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家づくりにも0学期を


高校2年生は年が明けると「受験生0学期」で「とても大事な助走期間」になるのだ、ということを息子の高校の保護者会で聞いてへぇ~なんて思っていました。0学期の過ごし方で、目標が変わってきますよ、と。(この場合志望校ですが)憧れだった場所が夢となり、自分にも実現できることとしてとらえられるようになるかもしれない、と。大谷選手の「あこがれるのをやめましょう」を思い出します。先生も意識したのかもしれません。

家づくりの0学期

家づくりにおいても、0学期があるように思います。土地探しをしたり、モデルハウスに行ったり、事例写真を集めたり、間取りを妄想したり、資金相談をしたり、という与条件整理のプロセスも初期の段階ですが、それよりももう一段階前です。これら、予算や面積、敷地条件などの与条件は、知らず知らずのうちに、最初から自分の夢をダウンサイズさせてしまう、というネガティブ条件にもなりえます。

もちろん、絵に描いた餅ほど切ないものはありませんので、家づくりがスタートしたら、いかに与条件のなかで最適解につなげるか、は大切です。でも、いったんは「家づくり」が動き出す前に、与条件にとらわれない自分の気持ちに気づく。そんなプロセスが大事だと思うのです。

それは、「自分を知る」ことかもしれないし「家族を愛する」ことかもしれないし、「今の暮らしに目を向ける」ことかもしれないし、「あたりまえを疑う」ことかもしれないし、「ふと立ち止まること」かもしれません。

憧れではない、夢と希望

いま、ちょうど家づくりイベントの準備をしていますが、このイベントは、まさに家づくりの0学期といえるかもしれません。「家族」をテーマにしたお話もあり、実際に自分の家族に落とし込んで考える時間をつくっています。

家づくりの0学期で「考えたこと」は家づくり・暮らしづくりでの基礎になると。家の知識というよりも「自分や家族の軸」のようなもの。これは家づくりに関係なく、また、世代に関係なく、ほんとうは誰もがしっかりと考えてみるといいものです。きっと、自分を大切にする時間にもなると思います。

そして、このプロセスを踏むのと踏まないのとでは、その後の与条件そのものが違ってくる。「憧れ」ではなく、自分の中で洗練された「夢や希望」がでてくる。そう思います。

憧れる(あこがれる)とは、ある人や物事に対して、強く心引かれ、その存在や状態を自分自身に求める心情を表す言葉である。 人間の心理的な動きを示す表現として、日常生活や文学作品などで頻繁に用いられる。 例えば、他人の才能や成功、理想的な生活状態などに対して「憧れる」と表現することが一般的である。

Weblio辞書より

改めて言葉を見直してみると、「あこがれ」は他者のようになりたいという心理。それにたいして「夢」は自分自身がこうありたいという心理。そんな違いも見えてきます。

最近の家づくりは、ネットでの情報収集がメインになっています。ほかの人の事例など、視覚情報はものすごく多く、そのメリットは計り知れません。
ただ、それらの他人の事例を、自分の実現したい夢や希望に活かすには、ひとてまが必要。それが0学期の「考える時間」です。

なんでこの写真が気に入ったんだろう?そんな深堀りをしてみるのもいいかもしれません。


家づくりの0学期体験、参加者募集中

というわけで。。
こんなことを思うきっかけとなったハピケンという栃木の設計仲間との家づくりイベント。宇都宮の家具屋さんをお借りして、12月3日(土)の午後にあります。家づくりの前の「暮らしの話」と自分の気持ちに寄り添うワークショップの時間です。

家づくり。そろそろ・いずれ・いつかは・あるいは、もう一回!という気持ちがあるかたは、ぜひお越しください。詳細は以下のリンクを見てね。


 

自分にとっての豊かな暮らしってなんだろう?




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