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廣瀬貴士監督の映画「ブルータル」レビュー「監督にとっての「女」とは娼婦か聖女の二択しか選択肢が無いのか?」

本作は3部構成。

第1部は坊主頭の巨漢男が女性を次々と拉致監禁し
「俺が何をしたいのか分かるか?」
と問い, 女が恐怖に震えながら例えば
「要するにヤリたいんでしょう?私の中に入れたいんでしょう?」
と答えると女の股間を鋭利な刃物で滅多刺しにして
顔が変形する程殴打した後,切り刻んで煮物にしてしまう。
「不正解」だったのだ。
坊主頭の凶行が延々と描かれるも「正解者」は,とうとう現れず
彼の「誰も分かってくれない…」で幕を閉じる。

第2部は美貌の女が主役。
彼女をナンパしてホテルに連れ込むスケベ根性丸出しの
オッサン達の股間を鋭利な刃物で滅多刺しにして殺し,金品を強奪する。
殺した男の股間を鷲掴みにして
「男なんて皆同じ」って言うのが彼女の口癖。

第3部で第1部の坊主頭と第2部の強盗殺人女が出会い,
一瞥して互いに「只者ではない…」と悟り,
坊主頭の部屋で命ギリギリのタイマン勝負が繰り広げられる。
血みどろの戦いの中で,女は「ただヤリたいだけ」でない男がいる事を知り, 男は自分の問いに初めて正解する女を見出し,
何故かここで「男一匹ガキ大将」理論が作動し
「タイマン勝負が終わればダチ」となる。
坊主頭が坊主なのは「答え」を探し求める求道者だったからと判明し,
女は坊主頭になれないから分かりにくかったが
彼女もまた「答え」を探す求道者だったのだ。

「男と女で性交渉を伴わない交流は有り得るか?」

本作なりの「答え」が提示されて物語は閉じる。
デュエット構成の「男女平等ホラー」など初めて観たが,
先程「男一匹ガキ大将」を援用した通り理屈が多分に少年マンガ的で,
元少年の僕には理解し易いが, 女性が観た場合,
第1部冒頭から延々と続く
男から女への殴打を伴う暴力描写の酷さに投げ出してしまうだろうね。

「一方的に殴って来る男の一体何を理解しろと言うのか」

って言ってね。
監督が男だから,男女の心の交流を少年マンガ的に単純化して
「対等に」描いたのだろうが,現実は少年マンガみたいに単純じゃない。
女が聖母マリアになるオチも僕には受け入れられなかった。
女性の描き方が浅薄なのだ。

多分監督の女性観って娼婦か聖女の二択だよ?
女性経験が乏し過ぎる。
僕は他の選択肢が見たいのだ。
本作を観た人から「ムカデ人間2」と同じ位酷いと聞いて期待していたが,
こちらは相当理性的・少年マンガ的な単純な作りで,
主役が正真正銘イカレてた「ムカデ人間2」の足元にも及ばない。

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