということで、
政体循環論というプラトンが著書『国家』で語った概念を元に未来を予想してみたいと思います。

政体循環とは
政治における支配者は「①王制(単独支配)」→「②貴族制(少数支配)」→「③民主制(複数支配)」→「①王制」→・・・と循環するとして、プラトンが国家で記した概念。政体運営が失敗したときそれぞれ「専制」「寡頭制」「愚衆制」と呼ばれ、次の政体へ移ろうことが一般である。
政治だけでなく、データ通信、結婚など様々な領域で支配者(意思決定者)の循環が見て取れる(文末参照)

なお、この政体循環 の一例として、中世ヨーロッパの政体変化も別のnoteでまとめてますのでそちらも参考までリンク貼り付けておきます
↓↓過去note↓↓

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話を戻して、現在の人材配置は上記政体に照らし合わせるとどのフェーズにいるのでしょうか。多くの企業では、複数人の人事の合議によって従業員の配置が決定されている「貴族制」が今に合致するフェーズなんではないかと考えています。
先ほど社会主義の崩壊として説明しましたが、現配置戦略における政体は「貴族制(人事による少数支配)」から次の政体「民主制(従業員/職場の複数支配)」へ循環を迎えることがこちらのモデルに照らしてみると予想できます。
テクノロジーの動きを機微にキャッチされている方はAIによる配置の最適化を想像しているかもしれませんが、僕はその前に1つステップを挟むだろうと予想してます。
AIによる最適化はAI単独支配の王制に近いのです。つまりその前に民主制が挟まるというのが、持論になります。

そしてこれこそが冒頭に記載した、「配置戦略(キャリア)の意思決定の主導者が人事から個人に変わり、全体最適から個別最適に変わる」という主張です。

人事がもつ権限が一旦民衆(従業員/職場)へエンパワーされることこそ次の世のスタンダードになるのではないかと考えています。
そしてそんな中、人事が担うべきは大きく2つあると思います。
一つは、STEP1を加速させるために、従業員/職場がより(彼らにとって)正しい意思決定ができるように制度整備や情報開示などのサポートを進めること。(人事の現業をディスラプトする動きなので抵抗はあるでしょうが)
そしてもう一つは、STEP2に向けた仕込みだと考えています。

エンパワーして従業員同士で配置設計が起きるようになると、これまで制限をかけて人事がガバナンスをかけていた人材流動に対し、たくさんの動きが出てくるようになります。
この規制なき状態ででてくる動きこそ、従業員の想いを反映させて混じりっ気のない純度の高い貴重な配置検討のためのデータになると思います。このデータを貯め分析することこそが次のSTEP2の時代到来時の資産になると考えています。
なぜ今から人事はSTEP2に向けた仕込みをすべきかのか、それはSTEP1が早々に破綻することは火を見るよりも明らかだからです。従業員の個別最適なんて、問題が起きないはずがありません。様々なひずみを生んでいくことが予測されます。とはいえこれは変革に向け必要なSTEP(政体循環)なんです!
王制(AIによる配置の意思決定)へ移行するには民衆制は愚衆だと実体験することが必要だからです。

STEP2の世の中は間もなく訪れます。そこに向け如何に早くSTEP1に人事は社員へエンパワーし、STEP2に向けた仕込みができるか、
これこそが人材配置の上手な会社に変わるための重要な意思決定になるのではないかと考えております。


まとめ

ではここまでの話をエクストリームにまとめていきたいと思います。

まず、現在の人材配置(キャリアメイク)について、多くの意思決定権限を人事が持っている現状を説明いたしました。
ただ、個人の価値観の多様化により最適配置の検討がすでに人間の頭脳での処理限界に達しつつあり、次のステップへ移行する必要性がでてきたことを説明しました。
そして、次に訪れるのは民主化です。人事から個人(従業員/職場)に人材配置の最適化検討はエンパワーされ、個人の最適化によって全体最適を促する動きが加速することを説明しました。
また意思決定権をエンパワーした人事に必要なのは、①個人の選択を後押しするための制度設計などの”サポート”施策と、②次のSTEPに向けたデータ面での仕込みであることを説明しました。

この動きが採れるか採れないかが、きっと次世代的な人材配置のうまい会社になれるかならないかの境界線になると予想しています。

最後に、STEP1を迎えるに際して人事に求められる資質について端的にまとめて締めていきたいと思います。

人事施策の考え方

人材配置のエンパワーとセットで人事が気にかけるべき重要な論点は「情報のディスクロージャー」です。
人事はヒトの行く末を検討するので様々な情報を隠蔽しがちです。このnoteの主張の通り、人事が配置の最適化するという志向を諦め、従業員へエンパワーするのであれば、全員が同じ目線を持てるように情報もすべて等しく従業員へ持たせることも重要になります。でないと、個別最適が企業の利益と大きく異なる判断を起こすリスクもあるからです。
人事がどれだけ情報を明らかにできるか、が個別最適へのエンパワーに必要な論点になるのではないでしょうか。

つまり、言い換えると人事がディスクロージャーする目的は、
従業員それぞれが、自身の価値観でキャリア選択できるような会社にしていくために、それぞれに責任と権限をゆだねていく上で必要な変革のポイントなんだと思っています。


以上、人事シリーズ第2弾では、「人材配置」を事例に色々書かせていただきました。ここまで読んでくれる方がどれだけいるんだろうか、と思いつつ想いがついつい募り長文になりましたw
是非今回のnote内容に関する先行事例などをご存知でしたら、コメント欄やTwitterで教えてください!

最後までお付き合いいただいた皆さまありがとうございます。

けんたろ

参考図書

①ティール組織
エンパワーとセットで情報のディスクロージャーが必要な点がより丁寧に記載されています。ホラクラシーな組織では全員が同一の情報をもっているからこそ細かな戦略はすべて個別で推進できるとされてますが、まさしくその論点がふんだんに詰まった図書です!

②国家
特にプラトンの国家はこれ2500年前の本?って驚くくらいめちゃ近代感を感じる本でおススメです!!政体循環論は下巻に記載されてます!

③転職と副業のかけ算
今回のnoteにおいて、個別最適を多用しておりますが、その前提にあるのは個人の市場価値の最大化がひとつの軸になるかと思います。
そういう意味で市場価値を追求するキャリアマネジメントの考え方として大変参考になる図書です。



補足:政体循環

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※内容説明割愛

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