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夢ある喫茶を開きたいという話

最終目標として喫茶店をやりたい

写真家をはじめて、10年が過ぎ、次のステップに進みたいと感じて、喫茶に必要不可欠なのが、コーヒーである。そこでコーヒー屋に着手した。この喫茶の形式はアートギャラリー+コーヒーである。安易な考えだと自身でも思う。しかしながら、そこが自身が豊かに暮らせる場所だと考えている。ゆっくりとした時間が流れる中、好きな音楽に包まれて、アート作品を眺めながらコーヒーを嗜む。人々が安易に理想を掲げる理想中の理想ではないかと思う。それを実現することは難しい。だから理想なんだと思う

自分が思い描く夢や理想、それを形にしたい。周囲はそんな絵空事と言われますが、生きている中で実現したいことに向かうことは私にとって、普通であって、それが苦難の連続だとしても、楽しいがあればいいのではないかと思う。生活とか色々あるけど、性格上、そこは二の次である。楽しいが日々送れるのか、僕はそこに比重を置きたい

アート作品というニュアンスをまたどこまで境界線を引けばいいのか、とても難しいが、僕の敷居は低い。誰しもが「これはアートです」っていえるような、そのくらいでいいと感じている。そう言えること自体がとても難しいのだけど、難しく考えると様々あるので、ここらへんにしておく。私自身が写真を扱ってそれを体現したいと考え約10年ほど作家活動をした。難しかったけど、うまくいきそうなタイミングもあった。自ら、そのタイミングを逃したといってもいいが、とても難しいことである。それで生活できるほど、甘くはない。だけど、作品を作っている時間や、見られる時間はとても有意義で、生活、社会の中にそれを組み込むことは、相反するものがある

文章というのは難しい。昔は日常的なことをスラスラと書けていたが、むずしいですね。これは練習みたいなもので、中学生の時の国語の先生には、思ったことを書けばいいなんて、言われてから文章の苦手を克服したくらいだ。いまだに文章を書くことは苦手だけど、作家森見 登美彦先生のような文章が書けたらいいなと思うくらい。題材は陳腐なので、特に何も考えていないのだが、その文章はプロット、構成文みたいなものだ。ゆっくりと書けばいい。ゆっくりと感性を養っていけばいい。そんなことを今感じている

練習文にお付き合いしていただき、ありがとうございます

それでは また



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