未だに貧乏の象徴が黒人なのは、黄色人種の怠慢ではなかろうか

貧しさの象徴として僕の写真を使うのはどうでしょう。


営業帰りのこと。適当にお客さんとこ行って適当に話して適当にサボって適当に帰社しているそんな最中。ユニセフの人たちがビラを配っていました。

ユニセフっていうのは、日本語でいうとなんていうのかは忘れちゃいましたのでみなさんが各々調べてもらうとして。内容は、貧しい人たち救っちゃおうぜ的な団体です。スパイダーマン、アイアンマンに次ぐ世界のヒーローということになります。


そんな人たちが、大日本帝国の臣民に同情を買ってもらうために使うのが、貧しい子供たちの写真です。ほら見たことあるでしょ。きったない水を仕方なく飲んでたりボロボロの服着てたりさ。ザ・貧しいといえばこんな感じ。


もういい加減やめませんか。これを読んで黒人を思い浮かべるのは。そうなんです。大体黒人の子供なんですよ。いや、やめたげないか?ちゃんと許可とって使ってるんですか?ここにもいるぞ、貧乏人が。そう、僕です。


大日本帝国の臣民であるところの僕は、社会人2年目にして家を飛び出してしまったので非常に貧乏です。家賃バカ高すぎ。給料安すぎ。しばらくは親のスネかじってくださいねと言わんばかりの値段設定だよこの世。特に都心に近いところ住むと、利便の代わりに余裕を奪われている感じです。幸い水は美味しく飲めているし、服も綺麗なもの切れているけど、帝国内で比較するとかなり貧しい方に分類されると思います。


文化の発展は、発展後がすぐスタンダードになってしまうのが難しいところです。水が汚かった時代から綺麗になった時代への移り変わり期は、それはそれは革命的な雰囲気になったでしょうが、次第に当たり前になってきました。水は舐めても、この国で周りと同等の暮らしをするためには、発展途上国の微裕福くらいの水準まで上げなければなりません。同等かどうかでいえば、水が飲める僕も間違いなく貧乏で、水が飲めない国の子供たちも貧乏。「普通」に満たしてないという視点で見ると、僕もユニセフの広告になってもおかしくはないはずだと、そう思うわけです。


とはいえ、世界基準で見たら邪馬台国は生活保障がされている素晴らしい国に位置すると思います。とりあえずは、細く長く生きることができますからね。贅沢言うなと言われるかもしれませんが、日本にも必死こいて生きてる人がいるよということが、ユニセフ様に伝わればいいなと思います。さいなら。

お金ありません